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思考の臨界 超越論的現象学の徹底
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 勁草書房/ |
発売年月日 | 2000/01/10 |
JAN | 9784326101283 |
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思考の臨界
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フッサールは、そこにおいて現われることからすべてが始まるような「超越論的領野」を発見したと著者はいう。この超越論的領野はすべての始まりである以上、超越論的領野とは何かを問うことは意味をなさないはずだ。それは「思考しえないもの」なのである。本書は、こうした「思考しえないもの」へと向...
フッサールは、そこにおいて現われることからすべてが始まるような「超越論的領野」を発見したと著者はいう。この超越論的領野はすべての始まりである以上、超越論的領野とは何かを問うことは意味をなさないはずだ。それは「思考しえないもの」なのである。本書は、こうした「思考しえないもの」へと向かって歩むフッサール、ハイデガー、レヴィナスらの思索を描いている。 まず著者は、時間を主題に取り上げる。晩年のフッサールの思索は、「今」が「今でないもの」へとたえず転化してゆくことですべての現象がはじまるような「生き生きした現在」に向かって歩んでいった。だがそれは、現象学がそれ以上遡ることのできない「思考の臨界」であることが明らかになる。このことをはっきりと示したのが、デリダのフッサール批判だった。現象するものは、つねにみずからに対して遅れてしまっており、「もはやない」という仕方で何ものかとして現象することが可能となる。こうした事態をデリダは「差延」(différant)と呼んだ。 さらに著者は、ハイデガーの「存在」をめぐる思索が、世界がそこにおいて構成される「場所」に向かっていたことを論じている。この「場所」は、そこですべての存在者が成立する「場所」なのだが、「場所」自体はどのような意味でも存在者ではなく、「無」というほかないものである。だが、「無とは何か」と問うてはならないとハイデガーは主張する。このように問うとき、私たちは「無」を存在する何ものかとして扱ってしまっているからである。ハイデガーは、無を存在者として扱う形而上学を批判する。それは、何ものかを何ものかとして露わにしつつ、それ自身は身を隠してしまうのである。ここにも「思考の臨界」が画されていると著者は考える。 最後にレヴィナスの「他者」への問いが取り上げられる。レヴィナスの他者は、フッサールの意識の流れとしての時間に「不意打ち」のように訪れ、すぐさま超越論的領野の外部を指し示す「痕跡」へと化してゆく。それは、私たちの「現在」から絶対に非連続の「未来」からの到来であると同時に、一度も到来したことのない「過去」だとレヴィナスはいう。こうして、いっさいがその内部に現われるはずの超越論的領野は、その外部に触れてしまっていることをレヴィナスは論じていたのである。著者はここに、フッサールやハイデガーにもまして、「思考の臨界」が明瞭に示されていると論じている。
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