戦後日本のジャズ文化 の商品レビュー
前半は、映画(黒澤明「酔いどれ天使」、裕次郎「嵐を呼ぶ男」)、小説(五木寛之「さらばモスクワ愚連隊」)等がジャズから種々の影響を受けて創作されたことを、具体的に面白く書いてある。戦後の多くの文化人がジャズの影響を受けた。また一度限りの即興性をもつジャズ演奏とは対極になる、レコード...
前半は、映画(黒澤明「酔いどれ天使」、裕次郎「嵐を呼ぶ男」)、小説(五木寛之「さらばモスクワ愚連隊」)等がジャズから種々の影響を受けて創作されたことを、具体的に面白く書いてある。戦後の多くの文化人がジャズの影響を受けた。また一度限りの即興性をもつジャズ演奏とは対極になる、レコードによるジャズ喫茶に関する論考も日本的で面白い。しかしジャズを知らない私は徐々に疲れて、226頁で中断。
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最近、ジャズを聴く事が多い。好きな音楽はいろいろあるのだが、定期的にジャズが聴くものの中心になる。単なる気分なのか。今度の場合、リスニング環境が最近すこし変って、ジャズ以外の音楽が今ひとつうまく再生できないというのもありそうだ。 いずれにせよ、フリージャズ的なものを中心としな...
最近、ジャズを聴く事が多い。好きな音楽はいろいろあるのだが、定期的にジャズが聴くものの中心になる。単なる気分なのか。今度の場合、リスニング環境が最近すこし変って、ジャズ以外の音楽が今ひとつうまく再生できないというのもありそうだ。 いずれにせよ、フリージャズ的なものを中心としながらジャズを聴くと、なんだか時代錯誤な感じがしてくる。もちろん、フリージャズを「これが最先端だ」なんて思って聴いているわけでなくて、単にその辺が個人的に聴いてて面白いから聴いてるだけなんだけど。 なんてことを思っているうちに、「日本におけるジャズの受容の歴史」みたいなことが気になりだし、この本を手に取ってみた。 まさに戦後の日本文化に対してジャズの担った役割とその変遷というのが、うまくまとめてあると思う。五木寛之の初期のジャズをテーマにした小説の分析は的確だし、ジャズの精神であるはずの自由に反するジャズ喫茶の抑圧的なルールみたいなのも面白い。また、ジャズ評論家として相倉久人や平岡正明に言及しているも実に鋭い。最後のほうで、やっぱりこの人に出てもらわなきゃな村上春樹もちゃんとでてくる。 個人的には植草甚一について1度ちょっと触れる程度でまとまった言及がないのは、すこし寂しかったが。。。 いずれにせよ、一番面白いのは、60年代~70年代前半という日本でのジャズ文化全盛時代の分析で、当時の様々なカウンターカルチャーや政治状況と絡みつつ、多分に観念的なものとして、先進的な若者の必須科目としてジャズがあったということ。 つまり、絶えず進化しつづける自由な音楽、体制に対する抵抗の音楽として、ジャズが聴かれていたということである。そのこと自体は必ずしも間違いではないのだが、それが、教養主義的、教条主義的な日本的なジャズの聴き方を生み出したわけだ。 そして、そうしたイデオロギーから解放されて久しい今、ジャズを聴く人は多くない。が、喫茶店やレストランのBGMを通じて、限りなく日常的に消費され続ける音楽となっているわけである。 というなかで、私は、ornette coleman, eric dolphy, don cherry, art ensemble of chicagoみたいないわゆるフリージャズを今ただ音楽としての面白さのみから聴いているわけだが、なんだかやっぱり変な気持ちになるな。
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1960年代に渋谷や新宿あたりの薄暗いジャズ喫茶に入り浸り、マイルスやコルトレーンを聞いていた人間には堪らなく懐かしさを覚える本である。無定形なエネルギーが狂ったように渦巻いていた時代だからこそ、妙にストイックな空間が生まれたのかもしれない。 ジャズ喫茶はお話するところで...
1960年代に渋谷や新宿あたりの薄暗いジャズ喫茶に入り浸り、マイルスやコルトレーンを聞いていた人間には堪らなく懐かしさを覚える本である。無定形なエネルギーが狂ったように渦巻いていた時代だからこそ、妙にストイックな空間が生まれたのかもしれない。 ジャズ喫茶はお話するところではありませんよ。‥‥ アベックで来るなどという不謹慎は許しませんよ。‥‥ リクエストは‥‥タイトルが間違っていたらかけませんよ。‥‥ このレコードのA面はよくないからB面しかかけませんよ。‥‥ 本はなるべく読まないでほしいけど、 どうしてもというなら、単行本にして下さいよ。‥‥ 新聞はガサガサいうから勘弁して下さいよ。 原稿書きはもってのほかですよ。‥‥ サングラス、ハラマキ、ステテコは入場お断りですよ。 (本文p.192より) 当時はこんな掟を当然と思って毎日のように通っていたわけだが、これで商売がやっていけたのだから、まるで夢のような時代である。 さらにはそんな時代を蘇らせてくれたのが、みずからジャズ・ピアノも弾くという戦後日本文学研究を専門とするアメリカ人というのだから、まさしくThings ain't what they used to be ! である。 本書はイキのいいアメリカ人と戦後日本のジャズ文化が鎬をけずるジャム・セッションといえよう。
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外国人が分析する日本昭和アングラ文化本 読み物としての面白さもあるが客観的評が個人的には凄く新鮮なモノでジャズ好き以外にも昭和文化が好きな人間には是非お勧めしたい1冊
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[文学賞情報] 2006年 第28回 サントリー学芸賞・社会・風俗部門受賞 [要旨] 戦後文化に刻まれたビート。黒沢明、裕次郎、そして若松孝二からアニメまで。五木寛之、倉橋由美子、中上健次、平岡正明、筒井康隆、村上春樹、そしてジャズ喫茶からジャズ革命論まで。ジャズはいかに受容さ...
[文学賞情報] 2006年 第28回 サントリー学芸賞・社会・風俗部門受賞 [要旨] 戦後文化に刻まれたビート。黒沢明、裕次郎、そして若松孝二からアニメまで。五木寛之、倉橋由美子、中上健次、平岡正明、筒井康隆、村上春樹、そしてジャズ喫茶からジャズ革命論まで。ジャズはいかに受容され、いかに多くの表現者たちの源泉となってきたか―。日米のジャズ、文学に通暁するこの著者にしか書けなかった、異色のジャズ文化論書き下ろし。戦後カルチャー論の空隙を突く野心作。 [目次] 第1章 自由・平等・スウィング?―終戦前後の日米ジャズ再考; 第2章 大衆文化としてのジャズ―戦後映画に響くもの; 第3章 占領文学としてのジャズ小説―五木寛之の初期作品を中心に; 第4章 挑発するジャズ・観念としてのジャズ―一九六〇‐七〇年代ジャズ文化論(1); 第5章 ジャズ喫茶解剖学―儀式とフェティッシュの特異空間; 第6章 破壊から創造への模索―一九六〇‐七〇年代ジャズ文化論(2); 第7章 過去の音楽へ―近年のメディアとジャズ文化 もう少し若いときに出会いたかった 面白い 良い
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戦後文化に刻まれたビート。黒沢明、裕次郎、そして若松孝二からアニメまで。五木寛之、倉橋由美子、中上健次、平岡正明、筒井康隆、村上春樹、そしてジャズ喫茶からジャズ革命論まで。ジャズはいかに受容され、いかに多くの表現者たちの源泉となってきたか―。日米のジャズ、文学に通暁するこの著者に...
戦後文化に刻まれたビート。黒沢明、裕次郎、そして若松孝二からアニメまで。五木寛之、倉橋由美子、中上健次、平岡正明、筒井康隆、村上春樹、そしてジャズ喫茶からジャズ革命論まで。ジャズはいかに受容され、いかに多くの表現者たちの源泉となってきたか―。日米のジャズ、文学に通暁するこの著者にしか書けなかった、異色のジャズ文化論書き下ろし。戦後カルチャー論の空隙を突く野心作。 (「BOOK」データベースより) 資料番号:010820272 請求記号:764.7/モ 形態:図書
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古巣のジャズ研の先輩と喫茶店に入ったときに、この本のことが話題に上った。 私は、2年の時の授業(日本文化論)に、この本を読んでいたのだけど、先輩はこの本で、卒論を書くとのことだった。 本書の内容を簡単にさらってみるなら、日本におけるジャズとその周辺文化を、特定の作家、映画作品...
古巣のジャズ研の先輩と喫茶店に入ったときに、この本のことが話題に上った。 私は、2年の時の授業(日本文化論)に、この本を読んでいたのだけど、先輩はこの本で、卒論を書くとのことだった。 本書の内容を簡単にさらってみるなら、日本におけるジャズとその周辺文化を、特定の作家、映画作品、時代などにスポットを当てて論じている、どちらかというと読み物調のサブカル学術書といったところか。(「読み物調」と感じたのは、私が浅学ながらもジャズをかじっているからかもしれない) ジャズ喫茶が醸成したビバップ以降の日本における硬派な(=小難しくて、敷居の高い)ジャズファンの姿勢、ライブよりもレコードを重視する聴取形態を分析し、愛情と親近感故のジャズ喫茶批判(筆者自身もジャズ喫茶の常連客である)を展開している点が、本書の読みどころのひとつだと思った。 実際に、ジャズ喫茶の店主さんだって、「ライブに足を運ぶべき」だと言っているし、それはジャズ喫茶で青春を過ごした、ジャズファンだって自覚している。しかしながら、なかなかその一歩が踏み出せない。自分たちのジャズはジャズ喫茶で聴いたジャズであった以上、理解はしていても実感はできないということだろう。 本書で、「ライブに行こう」と筆者が言い切る(言い切ることができる)背景には、筆者がジャズ・ピアニストであることが大きく関係していると思う。 私も、ジャズ研に在籍していたことがあるからわかるが、プレイヤーはレコードよりもライブを重視する。レコードで感じ取れないものが、ライブにはある。ライブに行ってそれを盗んでこいと、よく言われたことを思い出す。 もうひとつ、後半の読みどころとして、近年のジャズを取り巻く現状に関しての論説が面白かった。iPod、インターネットでの音楽配信などの音楽聴取におけるイノベーションが、ジャズをBGM化している。ポスト・モダン以降、ジャズの行く末について、あれこれと論議されているのだろうけれど、一番、身近で実感の持てる 話題として読むことができた。ただ、現状を語るにあたり、クラブ・シーンでのジャズの存在について触れられていない点が、気になった。 筆者は最後に、日本における「戦後」とは、いつ始まり、いつ終ったのかというテーマで論じているが、クラブ・ジャズの登場は、「ポスト・戦後」の事柄ということなのだろうか? 以上、述べたことは、私が本書を読んで感じたこと、考えたこと。 冒頭のジャズ研の先輩と本書について語ったことは、「筆者は本当にアメリカ人なんすかね?」「だよな、この本、日本語上手すぎだもん」「そうっすよね。どこぞの教授の書く学術書なんかより、よっぽど分り易くて、面白いっすもん」といった、のどかな世間話だけでした。 それよりも、先輩にできた新しい彼女の話題で盛り上がっていました。
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