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ルチアさん
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ルチアさん

高楼方子(著者), 出久根育

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ルチアさん

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 フレーベル館
発売年月日 2003/05/08
JAN 9784577026366

ルチアさん

¥1,375

商品レビュー

4.3

16件のお客様レビュー

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2025/09/14

『もうずいぶん昔のことです。』で始まる物語は、いつの事とも、どこの国とも限定していないお屋敷に住む二人の娘スゥとルウルウが主人公である。 出久根育さんの描く人物は、いつも、まっすぐ前を向いていない。体はここに在りながら、心は別の所を見ている。そんな人の目をしている。 たそがれ屋敷...

『もうずいぶん昔のことです。』で始まる物語は、いつの事とも、どこの国とも限定していないお屋敷に住む二人の娘スゥとルウルウが主人公である。 出久根育さんの描く人物は、いつも、まっすぐ前を向いていない。体はここに在りながら、心は別の所を見ている。そんな人の目をしている。 たそがれ屋敷と呼ばれる一軒家に住むスゥとルウルウも、 やっぱりそんな人達の仲間。とはいえ、奥さまと、 非常に分かりやすいネーミングのふたりのお手伝いさん、 エルダ(Elder)さんとヤンガ(Younger)さんとの二人暮らしは、特に逃げ出したいほど 嫌というわけじゃない。ただ二人は、時折父が持って帰ってくる水色の玉に、 訳もなく惹かれていた。 そんな時三番目のお手伝いさんとしてやってきたルチアさんに、同じ輝きを見つけてしまった事から、平凡な日々に動きが生じる。 外国暮らしの父に対して、ルチアさんは隣町から通ってくる。だから玉の輝き は場所に拠るものではない。じゃあ一体、何なのか? ヒントはこれかもしれない。 屋敷の人々は、ルチアさんの前では、「昔ああしたかったのよ。」「本当はこうしたいのよ。」と 夢を語る。いつも心をどこかに忘れてきたような眼差しで、遠くを見ている奥様までも。 大人達ならば、大抵見当のつく答えを求めて、二人の姉妹は初めての町に出かけてゆく。 お人よしの二人は、ルチアさんの娘ボビーに手玉に取られてしまうが、それでもやっぱり 冒険は楽しくて、わくわくして。 後半姉妹の行く末は、『ナルニア国物語』の『さいごの戦い』を 思わせる。『ライオンと魔女』でアスランを裏切ったエドマンドが、最後までアスランを信じ続ける一方で、模範的少女だったスーザンは、「ナルニア」の事を単なる遊びとしか捉えなくなる。同じきょうだいでも袂を分かったペペンシーきょうだい同様、スウとルゥルゥも別の人生を歩む。 かつて同じ玉を求めた仲なのに、もう二人の見ているものは同じじゃない。 けれど最後にもう一つ話を付け加えた事で、子供時代の終わりというありきたりの寂寥から、この物語は救われる。 いくつになっても、外見がどんなに変わっても、人は心に輝くものを 持つことができる。そんなメッセージを感じたが、他の読者は水色の玉から何を受けとったのだろうか。読む人によっていろいろに感じ取る事のできる作品だと思う。

Posted by ブクログ

2024/04/07

スゥとルゥルゥ、ふたりの少女の目にだけ光を発しているように見えるふしぎなお手伝いさんのルチアさん。まるでふたりの宝物の水色の宝石みたいに。どこか遠くのきらきらしたところを求める人、ここで生きていく人。求めるどこかはここなのかもしれない。

Posted by ブクログ

2023/06/04

 気の毒な身の上の人だという触れ込みで“たそがれ屋敷”の召使いの仕事にやってきたルチアさんは、その前評判とは裏腹に、いつも輝くように朗らかな、まあるいふくよかな体がトレードマークのおばさんだった。話を聞くと、確かに色々と災難に遭い貧しく暮らしているようなのだが、当人は至って明るく...

 気の毒な身の上の人だという触れ込みで“たそがれ屋敷”の召使いの仕事にやってきたルチアさんは、その前評判とは裏腹に、いつも輝くように朗らかな、まあるいふくよかな体がトレードマークのおばさんだった。話を聞くと、確かに色々と災難に遭い貧しく暮らしているようなのだが、当人は至って明るく健やかで、屋敷の人々が当初ひそかに期待したような“気の毒オーラ”は一切感じられないのだった。それどころか、人はルチアさんと一緒にいるとつい心に秘めた打ち明け話をしたくなり、そして話した後はなぜかすっきり明るい気持ちになってしまうのだ。  そんなルチアさんの秘密は物語の終盤で明かされる。ルチアさんはとある方法で、《「ここ」にいながら、同時に「どこか」にもいる》、そんな生き方ができている人だったのだ。「ここ」と「どこか」、それは目の前の現実世界と、想像力や空想でたどり着くような物語世界、無理やり言葉にすればそのようなものだと私はとらえた。そんなルチアさんのような生き方が、ある種の理想、人間の究極のしあわせであるようにひとまずは描かれている。  しかし、そんな素敵なルチアさんのようになりたいね、で終わらないところがこの本の私のいちばん好きなところだ。作中には、「ここ」で夢中に/必死になりすぎるあまり「どこか」を忘れてしまった人もいる。「どこか」を求めすぎて「ここ」からふわふわと離れていってしまった人もいる。「どこか」ってなんなのか、わかりたくてもついぞわからずいつも物憂げだった人もいれば、「どこか」の魅力と同時にその危うさ、奇妙さに気づきその違和感を見逃さず、敢えて距離を保ちつつ、しあわせとはなにかという答えの出ない問いを考え続けた人もいる。  さあそれで、ルチアさん以外はみんなみんなしあわせではなかったなんて言えるだろうか?決してそんなことはない。つねに満たされていることだけがしあわせなのではない、みんな人それぞれの「欠け」を抱きながら、自分なりの喜びも手にしていく、そのありのままの全てが愛おしいんだと、そう言ってくれているのではないかなと、私は思った。  美しいものを描写する言葉の豊かさ、ちょっとした謎で読者を飽きさせずに引っ張っていく推進力、ちょっと奇妙で不気味さすらあるイラスト(出久根育さん)、適度な短さ、巻末の「exlibris」(蔵書票という意味で、持ち主の名前を書く欄なのだそうです。ブク友のたださんがレビューで教えて下さっています。)、どこをとっても素敵すぎる本でした。

Posted by ブクログ