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兵学と朱子学・蘭学・国学 近世日本思想史の構図 平凡社選書
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兵学と朱子学・蘭学・国学 近世日本思想史の構図 平凡社選書

前田勉(著者)

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兵学と朱子学・蘭学・国学 近世日本思想史の構図 平凡社選書

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 平凡社
発売年月日 2006/03/15
JAN 9784582842258

兵学と朱子学・蘭学・国学

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商品レビュー

4.7

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2018/01/16

兵学・朱子学・蘭学・国学という近世思想史を構成する四本の軸の内容を概括しながら「日本人」というナショナルアイデンティティがどのようにして生まれてきたのかを問う。貨幣経済の発生により近世兵営国家は内側から崩壊し、そこで生まれてきたのが蘭学と国学であるとし、「西欧の衝撃」以前に「日本...

兵学・朱子学・蘭学・国学という近世思想史を構成する四本の軸の内容を概括しながら「日本人」というナショナルアイデンティティがどのようにして生まれてきたのかを問う。貨幣経済の発生により近世兵営国家は内側から崩壊し、そこで生まれてきたのが蘭学と国学であるとし、「西欧の衝撃」以前に「日本人」というナショナルアイデンティティが生まれてきた可能性を指摘した。 丸山が日本版ロックとして見立てた福沢を引用し文章を締めくくるが、前田先生の描き方も丸山同様に、これがまたかっこいい!! 「日本には政府ありて国民(ネーション)なし」(『文明論之概略』巻5)と批判した福沢は文明の精神としての独立自尊の精神の重要性を繰り返し主張し、人々の卑屈な奴隷根性を革新しようとした。その福沢は『学問のすすめ』のなかで、人間の悪徳のなかでもっとも唾棄すべきは「怨望」であると説いていた。怨望とは進取の気持ちがなく、他人の有様を見て不平を抱き、他人を不幸に陥れることによって満足する卑劣な感情であって独立自尊の精神の反対物である。これまで見てきた国学の、そして明治国家によって鼓舞され、「臣民」に注入されたナショナルアイデンティティとはまさにこの「怨望」に起因していたのである。 ※ちなみに前田先生は「儒学・国学・洋学」(大津透 他編『岩波講座 日本歴史 第12巻 近世3』岩波書店、2014年)において「天皇権威は不条理な世界に生きる個人の不安な精神を補填するイデオロギー的な機能を持ち続けることになるのである。」とも述べている。 この二つのメッセージを読んで、思わず「あぁ今も…」と言葉が漏れてしまった。単なる歴史の叙述に留まらず現代人にも通用するという点においても歴史を相対化する意味を考えさせてくれた本である。

Posted by ブクログ

2010/06/11

[ 内容 ] 近世の支配思想は兵学である。 人切庖丁を腰に提げた者らの統治思想たる兵学、地に足がつかない理念倒れ だからこそもちうる朱子学の批判的可能性、カネの威力がもたらす社会的解体状況のなか、自立せる強者の思想・蘭学、理不尽な不幸に拉がれる弱者のルサンチマンが醸成する国学―鮮...

[ 内容 ] 近世の支配思想は兵学である。 人切庖丁を腰に提げた者らの統治思想たる兵学、地に足がつかない理念倒れ だからこそもちうる朱子学の批判的可能性、カネの威力がもたらす社会的解体状況のなか、自立せる強者の思想・蘭学、理不尽な不幸に拉がれる弱者のルサンチマンが醸成する国学―鮮やかに描き出される近世思想の新構図。 [ 目次 ] 近世日本思想史の四本軸 1 兵学(兵学と士道論―兵営国家の思想;中国明代の兵家思想と近世日本) 2 朱子学(「武国」日本と儒学―朱子学の可能性;古賀〓(とう)庵の海防論―朱子学が担う開明性 女性解放のための朱子学―古賀〓(とう)庵の思想2) 3 蘭学(功名心と「国益」―平賀源内を中心に) 4 国学(近世天皇権威の浮上;太平のうつらうつらに苛立つ者―増穂残口の思想とその時代;本居宣長の「漢意」批判;大嘗祭のゆくえ―意味付けの変遷と近世思想史) [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

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2006/07/29

 この著作の軸は二つある。ひとつは、日本近世の支配的な思想は朱子学ではなく、兵学であったとすること。ふたつめは 近代天皇制を、権力側・対外的な要因だけで捉えるのではなく、被支配者・内発的な視点の重要性を提示していること。もちろんこの二つは連動している。  なぜ近世国家を「統治理論...

 この著作の軸は二つある。ひとつは、日本近世の支配的な思想は朱子学ではなく、兵学であったとすること。ふたつめは 近代天皇制を、権力側・対外的な要因だけで捉えるのではなく、被支配者・内発的な視点の重要性を提示していること。もちろんこの二つは連動している。  なぜ近世国家を「統治理論を兵学に置く兵営国家」と捉えるのか。それは「以法破理」(元和令)という「理」よりも「法」が優先することを説いた一節が象徴している。もともと将軍・大名は、聖人のような内面的充実によってではなく、現に力があったからの支配者であった。それは当然厳格な「法」(=「軍法」)による命令―服従の貫徹する、タテの組織を維持させることになった。人々は決められた「役」に当てはめられ、先祖伝来の家業を律儀に勤めることが至上とされた。そこでは中国の士大夫=読書人の思想である朱子学などは現実離れした道学でしかなかったのである。  ではそうした「武威」の国家の中で、なぜわれわれは「日本人」だというナショナル・アイデンティティが内発的に、そして被支配者から高揚することになったのか。その大きな要因は17世紀後半からの商品経済の発達にあったとする。強固なタテの階層秩序が浸透していたからこそ、カネの力でそれを超越する「成揚者」の存在は少なくない動揺をもたらした。とくにそこで疎外されていた「下々に生れ出たる」者のルサンチマンは強く、それにもとづく幻想こそが「天皇」や「日本」という言説に結びついていったのである。  ここには一見間逆の二つの動機が存在している。ひとつは絶対的、普遍的な「天皇」を設定することで、そのもとでの万民の「平等」を説く理念。これは階層秩序が生み出す差別への不満である。もうひとつは「日本」が天皇を中心とした「系図」という出自の幻想。 「不肖」の身に生きる者を、「神国」日本という偉大な存在に回収させることで名誉を獲得させるもの。これはむしろ商品経済の進展のなかで崩れつつある階層秩序の復権である。注目すべきはこれを「下の者」が望んだという構図であろう。  近代天皇制に至る過程を、近世における兵営国家とその構造が涵養した「下から」の幻想によって検証した本書は、既存の研究における欠落部分を明解にし、それを補う内容であった。

Posted by ブクログ

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