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デリダ 脱構築 現代思想の冒険者たち28

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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 1998/03/10 |
JAN | 9784062659284 |
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デリダ
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商品レビュー
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5件のお客様レビュー
先日開催された『読むことのエチカ──ジャック・デリダとポール・ド・マン』のイベントに参加するため、手に取った。 怠けていたので、イベント当日までに読了することはかなわなかった。 相変わらずいまひとつピンと来ない。 どうやら、僕には少々難しすぎるようだ。 ド・マンの本にした方がよか...
先日開催された『読むことのエチカ──ジャック・デリダとポール・ド・マン』のイベントに参加するため、手に取った。 怠けていたので、イベント当日までに読了することはかなわなかった。 相変わらずいまひとつピンと来ない。 どうやら、僕には少々難しすぎるようだ。 ド・マンの本にした方がよかったかも知れない。 ド・マンの方が圧倒的に相性がいいから。 例によって、印象に残った言葉を書き留めておこう。 「滝石」はなかったが、それでもこの河原を訪れた記念として。/ 【外部は、記憶の働きの内部にすでに存在する。記憶の自己への関係、ムネーメー(※1)の活動の一般的組織の内部に、悪が浸透していく。記憶は本質的に有限である。(略)記憶はしたがって、必然的に関係をもつことになる非現前的なものを思い出すため、つねにすでに記号を必要としている。】(デリダ「プラトンのパルマケイアー」)/ ※1「ムネーメー」:内的記憶/ 【〈ウィ〉は記憶に託されなければならない。要求の非対称性においてすでに他者から、〈ウィ〉を要求するよう要求されている他者から到来し、〈ウィ〉は他者の記憶に、他者の〈ウィ〉の記憶に、他なる〈ウィ〉の記憶に託されるのだ(『ユリシーズ・グラモフォン』(略))。】/ 【正義は、法創設の暴力が排除し、抑圧し、沈黙させた特異な他者たちへの関係である。あらゆる法=権利(略)の脱構築(※2)は、法=権利を創設し維持する力が忘却させた特異な他者たちを想起する、脱構築不可能な正義の名において生ずる。法=権利は正義のために、正義に向かって脱構築されるのである。】/ ※2「脱構築」: 構造主義の言う「構造」を内部から破壊するための方法のこと。 つまり、あるシステムの矛盾を突くことで、システムを破壊するのですが、それだけではなく、脱構築とは、システムによって否定されたものを「肯定」する思想なのです。社会の中で抑圧されたものを肯定することで、あり得るかもしれない「もう一つの可能性」を提示すること。(「現代思想マップ: 脱構築」九州大学附属図書館ウェブサイトより。https://guides.lib.kyushu-u.ac.jp/c.php?g=774904&p=5559772)/ 【一方、レヴィナスは『おそれとおののき』のイサク奉献(※3)の解釈を批判している。キルケゴールは、レヴィナスによれば「他人」(略)としての「無限の他者」との関係であるはずの「倫理」を、一般性の次元へと平板化し、倫理的なものを犠牲にして神へと飛躍する。だがそれは、「私」の「内面性」のエゴイズム、「他人」という他の他者たちへの暴力である。イサク奉献のドラマの真骨頂は、倫理的なものの犠牲にあるのではなく、イサク殺害を結局は禁止して、アブラハムを倫理的次元に連れもどし、「他人」の犠牲を最終的に禁じようとする声を聞くことにあるのだ、と。(「キルケゴール/実存と倫理」(略))。】/ ※3「イサク奉献」: 聖書の「創世記」にあるアブラハムの「イサク奉献」のこと。アブラハムは一人息子イサクを全焼のいけにえ(ホロコースト)として捧げよという神の命を受け、山頂でイサクに向かって刀を振りおろす。/ このレヴィナスの考え方は、とてもしっくりくる。 デリダは、これに反論しているようだが、「ちょっと何言ってるかわかんない!」/ 【デリダによれば、象徴的食人などを含めて、「いずれにせよわれわれは他者を食べる」のだし、「他者によって食べられるがままになる」のだから、問題は、「いかに正しく食べるべきか?」(略)ということでしかありえない。そしてそれは、「自己を他者に、また他者を自己に関係させる最良の仕方、最も尊敬に満ちた、最も感謝にあふれた、そして最も多く贈与する仕方を規定することに帰着する」。】/ あったあった!巻末の現代思想系統図である。僕の記憶では表紙カバーの裏に描かれていたように思っていたが、巻末であった。 サルトルやドゥルーズやフーコー、デリダなどの名前が「同盟関係」、「影響関係」、「弱い影響関係」、「対立かつ影響関係」、「対立関係」の各種の線でつながっており、「リゾーム」と聞いて僕が真っ先に想起するのは、いつもこの図なのだ。
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デリダ入門として非常に優れた一冊。 ユダヤ人である自覚を保持したまま自らの哲学を研磨し続けた彼の思想は、現在のイスラエルパレスチナ問題を思考していく上でも大きな支えとなる。 安易な二元論的構造に陥ることなく、まだ見ぬメシアを求め、「来なさい」と発し続ける。 デリダの脱構築は確かに...
デリダ入門として非常に優れた一冊。 ユダヤ人である自覚を保持したまま自らの哲学を研磨し続けた彼の思想は、現在のイスラエルパレスチナ問題を思考していく上でも大きな支えとなる。 安易な二元論的構造に陥ることなく、まだ見ぬメシアを求め、「来なさい」と発し続ける。 デリダの脱構築は確かに誤った解釈の生まれる余地が多すぎる。というのは、彼の思考構造そのものが開かれた世界への道行を示すという、その非構造への無制限の欲求(論理として構造的にならざるを得ないものの)が大きく感じる。 決定不可能性という決定を与える勇気。 20世紀の西洋哲学が産んだ一つの到達点、区切りとしてのデリダという人間に魅了されまくり。
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※このレビューにはネタバレを含みます
エルサレムのモリヤ山頂では、三つの「アブラハム的メシアニズム」-ユダヤ教、イスラム教、キリスト教-が「エルサレムの 領有=自己固有化」をめざして争っている。湾岸戦争は、このエルサレムをめぐる戦争が今日の世界戦争になることを示した。「三つのメシア的終末論の爆発と、三つの聖なる契約=同盟の無限の組み合わせとしての中東的暴力」は、デリダの重大関心事の一つである。
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