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わが師わが友
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 河出書房新社/ |
| 発売年月日 | 2004/05/30 |
| JAN | 9784309016368 |
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わが師わが友
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商品レビュー
4.5
2件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
32年近く続いた週刊新潮連載「男性自身」はよく覚えています。山口瞳さん(1926~1995)「わが師わが友」、2004.5発行。師、先輩、友、後輩について語られています。①師では、高橋義孝、吉野秀雄(歌人)②先輩では、高見順、五味康祐、吉行淳之介、池波正太郎 ③友では、開高健、伊丹十三、梶山季之、滝田ゆう、向田邦子、河野多恵子 ④後輩では、山藤章二、寺山修司、大江健三郎、高橋三千綱、岸本加世子、北の湖、大山康晴、川上哲治。
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単行本未収録のエッセイを集めて一冊にする。編集者の仕事である。わたしは、こういう本をひそかに「落ち穂拾い」と読んでいる。巧い書き手を見つければ、それだけで一冊の本が出来上がる。もっとも、作者の承諾が必要だろうから、関係の深い出版社や編集者しか手がけられない。それに、落ち穂とはいっ...
単行本未収録のエッセイを集めて一冊にする。編集者の仕事である。わたしは、こういう本をひそかに「落ち穂拾い」と読んでいる。巧い書き手を見つければ、それだけで一冊の本が出来上がる。もっとも、作者の承諾が必要だろうから、関係の深い出版社や編集者しか手がけられない。それに、落ち穂とはいってもそこはそれ、ブランド米でないといけない。山口瞳はブランドである。しかも、もう二度と新しい穂は実ることがない。 『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞した63年から90年までに書かれたエッセイを集めたものである。一読して気づくのは、文章にばらつきが見つからないことだ。若いうちに自分のスタイルを身につけた証拠である。山口瞳が、開高健や柳原良平と寿屋のPR誌『洋酒天国』に携わっていた話はよく知られている。短いセンテンスと言い切り口調の多用はコピーライターの文体かと思ったらそうではないらしい。 文章について書かれた物の中に「鴎外の文章にシビレルという時期が長く続いた」とある。また、「紀行文を書く時は、内田百閒先生と井伏鱒二先生のマネをしようと思っている」とも書いている。手本は名文である。簡潔で要を得た文章は、意図して採用したスタイルなのであった。スタイリストぶりは吉野秀雄と並んで「わが師」と敬愛する高橋義孝氏譲り。なにしろ蝶ネクタイと相撲好きで知られるこの老独文学者から、高価な服や着物を直接もらっている愛弟子である。 二人の師について語った文章もそうだが、このひと、人間についての見巧者である。ぼんやりとものを見ている者には見えない、もしかしたらその人自身でさえ気づいていないかも知れない暗部をさっとつかみとる。吉行淳之介が週刊誌に小説を連載したことをからかわれて著者を呼び出し、殴ろうとする場面がある。「印刷工場の暗い物陰で、吉行さんは、長身を曲げて、私を睨み、荒い息をしておられた」。遊蕩児然とした吉行の裡に秘された純文学作家としての自負や葛藤が、はからずも現れた場面をこう書いてしまう。傍に置きたくない人である。 伊丹がまだ一三だった頃、山口家を訪れている。二十歳当時の伊丹は、ハニカミヤで控え目で無口だった。何事にも本格的で「日常生活のあらゆることについて厳密であろうとしている」ところを山口が、気に入ったであろうことはまちがいない。しかし、「無類の優しさと純心」を身につけ、友人に囲まれた伊丹に、「一種の『憂鬱』とでも呼びたい雰囲気がただよっている」ことを山口は喝破している。亡くなったばかりの川島雄三が伊丹に似ていると言いつつ、こう続ける。 「伊丹さん、あなたがユーウツそうな顔をして私を悲しませる、ということをしないでくれ給え。そして長生きをしてください。私には人生には『まだ、何かがある』というように思えるんだよ。すくなくともそう思いながら暮らそうじゃないか。」 この文章が書かれたのは63年。伊丹が飛び降り自殺を試みるのはずっと後のことである。しかし、伊丹の中にある「憂鬱」を見抜き、後の行動を諭すようなこの文章は、まるで自殺直前の伊丹に話しかけているようではないか。なんという眼力だろう。そして、この人の目に映った、もう一人の若者は、こう書かれる。「大江さんの体重は、十九貫になっていた。差し引き八貫目という重量はいったい何だろう。それは解消されたコンプ劣クスの総量ではあるまいか。」山口は、大江の仕事は認めながら、その人間にはついに相容れないものがあったのだろう。『個人的な体験』の末尾の文章についてこう記す。 「私は大江さんのようにすぐれた資質の人たちにいろいろ教えてもらい、リードしていただきたいと願っている。しかし、この三行は全く不要だと考える。『個人的な体験』という「苦闘の汗しぶき」を流した小説の結末が《忍耐》であることがちょっと困る。私たちにとって《忍耐》はいつも出発点なのである。」 山本周五郎を師と仰いだ作家ならではの眼ではないか。
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