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デリダ 脱構築 現代思想の冒険者たち28
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 1998/03/10 |
JAN | 9784062659284 |
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商品レビュー
4.3
4件のお客様レビュー
デリダ入門として非常に優れた一冊。 ユダヤ人である自覚を保持したまま自らの哲学を研磨し続けた彼の思想は、現在のイスラエルパレスチナ問題を思考していく上でも大きな支えとなる。 安易な二元論的構造に陥ることなく、まだ見ぬメシアを求め、「来なさい」と発し続ける。 デリダの脱構築は確かに...
デリダ入門として非常に優れた一冊。 ユダヤ人である自覚を保持したまま自らの哲学を研磨し続けた彼の思想は、現在のイスラエルパレスチナ問題を思考していく上でも大きな支えとなる。 安易な二元論的構造に陥ることなく、まだ見ぬメシアを求め、「来なさい」と発し続ける。 デリダの脱構築は確かに誤った解釈の生まれる余地が多すぎる。というのは、彼の思考構造そのものが開かれた世界への道行を示すという、その非構造への無制限の欲求(論理として構造的にならざるを得ないものの)が大きく感じる。 決定不可能性という決定を与える勇気。 20世紀の西洋哲学が産んだ一つの到達点、区切りとしてのデリダという人間に魅了されまくり。
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※このレビューにはネタバレを含みます
エルサレムのモリヤ山頂では、三つの「アブラハム的メシアニズム」-ユダヤ教、イスラム教、キリスト教-が「エルサレムの 領有=自己固有化」をめざして争っている。湾岸戦争は、このエルサレムをめぐる戦争が今日の世界戦争になることを示した。「三つのメシア的終末論の爆発と、三つの聖なる契約=同盟の無限の組み合わせとしての中東的暴力」は、デリダの重大関心事の一つである。
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多分、西洋的な形而上学批判をしているのだろうけど、文章を読んでも、一体、何をいっているのか全く分からない。ということで、敬遠してきたデリダ。 なのだが、最近、自分がいろいろ考えていることを哲学的にはどういう事かと一言で言うならば「心の暗黙の前提となっているプラトン主義からの離...
多分、西洋的な形而上学批判をしているのだろうけど、文章を読んでも、一体、何をいっているのか全く分からない。ということで、敬遠してきたデリダ。 なのだが、最近、自分がいろいろ考えていることを哲学的にはどういう事かと一言で言うならば「心の暗黙の前提となっているプラトン主義からの離脱」かなー、と思い、それなら、きっと苦手なデリダさんも役に立つかもしれない。という気になった。 が、デリダ本人の本は、難しいので、解説書からスタートすることとする。(通常、私は、解説書なしで、まずは本人の書いたものを読むことを大切にしているのだけど) で、驚いた。なんだ、こういう人だったのか!こういうことを言っていたのか!目から鱗が落ちまくった。 「プラトンのパルマケイアー」なる論文でのプラトンの解釈とか、本当にスリリングだし、脱構築は、なんでもかんでも非決定にしてしまうことが目的ではなくて、「決定不能ななかで決定すること」やその責任とか、正義といった問題に向かっているというところは、すごく自分の問題意識にジャストフィットであった。 つまり、「法は脱構築可能だが、正義は脱構築不能。脱構築は正義だ。それは、他者の声、死者や未来の人も含めた他者の声を受け入れ、決定不能であることをしっかり意識しながら選択を行うこと。つまり、来るべき民主主義に向かっての運動なのだ!」って、ことなのか????? こうした単純化(=形而上学化)された思考こそ、脱構築されるべきものなのだろうが、とりあえず、そういうふうに理解してみた。 ついでに、最近読んだスピヴァクの「サバルタンは語る事ができるか」の問題意識のありようもよく分かった。(スピヴァクは、かなりストレートなデリダ派なのね。マルクスの絡ませ方まで含めて) もう一つついでに、直前に読んだ中沢新一氏の「対称性人類学」が、贈与論や形而上学批判を中心に、多くのアイディアをデリダから持ってきている事も発見した。(が、中沢氏は、デリダへの言及はあまりしていない。。。もちろん、形而上学批判は、デリダに限定されたものではないし、デリダの贈与論もバタイユをベースにしていて、中沢氏もバタイユには言及しているから、良いと言えば良いけど。。。) しばらく、デリダ関係を勉強してみることとする。
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