![MBTIへの招待 C.G.ユングの「タイプ論」の応用と展開](https://content.bookoff.co.jp/goodsimages/LL/001262/0012623837LL.jpg)
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MBTIへの招待 C.G.ユングの「タイプ論」の応用と展開
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 金子書房 |
発売年月日 | 2002/08/20 |
JAN | 9784760821600 |
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MBTIへの招待
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商品レビュー
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3件のお客様レビュー
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『外向は外向的で活発な行動、内向ははずかしがりやで引っ込み思案な行動』が誤っており、『本来の意味は、外向とは働きかけようとするもので、内向とは受け取り内省しようとするものである。』と読んで、どちらも混ぜて理解していたことに気づいた。 単純に活発だから外向、というわけではなく、外に働きかけようとすることが外向なので、結果として活発に見られることが多いのだろう。 『心のバッテリーを充電する過程』というのも面白かった。私自身、指向は非常に微妙な位置にいるように感じながら、とりあえず外向寄りだと思いながら読み進めた。本書を最後まで読み、ここを読んだ時、どちらかというと外向指向であると改めてわかった。 文章の難しさや、ややこしさはあるが、ユングの考え方が伝わりつつ、16タイプの違いを感じることができた。
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MBTIと『タイプ論』の違いはなにか?というあたりの疑問にスパッと答えることなく「いちおうタイプ論ベースという感じでいろいろくっつけてます」っぽいところはイヤなのだけど、それでもいいじゃないのかな、という気もする。 で、「個とはなにか?」というあたりは「類とはなにか?」というあ...
MBTIと『タイプ論』の違いはなにか?というあたりの疑問にスパッと答えることなく「いちおうタイプ論ベースという感じでいろいろくっつけてます」っぽいところはイヤなのだけど、それでもいいじゃないのかな、という気もする。 で、「個とはなにか?」というあたりは「類とはなにか?」というあたりも含めて考えたいので、類型論は科学的な裏付けなどどうでもいいから、もっとやってくれと思うし、素朴に類を否定してしまうと「いちおう類ではなく個という感じでいろいろやってます」と、意識だけそれっぽく装った感じでもっとイヤな雰囲気のする方向にいってしまうので頑張ってほしい。 肝心のMBTIへの理解なのだけど、そもそもMBTIもタイプ論もわかりやすいとはいえないのでなんともいえないのだけど、なにをもってタイプを決めるのかというあたりはわかりやすい。 そして多くの人が期待するであろう「自分のタイプを知り、これからどう生きるのか」というあたりへの答えはない。素敵。
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・ユングは著書 Psychological Type の大半の部分を、人類学的観点から多様な文化を論述することに割いている。まったく違う文化背景をもつ人々の間にいかに共通の基本的性質が見られ、また違いも認められるのかについて慎重に調べあげた。彼は研究のなかで、私たちの住む世界は対極をもつものでできていると主張した。彼のその理論のもととなったのは、すべての文化で見出された象徴における相反するものの存在である。これらは、一般的によくいわれる昼と夜、男と女、前進と後退、また湿気と乾燥のようなものから、より哲学的な陰と陽、生と死、天国と地獄のようなものにまで及ぶ。ユングは、天国という本質的な意味をもつ概念があるとしたら、対極に地獄という概念が必然的にある、としたのである。 そしてユングは、心もそれと同じように相反するものによって規定されているとし、意識と無意識や、良く知られている外向と内向について論述したのである。 ・タイプ論の最も古いもののひとつに、アメリカ先住民の伝統となっている、メディシン・ウィール(魔法の輪:medicine wheel)がある。 これは、一人ひとりが、他者や世界を理解するとっかかりとなるようなあるひとつの知覚の方法をもって、この世に誕生してくると仮定した考えである。この考えでは、人が生きていくうえでの課せられたこととして、その人自身の知覚の方法に熟練するだけでなく、他のすべてのやり方にも熟練することとされている。簡単に説明すると、このモデルが提唱したこととは、人はそれぞれある特定の見方を生まれつきもっているということである。たとえば、バッファローの方法であれば、ものごとを合理的にかつ分析的にとらえ、鷲の方法は、詳細を超えて高く飛んでものごとをパターンでとらえる。熊の方法の場合は、周囲とのかかわりのなかからとらえ、ねずみの方法では、地面に近いところからものごとの根っこの部分や詳細をとらえるのである。この基本的な考えにさらに動きの方向性を加えたり色付けすると、すべての人々に共通したパターンが見られるのと同時に、個々の複雑さと独自性も見えてくるのである(たとえばある人は、「内なる世界を見ている緑色の熊」と表現される)。部族の長老たちは注意深く子どもを観察したのちに、それぞれの方法によって分けていく。そして部族のメンバーがそれぞれを見方をマスターし、かつ他者のやり方に対しても敬意を示すようになったとき、長老たちは彼らにその証しとしてメディシン・ウィールの上に置くための石を与えた。石をもらった者は、自分の石の数や置き場所が見えるように、男性は盾に女性はバックルの上に載せて運び、そのものがどの程度ものごとを他者の目からも見えるようになっているかが分かるようにしたのである。彼ら先住民にとって、ライフワークとは、メディシン・ウィールに則りあらゆるものの見方に長けることであると考えたのだ。このシンプルではあるが、洗練されたしくみは、すなわち人類の心のモデルであり、タイプという考えがものごとのプロセスを理解する文化として、古代から伝えられてきたものであることがわかる。
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