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「命の大切さ」を実感する心の教育 この体験が生徒を変えた
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 学事出版 |
発売年月日 | 2004/03/15 |
JAN | 9784761910273 |
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「命の大切さ」を実感する心の教育
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「命の大切さ」を実感する心の教育
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この本の書影が自分の「ブクログ」の本棚に並ぶと思うと、レビューを書くこともためらわれたが、今の違和感を残しておくために、書くこととした。 農業高校の食品流通科の生徒に行なわれた、ニワトリを卵から孵化させ、育て、と殺して食べるという「心の教育」についての本である。当時、「情熱大陸...
この本の書影が自分の「ブクログ」の本棚に並ぶと思うと、レビューを書くこともためらわれたが、今の違和感を残しておくために、書くこととした。 農業高校の食品流通科の生徒に行なわれた、ニワトリを卵から孵化させ、育て、と殺して食べるという「心の教育」についての本である。当時、「情熱大陸」でも放送され、賛否両論があったそうだ。 自分は反対だ。それは、以下の理由による。 ①実際の畜産、食品加工の現場では、このように、名前まで付けて一対一の関係性を紡いだ動物をと殺して自ら食べるという行為は行なわれていない。ネット上では同様の反対意見に対して、これは食品加工の授業ではなく命の教育だという反論があったが、そのために実際に行なわれていない行為を「体験」させていることはいかがなものであろうか。 ②割卵(成長しつつある卵を少し割って中を見る)の「実習」では生徒が、「こんな一本の指くらいの太さしかないにわとりさんでも、がんばっているのを見て、この作業は実習というものより、「成長を知るための実験」としか思えなかった。」(49頁)と書いている。この「実習」のねらいは生徒には行う前、行っている間も自明のものとなっていて、教師がねらっていた本来の機能は、少なくともこの生徒には果たされていない。 ③生徒が解体を拒否することが増加している点について筆者は。「教育というものは、「いやだからしない」と言ったからしなくてもいいのだというような気楽なものではない。教育には「いやでもやった方がよいかもしれないことはやらせる」という強制力が必要である場合がある。学校における集団活動などがその例である。もちろん、この場合は、細心の配慮をしなければならない。」(55頁)と述べている。ネット上の反対意見には、生徒の人権無視、侵害だというものがあった。私も同意である。それにしても筆者の、「やった方がよいかもしれないこと」「必要である場合がある」という言い方はどうであろうか。その程度の覚悟、論理で、生徒にこのような体験をさせることが、教育と言えるとは思えない。 ④さらにそのような状況の中で、授業者は、先輩教師による意見交換会を設ける。2年生の生徒が「申し出てくれた」とあった。「二年生の先輩のアドバイスが、希望の言葉として一年生を励ますことを、我々教師はひそかに期待するしかない」(58頁)と、目の前にいる生徒を導く役を生徒に任せてしまう。これは無責任ではないか。苦悩する後輩に、同じ悩みを経験した者として説得する2年生の心境はどうだっただろう。先生への必死の訴えも、「意見交換会」という、授業者が是とする方向へ導く儀式によって黙殺され、と殺する選択しかない状況に追い込まれた1年生の心境はどうだっただろう。 ⑤本書では50頁の紙幅を割いて生徒作文が紹介され、この取り組みの教育的効果の証とされているようだ。ただ、私はこの生徒作文をどう読むかということは、慎重にならなければならないと考える。反対派の私から言わせてもらえば、生徒は、今回のこの経験に意味づけをしなければならない。また、この作文は授業の評価材料でもある。さらに、これまでに自分たちの訴えは黙殺されてきている。これらの理由から、生徒はこの作文に、自分にとってこの体験は価値ある経験だったのだという表現をせざるを得ない状況に追い込まれていたのではないか、と考える。 学校における絶対権力者、教師。 その権力は、ここまでのことをしてしまえ得る力なのだ。 本書の副題は、「この体験が生徒を変えた」とある。きっとそうだろう。 しかしその変化は、授業者の目が捉えた、ねらい通りの変化だけではないはずだ。 肉を食べるとき、ふと、と殺の光景が目に浮かぶようになってしまった子はいないか。鶏肉が食べられなくなってしまった子はいないか。包丁を握るたびに、手が震えてしまう子はいないのだろうか。クリスマスのチキンのCMを見て、複雑な思いを抱くようになってしまった子はいないか。 授業者は、そんな子が一人でも出得ることは承知の上だっただろう。 それでも、この行為を行ったわけである。 それは、本当に「やった方がよい」ことだったのであろうか。 「必要である場合」だったのだろうか。 「細心の配慮」は本当に採られたか。 教育という名に値しない暴力であり虐待である。そう私は考える。
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ちょうど、鶏解体をはじめる年、その生徒たちに家庭科を教えていたりして変わっていくことがビックリだった。本になったと教えてもらい、読んだ。一番変わったことは、生徒たちが調理実習で作ったものを捨てなくなった。ゴミが半減以上にそのクラスだけなった。
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