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ディアスポラ ハヤカワ文庫SF
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 早川書房/ |
発売年月日 | 2005/09/30 |
JAN | 9784150115319 |
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ディアスポラ
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商品レビュー
4.2
41件のお客様レビュー
グレッグ・イーガンの…
グレッグ・イーガンの描く遠未来史。ステープルドンや小松左京が挑んだ「宇宙の中での人間的存在の意味」というある意味SFの究極テーマに対する、イーガンの一つの回答です。理数系の難解なアイディアを盛り込んだ本作は冒頭からその難解さで読む人を圧倒します。でも大丈夫、わからないところはわか...
グレッグ・イーガンの描く遠未来史。ステープルドンや小松左京が挑んだ「宇宙の中での人間的存在の意味」というある意味SFの究極テーマに対する、イーガンの一つの回答です。理数系の難解なアイディアを盛り込んだ本作は冒頭からその難解さで読む人を圧倒します。でも大丈夫、わからないところはわからないまま読んでも十分に読めるし、面白いです。すべてのSF少年と、元・SF少年にお勧めしたい一冊。
文庫OFF
「30世紀、人類のほとんどは肉体を捨て、人格や記憶をソフトウェア化して、ポリスと呼ばれるコンピュータ内の仮想現実都市で暮らしていた。ごく少数の人間だけが、ソフトウェア化を拒み、肉体人として地球上で暮らしている。“コニシ”ポリスでソフトウェアから生まれた孤児ヤチマの驚くべき冒険譚を...
「30世紀、人類のほとんどは肉体を捨て、人格や記憶をソフトウェア化して、ポリスと呼ばれるコンピュータ内の仮想現実都市で暮らしていた。ごく少数の人間だけが、ソフトウェア化を拒み、肉体人として地球上で暮らしている。“コニシ”ポリスでソフトウェアから生まれた孤児ヤチマの驚くべき冒険譚をはじめ、人類を襲う未曾有の危機や、人類がくわだてる壮大な宇宙進出計画“ディアスポラ”などを描いた、究極のハードSF。」
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※このレビューにはネタバレを含みます
ディアスポラ、ようやく読みました。正直今までのイーガンの本の中では一番わかっていないで読んでいる部分が多かったと思うのだけど、話自体はなんとか追っていました。作中人物ほど、何かが明らかになった時に驚嘆できないのが残念だけど仕方がない笑 解説の大森望の言葉が最大級の賛辞でぜひ引用したい。 グレッグ・イーガンは、疑問の余地なく、現在の地球上で最高のSF作家である。…SF史全体を見渡しても、思考の徹底度においてイーガンを凌ぐ可能性があるのは、かろうじてスタニスワフ・レムぐらいだろう。イーガンはほとんど独力で現代SFの最先端を支えている。…「グレッグ・イーガンがSF作家でいてくれてよかった」という気分になるのが主観的宇宙論三部作だとしたら、SF読者にとっての『ディアスポラ』は、「いままでSFを読んできてほんとうによかった」という気持ちにさせてくれる小説だ。イーガンと同時代に生きているしあわせを心から喜びたい。 ここでもう全部述べられている気はするのですが、残念ながら『ディアスポラ』を読んでも、「いままでSFを読んできてほんとうによかった」という深い感慨にまではたどり着けなかった。おそらく先に三体を読んでいるからで、もし三体以前に読んでいたらきっとそういう気持ちを得ていたのではないかなと推測している。三体の方がわかりやすかったのもあり、途方もない彼方まで飛んでいくということに対してドーパミンドバドバにはなれなかったよう。それを考えると三体、それから他のSF作品で『ディアスポラ』に影響されている作品は山ほどあるんだろうなあと思う。とはいえ最後読み終わった後の読了感は何とも言えない、じーんとしたものだった。どうしてここまできたのか?に対する答えが態度として理解されたときの感動(言葉でなく)がそこにあった。 といいつつ、私はむしろ最初のヤチマが自我を持つまでのシーンに感動を覚えていた。生命の誕生ともいうべき工程が丁寧に描かれ、そこで自分なるものが発生する神秘・不思議に惹かれた。 あとはオーランドとアトランタで会うところもそのあとのトカゲ座の災害のシーンも好きだったな…。イノシロウ…(ちょこちょこ日本っぽい名前出てくる) そして本作でもメインテーマの一つは「私とはだれなのか?」というアイデンティティの問題。 「別の目標を見つけて、それを新しい目標に決めることはできるだろうけれど…そのときもぼくはぼくなのか?」(p.237) 「ぼくらの現状は、それとは正反対だ。際限のない選択肢がある。ぼくらがほかの宇宙航行文明を見つけることの必要な理由は、それだ。…ぼくらは同じ決断に直面して、いかに生き、なにになるべきかを理解した他者を見つける必要がある。ぼくらは、宇宙に存在することの意味を知る必要がある」(p.290) ここは後のパオロ・ヤチマの先へ先へという原動力に繋がる場面でもあるけれど、心打たれたシーンだった。ともすると、もうなんとなくやるべきことをやったと思いがちな人生において、まだまだやるべきことがあるだろうと叱咤激励してくれる。まあパオロは最後やるべきことはやりつくしたとなるのだけど、それはあそこまで行ってこそ、そう思っていいのだと思いました。 それにしてもイーガンはどうしてこんなに彼方まで自分の想像力を飛ばせるのか、不思議でならない… 「…だが何兆タウものあいだに、ハーマンは人生経験の記憶の大半を消去し、十回以上も人格を書きかえていた。以前パオロはきかされたことがある。「おれは自分自身の曾々々孫だと思っている。死ぬのもそんなに悪いものじゃないね、何度にもわけて経験するなら。それは不死と同じだ」(p.298) 次は残していた主観的宇宙論三部作の三作品目である万物理論を読む予定。
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