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ハイデッガー研究 死と言葉の思索
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 京都大学学術出版会 |
発売年月日 | 2002/01/10 |
JAN | 9784876984329 |
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ハイデッガー研究
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ハイデッガー研究
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初期の「形式的告示」に関する思索から、「意味-真理-場所」と主導語を変えてゆき、「四方界」と「存在の山並み」という概念に結実する晩年に至るまでのハイデガーの哲学を、とくに死と言葉の問題に焦点を当てて、ていねいにたどっている。ヘルダーリン解釈についての議論は難解で、よく理解できなか...
初期の「形式的告示」に関する思索から、「意味-真理-場所」と主導語を変えてゆき、「四方界」と「存在の山並み」という概念に結実する晩年に至るまでのハイデガーの哲学を、とくに死と言葉の問題に焦点を当てて、ていねいにたどっている。ヘルダーリン解釈についての議論は難解で、よく理解できなかった。 ハイデガーはフッサールから現象学を受け継いだ。ところで、現象学的方法は体験を反省しそれを記述するものなのだから、それは流れゆく体験流につかみかかり、いくつかの体験を取り出す振舞いだということになるだろう。だが、この振舞い自体が体験流をとどめることであり、とどめられた体験流を一個の対象へと変えてしまうのではないだろうか。こうした問題意識から、ハイデガーは生が生を語ること自体が生に即しているような語り方を求める。こうした彼の思考は、やがて「形式的告示」(die formale Anzeige)という概念に結実することになる。 ついで著者は、ハイデガーの主著『存在と時間』の全体が、「形式的告示」としてのあり方をしていると主張する。ハイデガーがそこで試みたのは、存在の意味への問いを、私たちが存在の意味を「それに向けて問いかける先」(woraufhin)から得てくる投企-意味構造から理解することだった。だがこの試みには、投企をおこなう主体を超越論的主観に仕立ててしまう危険がひそんでいた。このことに気づいたハイデガーは、存在論がそこから出発した、存在の投企を支えている現存在の事実性へと立ち戻る「メタ存在論」の構想へ、さらに、「存在の意味への問い」から非覆蔵性としての「真理」へ、さらに「場所」へと主導語を変えながら、思索を進めてゆく。 非覆蔵的なものが自分自身から自分を示すということ自体は覆蔵性に由来している。非覆蔵性よりもいっそう古いこの覆蔵性は、存在の「自己覆蔵」と言われる。こうした自己覆蔵的な存在を明るみへともたらすのが私たち人間である。私たちは、存在の開けへ身をゆだね、こうした関係へと開けを引き入れつつ引き戻している。それはいわば、あらゆるものがそこへと吸い込まれてはそこから出てゆく結集点である。ハイデガーはヘルダーリンの詩に導かれつつ、このように結集点に吸い込まれては出てゆく「息」として言葉を捉えなおそうとする。 他方、こうした存在の守り手である私たち人間は、死によって「限界」(peras)を画されている。だがそうした有限性のゆえに、あらゆる存在者がそのようなものとして輝き出る固有性を、つまりそのものの持つ「限界」をそのままに発現させる。このことが、ハイデガーの「死は存在の山並みである」という言葉へとつながってゆく。人間の宿命として現われる死は、天と大地を分かつ「境界」をなす山並みとしてそびえ立ち、四方界を守蔵している。
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最近はハイデガーを自由に取り上げる傾向が強いが、しっかりと文献に寄ってハイデガーを描いている。小野さん、勉強になります…。
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