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コーラン(上) 岩波文庫

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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2009/04/01 |
JAN | 9784003381311 |


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商品レビュー
3.3
23件のお客様レビュー
イスラーム教の聖典コ…
イスラーム教の聖典コーランの全訳。本訳はムスリム協会のクルアーンなどに比べて、意訳された部分が多い。しかし、哲学の用語などに慣れているならば、その意訳の部分がコーランの思想の理解を助けてくれる。しかし、本書において索引が付いていないのは非常に残念である。
文庫OFF
イスラム学者・井筒俊彦による本格的なコーラン全訳。アラビア語原典からの直接翻訳としては日本で最も信頼される古典的業績。 本訳は、原典のアラビア語が持つ言語的特質を可能な限り日本語で再現しようと試みており、訳者の該博な言語学的知識と哲学的考察が反映されている。コーランでは、アラビア...
イスラム学者・井筒俊彦による本格的なコーラン全訳。アラビア語原典からの直接翻訳としては日本で最も信頼される古典的業績。 本訳は、原典のアラビア語が持つ言語的特質を可能な限り日本語で再現しようと試みており、訳者の該博な言語学的知識と哲学的考察が反映されている。コーランでは、アラビア語原典のみが真の聖典とされ、他言語訳は「解釈」とされる。 最初に置かれた「開扉の章」は、イスラム教徒が日に5回の礼拝で唱える短い章で、「慈悲あまねく慈愛深き神の御名において」という有名な句で始まる。これは単なる祈りの言葉ではなく、神との契約を意味する重要な定式。続く「雌牛の章」は最長の章で、様々な規定や物語が、一見すると脈絡なく展開される。 規定の具体例を見ると、その詳細さに驚かされる。例えば、遺産相続では「もし子供のない者の遺産を相続する場合、その人に姉妹があれば、遺産の二分の一。もし姉妹が二人以上あれば、遺産の三分の二」といった具合に、あらゆる場合が想定されている。これは、当時のアラビア社会で女性が相続権を持たなかったことを考えると、画期的な規定だったとされる。 「ヨセフの章」は、旧約聖書の「創世記」のヨセフ物語を下敷きにしているが、強調点が異なる。コーランでは、エジプトの高官の妻による誘惑の場面が詳しく描かれ、ヨセフの貞潔さが強調される。また、兄たちとの和解の場面では「今日はお前たちを責めはしない。神がお前たちを赦したもう」というヨセフの寛容な言葉に重点が置かれる。こうした描写の違いは、コーランが預言者たちの倫理的完全性を強調する傾向を示している。 「夜の旅の章」は、ムハンマドの神秘的体験を描く。一夜にしてメッカからエルサレムに赴き、そこから七層の天を巡る描写は、後の神秘主義文学に大きな影響を与えた。しかし同じ章の中で、突如として「汝の主は、汝らが只かれの他には何ものをも崇拝してはならぬと命じ給うた」という一神教の教えや、「親孝行せよ」「浪費する者は悪魔の兄弟」といった倫理的教えが挿入される。 天国と地獄の描写は、具体的かつ感覚的である。天国には「乳の川、蜜の川、葡萄酒の川」が流れ、「真珠のように美しい乙女たち」が待つ。一方、地獄では「煮えたぎる油が顔を焼き、皮膚が溶け落ちては新しい皮膚に置き換えられ、永遠に責め苦が続く」。これは、水と女性が貴重で、灼熱の太陽が生命の脅威だった砂漠の民の心性を反映している。 「洞窟の章」には、数百年の眠りから目覚めた若者たちの物語(「七眠り人」の伝説)がある。これは、キリスト教の「エフェソスの七眠り人」伝説と共通する素材だが、コーランでは信仰の試練という主題が強調される。同じ章には、モーセと神秘的な導師ヒドルとの不思議な旅の物語もあり、表面的には不当に見える行為の背後にある神の深い智慧が説かれる。 「光の章」の有名な一節「神は天と地の光」は、続けて「その光を譬うれば、あたかも、一つの壁龕、その中に一つの灯火」と展開する。この複雑な光の比喩は、後のイスラム神秘主義に大きな影響を与え、数々の注釈を生んだ。後半の短い章々には、「暁にかけて」「夜がおおいつくすときにかけて」といった、アラビアの自然を背景とした印象的な誓いの言葉が続く。 コーランの文体は時期により変化する。メッカ時代初期の章は短く、リズミカルで警告的。中期になると物語的要素が増え、最後のメディナ時代では具体的な規定が中心となる。こうした変化は、小集団だった信徒が、次第に社会を形成していく過程を反映している。 井筒訳の特徴は、原典の格調を日本語で再現しようとする姿勢にある。たとえば「本当にわれは、お前の胸を開き広げなかったか」(「開胸の章」)といった、一見すると不自然な言い回しも、原文の調子を伝えようとする意図的な選択である。また「幽精(ジン)」「魔神(シャイターン)」といった訳語の工夫も特徴的。 豊富な訳注は、テキストの背景を丁寧に解説する。例えば、「アッラー」を「神」と訳した理由について、「アッラー」が固有名詞ではなく、「唯一の神」を意味する普通名詞であることが説明される。また、「ビスミッラー」(神の御名において)という句が文書や行為の冒頭で唱えられる意味も、詳しく解説される。 入門者には最初から通読することは勧められない。解説を手がかりに、「光の章」や物語的な章から読み始めるのがよい。特に旧約聖書の物語との比較や、当時のアラビア社会の文脈を意識しながら読むことで、単なる古典としてではなく、生きた思想として理解することができる。宗教や古典に関心を持つ読者、そして人類の精神史に興味を持つ者にとって、図書館で手に取る価値のある古典である。
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(通巻の感想) 20億人近くの信者を抱えるイスラム教をどこか遠く未知なものと感じてしまうのは彼らの聖典に馴染みがないからかもしれない。そう思いコーランを手にしたが、たしかに取り扱いの難しい書物だ。同じような表現が何度も反復され、物語(のオリジナル)性が乏しく、過激な表現の今日的な...
(通巻の感想) 20億人近くの信者を抱えるイスラム教をどこか遠く未知なものと感じてしまうのは彼らの聖典に馴染みがないからかもしれない。そう思いコーランを手にしたが、たしかに取り扱いの難しい書物だ。同じような表現が何度も反復され、物語(のオリジナル)性が乏しく、過激な表現の今日的な受け入れは難しい。それでもイスラムの世界観を知るには繙かねばならない書物だと思う。 まず、アッラーの、唯一性、遍在性、不可知性が強調される。「東も西もアッラーのもの。いずこに顔を向けようと、必ずそこにアッラーのお顔がある。」という表現は神の遍在を端的に表しており、天上の人型の神というイメージからはかけ離れている。ここに偶像の絶対禁止の理由を知ることができる。また、神の一人称が「我ら」であることも興味深いが、ムハンマドが語る最中にしばしば人称が変化する様は神秘体験の臨場感を伝える。 ムハンマドが宗教家であると同時に為政者であり戦の指導者であったことが、聖典としての特殊性をもたらす。離婚や相続についてなど生活上の規則まで細かく規定される。ここにイスラムにおいて宗教と世俗的生活を分離するのが難しい理由があるのだろう。また、戦いを鼓舞する表現など厳格で荒々しい表現も多く、聖典としては戦闘的な性格であることは否めない。 そして、天国と地獄の描写はとても感覚的だ。天国は、川の流れる楽園で、食物に満ち、男性には天女があてがわれるといい、とても快楽的・実利的な描写である。対して、信仰しない者が地獄(ジャハンナム)の火に焼かれるという描写がとにかく散々繰り返される。神の恵みも強調されてはいるが、不信仰への報復を徹底する峻厳な神がアッラーだという印象を強く受ける。 アブラハム、モーセ、イエスなど旧約と新約の神話についても語り直されているが、オリジナルな物語として、イブリースの神話が興味深い。天使の一人イブリースは、神の創った人間(アダム)に跪けとの神の命令を拒み、追放されサタンとして神に抗うようになったという。たとえ自己の不利益になろうと、たとえ神の命令であろうと、己に及ばないものには決して跪拝しない自恃の精神にはある種の輝きがあり、否定的精神を具現化したアンチヒーローともとれる。
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