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私の国語教室 文春文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 文藝春秋/ |
| 発売年月日 | 2002/03/07 |
| JAN | 9784167258061 |

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商品レビュー
3.9
10件のお客様レビュー
僕の持っている帯には…
僕の持っている帯には、『何度でも言はう。「現代かなづかい」は、かなづかひではない、と――』と書いてある。日本語は何度も変化してきた。これからも変化するだろう。福田のこの警告が単なる復古主義なのか、それとも、日本語の美しさにとって重要な何かを忘れないために書かれているのか、それは現...
僕の持っている帯には、『何度でも言はう。「現代かなづかい」は、かなづかひではない、と――』と書いてある。日本語は何度も変化してきた。これからも変化するだろう。福田のこの警告が単なる復古主義なのか、それとも、日本語の美しさにとって重要な何かを忘れないために書かれているのか、それは現代を生きる私たちが実際に読み、考えなければならないと思う。この本には、そのような宿題を私たちに突きつけている。
文庫OFF
旧かなづかいと新かなづかいに関して、その問題点を論じた本。対象を書く人向けとしているので自分はまったく当たらないのあるが、激しい論調だけは読み取れた。まったく無知とはこわいものである。
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歴史的仮名遣ひを遠くに離れて教育をうけてきた人間にとつて、古典の物語はなんと遠ざかつてしまつたのだらうか。扱ひはまるで未知の言語のやうにされてしまつてゐる。そのことばを用ゐた彼らと同じやうに思考するといふことは、たしかに不可能かもしれない。だが、彼らと同じ島国で生きてきたといふそ...
歴史的仮名遣ひを遠くに離れて教育をうけてきた人間にとつて、古典の物語はなんと遠ざかつてしまつたのだらうか。扱ひはまるで未知の言語のやうにされてしまつてゐる。そのことばを用ゐた彼らと同じやうに思考するといふことは、たしかに不可能かもしれない。だが、彼らと同じ島国で生きてきたといふそんな存在の事実さへも感じられずに、まるで違ふ生き物のやうにしてしまふのは、悲しいものである。 表音化といふこともさうだが、最近では簡単でわかりやすく何かを説明するといふことが価値とされているやうである。わかりやすく、しかも簡単に書かれてゐなければ讀まれない。 今まで習つた通りに現代仮名遣ひで書いてきたが、~しょうではなく、~せうと書いてみると案外書きやすい。歷史的假名遣ひで書かれてゐる彼の文体も、何の違和感もなく、讀めてしまふ。ことばであることには變りないが、それ以上に、彼は昔のことばではなく、歷史的假名遣ひにしたがつて、今のことばでもつて語つているからに他ならない。 歴史的仮名遣ひとしては、難しい話は何ひとつないといふのに、それをさも難しいものとしてしまふのは詐欺といふより他ない。そもそも音を文字にするといふ難しいことをやつてのけてゐるのに、簡単になりやうはないではないか。それでも、とてつもなく長い時間の中で、模索しながら音を文字にしやうとやつてきた。さうして書かれた方法が続いてゐるといふのは、その方法が日本語といふ言語にとつてあつていたからに他ならない。それを無碍にして、音にあはせて簡単にしました、例外部分は歴史を取り入れましたといふのは、ことばに対して敬意がなさすぎると思ふ。 ことばは思考の道具などでは決してない。ことば自身が考へる精神であり、すべてのはじまりである。人間はさういふ風に生れついてしまつているのである。語に随ふといふのは、存在としてのことばだ。漢字といふ異なる文化体系に感化されながらも、先人は自国を指して、言霊幸ふ国をいつたのは、その独自の表記や発音を見出したのは、ことばといふ存在をきはめて大切にしてきた証ではないか。 音と文字は不即不離ではあるが、音は音である以上、文字は文字である以上、決して両者は交はらない。それでも、文字が書け、それを讀めるといふことは、どうしたつて驚くべき事態なのである。書物の歴史は、さういふ驚きの歴史でもある。文字と音が出会ひ、表現される歴史。さうやつて生れたものが混乱をきたすといふのは、無知無理解としかいひやうがない。混乱しているのはことばではなく、ことばを用ゐる人間の主観にある。 さういふ時間の流れの中で育つてきたものは、確かに複雑で、取つ掛かりにくいものであることにはかはりない。しかし複雑であるものとわからないといふことの間には大きな違いがある。次元が違ふのだ。それ故、ことばを変へるのではなく、ことばのための教育を変へるべきだといふのだ。 語彙力とはさういふ中で培はれていくものであつて、たくさん本を読んだからと言つて、たくさんのことばを知つてゐるからと言つて、身に付くものではない。たくさんことばを知つているのが語彙力だとするなら、そんなものは、コンピュータに任せておけばよろし。語彙力とは、語に随ひ、音を想起させるやうに書き写すことのできるさういふ力ではないか。ことばを用ゐる力が語彙力だ。そもそも、外来語の音を借りてばかりで、自ら考へ、ことばを受け入れやうとしないことばをたくさん知つたところでことばを活きて用ゐることはできないだらう。表音が惡いのではない。音から生じる観念を取り入れて表現しないで音に頼つてゐることこそ、彼の問題意識なのだ。素朴な唯物観とはたぶんさういふことだ。 観念的に考へるといふことが、どうも苦手なやうになつている文化であるやうだ。すでにこの国ではほぼすべての人間が読み書きができる状態にある。たくさんの人間が読み書きでき、そこで言霊幸ふ国であると誇れればなんと素晴らしい国となるだらう。幸福の指標といふものはたくさんの観点からなされるが、言霊と人間が共に生きていゐる以上、言霊が幸ふこともまた、ひとの幸福へとつながるはずである。
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