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林芙美子・宮本百合子 講談社文芸文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2003/10/10 |
JAN | 9784061983496 |
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林芙美子・宮本百合子
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林芙美子・宮本百合子
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商品レビュー
3.7
4件のお客様レビュー
平林たい子が書いた、…
平林たい子が書いた、林芙美子と宮本百合子の評伝。三人とも有名な女性作家ですが、現在ではあまり読まれなくなりましたね。
文庫OFF
「林芙美子」 一時一緒に暮らしていただけあって、水平にみてるが暖かい目で見ている。わりとだらだら書かれている感じなのだが引き込まれ、一気に読んでしまった。さすが平林たい子氏の筆力というものか。 平林は芙美子の人生、とりわけ男性関係は実母の影響も大きかったのでは、としている。ま...
「林芙美子」 一時一緒に暮らしていただけあって、水平にみてるが暖かい目で見ている。わりとだらだら書かれている感じなのだが引き込まれ、一気に読んでしまった。さすが平林たい子氏の筆力というものか。 平林は芙美子の人生、とりわけ男性関係は実母の影響も大きかったのでは、としている。また小林先生とも何度も会って、先生の日記もみせてもらっている。平林は小林先生はかなりな愛情を芙美子に持っていたが、岡野少年の存在は知らなかったとしている。そして芙美子が岡野の大学進学を追って女学校卒業後東京に行った時も、芙美子と岡野は同棲はしていなかったのではないか、としている。 芙美子は尾道での岡野少年、小学校の小林先生、そして東京に行ってからは、芙美子の文で「結婚」という表現がされている、俳優の田辺氏(田端320の相原家の二間ある部屋、3か月くらいで破綻)、詩人の野村氏と続く。野村氏とは、玉川方面で某家の留守を頼まれているところに芙美子が置いて下さい、と行き、そのうち坪井栄が小豆島から上京して結婚したのを機に、世田谷太子堂に坪井氏の隣に住む。大正14年、その家は平林たい子氏の住んでいる2階から芙美子の野村家の一室が見えた、とある。そして後にきちんと養子縁組をした手塚緑敏、と続く。しかし平林氏には冗談で「私は一と月に一度ずつ恋をしてるわ」とも公言し、”ほんとうにそうかもしれない”と平林は書いている。桐野夏生の「ナニアカル」に出てきた男性らしき人も出てきた。う~ん、桐野氏は無から「ナニカアル」を書いたわけではなかったのだ。 メモ ・この大正14年は、芙美子の詩「善魔と悪魔」が新潮社の「文章倶楽部」にのった年。 ・そのうちに芙美子さんはいなくなった ・風のたよりに新宿で働いていると知り、訪ねて行った。いまの武蔵野館のあたりが今でいう分譲地で八百屋がたった一軒だけ立っている空き地。その二階に芙美子さんは住んでいた。例の一閑ばりとギターと小豆色の羽座布団があった。・・野村はここにもときどき訪ねてきた。 ・私も彼女の口ききで鶴やのそばの店で働くことにしたので二人は毎日会った。 ・以前太子堂のころ、渋谷駅前の高級レストランで二人でほんのしばらく働いたことがあった。 〇鶴やでの生活は割りに長かった。その間に野村とは一歩ずつ離れていった。 ・この間に私だけはあちこち働き場を変えたが、ついに女給はやめる決心で本郷に去った。さんざん迷ったあげくに文筆で独り立ちしようと、本郷の酒屋の二階を借りた。 〇そこに、平林たい子の本郷の酒屋の二階に芙美子さんが時ちゃんという若い後輩をつれてやってきた。 ・・所帯の女としての芙美子さんは漬物、清汁が上手くきりきり働く女だった。・・<これが一緒に住んだ、という時期か> ・芙美子さんの弓ちゃんと時ちゃんは、ごたごたの私の所を出て、上野の池之端近くに室を借りた。 ・私の所在がきまらないので相当な時日の間、われわれは行き来がなかった。ある日私と同棲者とは神楽坂の宿でA氏に招かれた。 ・それから無音のうちに、大正15年になった。大正が昭和に代わった激情的な日の晩には、どこからともなく待ち合わせた私達は、銀座に出て行った。彼女は例によってお母さんに何か送った。 〇これまで彼女は、心情的に男女愛の不感症ではなかったか、と私は疑ったことがある。いつでも、彼女には、そんなことは何でもないことだった。湯水のように使ってよい無償のものだった。彼女のあこがれる至高の愛情の境地は高い空で自分を凝視している一つの星のように、美しすぎて命のないものであったのではなかったか。そういうものは、人間のつくった神と同じに幻でしかなく、現実には存在し得ないという考え方から、逆に肌に触れ得る激情だけに奔ることを自分に許したのではなかったろうか。 ・私たちはその晩会って、二人とも相手をみつめて笑い出した。 「林芙美子」は昭和44年に書かれた。 「平林たい子全集 10」 1979.5.25発行 図書館
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平林たい子の最期の力作といわれている。 苦境の時代を共有した友人の伝記だ。 林芙美子も宮本百合子も平林たい子もというか、このあたりの女性作家の小説とは縁がなかった。むしろ、なぜか避けて来たような気がする。 高校時代に読んだ微かな記憶はあるのだが、その読後感がよくなかったのかもしれ...
平林たい子の最期の力作といわれている。 苦境の時代を共有した友人の伝記だ。 林芙美子も宮本百合子も平林たい子もというか、このあたりの女性作家の小説とは縁がなかった。むしろ、なぜか避けて来たような気がする。 高校時代に読んだ微かな記憶はあるのだが、その読後感がよくなかったのかもしれない。 今回は林芙美子のことを調べる必要に迫られて本書を読んだわけで、だから、林芙美子の小説はもう食傷気味。だが、平林たい子のしっかりとした目線と気品のある文章に何作か読んでみようかと思わされた。 また、たい子の捕らえた宮本百合子も一度はきちんと読まなければならないのかもしれない。 友人としての私情を押さえた、けれど押さえ切れない何かかが行間から感じられるだけに資料以上の文学に近いものを感じた一冊だった。
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