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南の島に雪が降る
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南の島に雪が降る
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商品レビュー
4.1
17件のお客様レビュー
戦場にあって戦禍以外に病魔とも闘うことを余儀なくされながら、これほどに生きる希望となりペースメーカーとなるものがあったとは驚いた。そして有名らしい雪の場面の悲壮さは言い尽くしがたい。
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俳優・加東大介の従軍記。加東(加藤徳之助・市川莚司)は、1933年の現役時に千葉陸軍病院で伍長勤務上等兵、1943年の応召時には衛生伍長として東京第二陸軍病院から西部ニューギニア・マノクワリに上陸、野戦病院スタッフとして働くことになっていた。マノクワリ上陸は1943年12月8日...
俳優・加東大介の従軍記。加東(加藤徳之助・市川莚司)は、1933年の現役時に千葉陸軍病院で伍長勤務上等兵、1943年の応召時には衛生伍長として東京第二陸軍病院から西部ニューギニア・マノクワリに上陸、野戦病院スタッフとして働くことになっていた。マノクワリ上陸は1943年12月8日だったという。 しかし、加東の戦争体験が他の兵士たちと違っているのは、米軍の飛び石作戦によって前線に置き去りにされてしまったマノクワリで、上官命令で演芸分隊の「班長」として文字通り東奔西走したことだ。軍隊に入る前は会社経営者だったという苦労人の経理部長と、東大出の演劇評論家だったという輸送隊の大尉の肝煎りで、部隊の中から演芸経験者をセレクト、美術や衣裳、カツラの担当者までピックアップして、「マノクワリ歌舞伎座」という常設劇場を立ち上げていく。日中戦争では阿南惟幾の側近だったという軍司令官も、加東らの演芸分隊に肩入れし、「目標のない日常」に彩りを与える重要な任務だと評価した。 餓死が日常だったニューギニアの地で、兵士たちは「日本」と「故郷」を求め、眼の色を変えて劇場に通った、と加東は書いている。『瞼の母』『父帰る』『浅草の灯』『暖流』『転落の詩集』など、演目もぞくぞくと増えていった。本書のタイトルともなったエピソードは、東北出身の部隊の兵たちが、長谷川伸の『関の弥太ッぺ』の舞台に拡がる雪景色を見て、300人がジッと静かに泣いていた、というものだ。加東は、演劇人としてマノクワリ時代ほど、自分が求められていると感じたことはなかった、と述懐する。ここには、人間にとってなぜフィクションが必要なのか、という根源的な問いに対するひとつの答えが示されていると思う。 面白いのは、復員後に加東が本格的に映画界に進出するきっかけとなったのが、ニューギニア時代の戦友たちから「映画なら、どこにいても会えるからね」と言われたことだった。加東は小津の『秋刀魚の味』で、「敗けてよかった」としみじみ語る元海軍兵曹を演じていたけれど、その時かれの心中には、どんな思いが去来していたのだろうか。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
芸に関する知識はまるでない私ですが、楽しめました。 戦争で西部ニューギニアに送られた男たちが生きるために劇を行う話です。 「戦争なのに、戦地で娯楽をやってしまって上司に「何を考えとるかっ、キサマァッ!!!」とか言われるんじゃないか?…」 と本を読みながら思っていましたが、「劇をやる事は戦地へ送られてしまった男達の生きる活力になっていた」という知り、こんな一面もあったのかと驚きました。 故郷を思う男たちが劇に感動して涙するシーンが何回か出てくるのですが、その中で一番頭に残っているのは故郷の雪景色が再現された劇を見て泣いていた男達でした。本のタイトルをなぜこれになったのか?という事がよくわかります。これしかない。 ユーモアのある部分あり、涙する部分あり。 電車の中で読んじゃいけない感じがします。(シーンごとに顔の表情が変わる可能性があるので…)
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