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戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 青土社/ |
発売年月日 | 2005/08/15 |
JAN | 9784791762019 |
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戦後日本のジャズ文化
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商品レビュー
4.1
7件のお客様レビュー
前半は、映画(黒澤明「酔いどれ天使」、裕次郎「嵐を呼ぶ男」)、小説(五木寛之「さらばモスクワ愚連隊」)等がジャズから種々の影響を受けて創作されたことを、具体的に面白く書いてある。戦後の多くの文化人がジャズの影響を受けた。また一度限りの即興性をもつジャズ演奏とは対極になる、レコード...
前半は、映画(黒澤明「酔いどれ天使」、裕次郎「嵐を呼ぶ男」)、小説(五木寛之「さらばモスクワ愚連隊」)等がジャズから種々の影響を受けて創作されたことを、具体的に面白く書いてある。戦後の多くの文化人がジャズの影響を受けた。また一度限りの即興性をもつジャズ演奏とは対極になる、レコードによるジャズ喫茶に関する論考も日本的で面白い。しかしジャズを知らない私は徐々に疲れて、226頁で中断。
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最近、ジャズを聴く事が多い。好きな音楽はいろいろあるのだが、定期的にジャズが聴くものの中心になる。単なる気分なのか。今度の場合、リスニング環境が最近すこし変って、ジャズ以外の音楽が今ひとつうまく再生できないというのもありそうだ。 いずれにせよ、フリージャズ的なものを中心としな...
最近、ジャズを聴く事が多い。好きな音楽はいろいろあるのだが、定期的にジャズが聴くものの中心になる。単なる気分なのか。今度の場合、リスニング環境が最近すこし変って、ジャズ以外の音楽が今ひとつうまく再生できないというのもありそうだ。 いずれにせよ、フリージャズ的なものを中心としながらジャズを聴くと、なんだか時代錯誤な感じがしてくる。もちろん、フリージャズを「これが最先端だ」なんて思って聴いているわけでなくて、単にその辺が個人的に聴いてて面白いから聴いてるだけなんだけど。 なんてことを思っているうちに、「日本におけるジャズの受容の歴史」みたいなことが気になりだし、この本を手に取ってみた。 まさに戦後の日本文化に対してジャズの担った役割とその変遷というのが、うまくまとめてあると思う。五木寛之の初期のジャズをテーマにした小説の分析は的確だし、ジャズの精神であるはずの自由に反するジャズ喫茶の抑圧的なルールみたいなのも面白い。また、ジャズ評論家として相倉久人や平岡正明に言及しているも実に鋭い。最後のほうで、やっぱりこの人に出てもらわなきゃな村上春樹もちゃんとでてくる。 個人的には植草甚一について1度ちょっと触れる程度でまとまった言及がないのは、すこし寂しかったが。。。 いずれにせよ、一番面白いのは、60年代~70年代前半という日本でのジャズ文化全盛時代の分析で、当時の様々なカウンターカルチャーや政治状況と絡みつつ、多分に観念的なものとして、先進的な若者の必須科目としてジャズがあったということ。 つまり、絶えず進化しつづける自由な音楽、体制に対する抵抗の音楽として、ジャズが聴かれていたということである。そのこと自体は必ずしも間違いではないのだが、それが、教養主義的、教条主義的な日本的なジャズの聴き方を生み出したわけだ。 そして、そうしたイデオロギーから解放されて久しい今、ジャズを聴く人は多くない。が、喫茶店やレストランのBGMを通じて、限りなく日常的に消費され続ける音楽となっているわけである。 というなかで、私は、ornette coleman, eric dolphy, don cherry, art ensemble of chicagoみたいないわゆるフリージャズを今ただ音楽としての面白さのみから聴いているわけだが、なんだかやっぱり変な気持ちになるな。
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1960年代に渋谷や新宿あたりの薄暗いジャズ喫茶に入り浸り、マイルスやコルトレーンを聞いていた人間には堪らなく懐かしさを覚える本である。無定形なエネルギーが狂ったように渦巻いていた時代だからこそ、妙にストイックな空間が生まれたのかもしれない。 ジャズ喫茶はお話するところで...
1960年代に渋谷や新宿あたりの薄暗いジャズ喫茶に入り浸り、マイルスやコルトレーンを聞いていた人間には堪らなく懐かしさを覚える本である。無定形なエネルギーが狂ったように渦巻いていた時代だからこそ、妙にストイックな空間が生まれたのかもしれない。 ジャズ喫茶はお話するところではありませんよ。‥‥ アベックで来るなどという不謹慎は許しませんよ。‥‥ リクエストは‥‥タイトルが間違っていたらかけませんよ。‥‥ このレコードのA面はよくないからB面しかかけませんよ。‥‥ 本はなるべく読まないでほしいけど、 どうしてもというなら、単行本にして下さいよ。‥‥ 新聞はガサガサいうから勘弁して下さいよ。 原稿書きはもってのほかですよ。‥‥ サングラス、ハラマキ、ステテコは入場お断りですよ。 (本文p.192より) 当時はこんな掟を当然と思って毎日のように通っていたわけだが、これで商売がやっていけたのだから、まるで夢のような時代である。 さらにはそんな時代を蘇らせてくれたのが、みずからジャズ・ピアノも弾くという戦後日本文学研究を専門とするアメリカ人というのだから、まさしくThings ain't what they used to be ! である。 本書はイキのいいアメリカ人と戦後日本のジャズ文化が鎬をけずるジャム・セッションといえよう。
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