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淳 それから
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2005/10/15 |
JAN | 9784104265022 |
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酒鬼薔薇聖斗。保護観察期間が過ぎた二〇〇五年の一月一日午前0時、正式退院を迎えたかつての少年Aは、市民Aとなった。名前を変え、一人の二十二歳の青年として、われわれの暮らす一般社会に戻ったのだ。事件から七年八ヵ月後のことだった。 どんなに深い悲しみや怒りも、やがては「時」が癒して...
酒鬼薔薇聖斗。保護観察期間が過ぎた二〇〇五年の一月一日午前0時、正式退院を迎えたかつての少年Aは、市民Aとなった。名前を変え、一人の二十二歳の青年として、われわれの暮らす一般社会に戻ったのだ。事件から七年八ヵ月後のことだった。 どんなに深い悲しみや怒りも、やがては「時」が癒してくれる。私たちは、しばしばそんな思いを抱きがちだ。多くの場合、それは"善意”からには違いない。だから、犯罪被害者に対しても、つい、「頑張ってください」という言葉をかけてしまう。 だが、現実はそう生易しいものではない。社会もそう単純なものではない。 「「もうこれだけ頑張っているのに、誰にも「頑張って」なんて言われたくない」と思うはずだろう。 「殺されたのは、その子や家族にも、きっと何か理由があったのだろう」、犯罪被害者たちの多くは、事件が起きた後も、延々とこんな言葉に晒される。それは、まさに予断と偏見以外の何ものでもない。また、無数の好奇の目が注がれることも少なくない。実際、補償も賠償もほとんどなく、経済的負担はきわめて大きいにもかかわらずだ。それらが作り出す、いわば社会の見えない"濁流”に、犯罪被害者と呼ばれる人々のほとんどは、危うい心を抱えながら、押し流されないように必死に踏ん張って生ている。 二〇〇〇年の五月、「全国犯罪被害者の会(通称・あすの会)」代表幹事の岡村勲弁護士に会った土師淳君のお父さんは、メンバーの一員に加わった。同じ犯罪被害者の人たちと知り合い、お互いに関係を築いていく中で、土師氏が苦しみの底で唱え続けた言葉は、大きな声になっていく。司法制度の中で「忘れられた人々」と呼ばれた犯罪被害者の訴えは、その後の「改正少年法」「ストーカー規制法」「DV防止法」等の成立へとつながった。さらに、マスコミによる報道被害への取り組みや、被害者への支援体制作りも進展した。事件の起きた一九九七年の五月二四日からの八年間、何があったのか。本書はそれを辿ったものである。 被害者の父親は言う。被害者に必要なものは「情報」であり、加害少年に必要なものは「罪の自覚」だ。「自分が何を、どれ程のことをやったのか」をきちんと本人が自覚しなければ、何も始まらない。加害者に「痛み」を考えさせることからしか、反省は生じない。審判で「自覚」させ、その後の処遇で「痛み」を考えさせてこそ「贖罪教育」があるべきだと。
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わたしは永遠に子供を失ってしまった。なのに、犯人は更生したかも分からない中、社会の中でのうのうと生きている。出所した犯人の居所も教えて貰えず、本当に更生したのか、なぜ、自分の子供を殺したのか、何も分からないまま、真実を探そうとする土師さんの執念を感じた。猟奇的な事件で、しかも14...
わたしは永遠に子供を失ってしまった。なのに、犯人は更生したかも分からない中、社会の中でのうのうと生きている。出所した犯人の居所も教えて貰えず、本当に更生したのか、なぜ、自分の子供を殺したのか、何も分からないまま、真実を探そうとする土師さんの執念を感じた。猟奇的な事件で、しかも14歳の犯人ということもあり、世間の好奇の目に晒され、生活も困難になるほど。記者が一日中、家の周りに群がっているなんて、監視されているような気持ちで、独房の中にいるような生活にいなくなってしまいたいと思うほど追い詰められていた。被害者である自分たちの方が生きづらい社会なんておかしい!と声をあげ、あすの会に参加することで癒えた傷もあると思うが、その度に息子が殺された現実を直視しなければならなかったのだろう。犯人が知り合い、しかも家に行くほど親しかったとなると、どうして?と思う気持ちは、より強いと思う。殺害された挙句、解体までされた息子に対し、可哀想以上の感情は湧かないし、犯人が何も思って生きていないと知ったら、怒りや苦しみを超え、虚しさが募るばかり。息子を失い、全てが変わってしまったながらも、生きていかなければならない。こんなに厳しい試練はあるだろうか。
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お子さんを亡くした後の心情を読んでいると苦しくなる。そこから少年法改正に向けて活動され、心が打たれた。私なら復讐のことしか考えられない。
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