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人間科学
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 筑摩書房/ |
発売年月日 | 2002/04/25 |
JAN | 9784480860644 |
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人間科学
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商品レビュー
4.2
6件のお客様レビュー
1章だけで、1冊の本が出来そうなほど内容の濃い本です。 全11章仕立てで、第1章「人間科学とはなにか」から、第11章「男と女」まで、遺伝子と脳が情報とつながって、脳が活動した結果としての「都市」、情報が連続している「個」の話など、興味深く読みました。
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本書全体の紹介をするというのは、私の力ではとうてい無理だ。最初からあきらめている。理解できていないところが数多くある。けれども前半に扱われている「情報か実体か」というテーマは非常に興味深く、これだけ紹介するのでも十分意味があるだろう。自分という人間は常に同じ人間である。自己同一性...
本書全体の紹介をするというのは、私の力ではとうてい無理だ。最初からあきらめている。理解できていないところが数多くある。けれども前半に扱われている「情報か実体か」というテーマは非常に興味深く、これだけ紹介するのでも十分意味があるだろう。自分という人間は常に同じ人間である。自己同一性というのかどうかは分からないが、とにかく自分は自分だ。なんの変わりもない。目の前にあるパソコンもなんの変わりもなく毎日存在している。それに対して、テレビや新聞など情報ははんらんしていて、日々変化している。そんなふうに考えているのではないだろうか。でもよく考えると、昨日の自分と、今日の自分は明らかに違う。1歩死に近づいたと言っても良い。髪の毛も何本かは減っているだろう。明日の自分はきっとさらに変化しているはずだ。だいたい絶対生きているなどという保証はない。パソコンだってそうだ。今入力していることで常に変化をしている。我が家の電話は、6年目にして壊れてしまった。機能が多くなると壊れやすい。実家にある電話は未だにダイヤル式の黒電話、私が物心ついたときにはすでにあったから40年近くになるのだろう。少し話がそれた。さて、それに対して今日の新聞に書かれたことは決して変化しない。ニュースをビデオにとれば、その中身は決して変わらない。だから自分が生まれた日の新聞なんかを購入することもできるのだ。「バック トゥ ザ ヒューチャー」のように、新聞の紙面が次第に変わるなんて考えただけで恐ろしい。変わるのは新聞紙の状態だ。あるいはビデオテープの物質的状態だ。このように、情報は決して変わることはない。一度口にしてしまったことは取り返すことができない。それに対して、実体は日々変化する。私たちの身体は日々変化する。これは実体だ。しかしその中には遺伝子がある。遺伝子には情報が書き込まれている。これは変化しないのか?だんだん、難しくなってきた。ここから先はじっくり本書を読んで考えてみて下さい。ほかに、「クオリア」というテーマがおもしろそうに感じたが、残念ながら他人に紹介するほどに自分の中でこなれていない。確か、「唯脳論」も同じような思いで読んだ。1回読んでも理解できないところがあるから、もう1回じっくり読もうと思いながら、未だ読んでいない。本書もいつ再読することができるだろうか。
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人間"科学"、あくまで科学。 この本を読むと、今まで漠然と「情報は移り変わるものだ」と思ってたけど、それが間違っていたことに気付く。 「dynamicな外部、staticな自分」という常識が、情報に関しては一度情報となったものは半永久的に変わらない点で静的で...
人間"科学"、あくまで科学。 この本を読むと、今まで漠然と「情報は移り変わるものだ」と思ってたけど、それが間違っていたことに気付く。 「dynamicな外部、staticな自分」という常識が、情報に関しては一度情報となったものは半永久的に変わらない点で静的であるのは、読んでしまうと至極当たり前だ。自分が一見静的なシステムを維持してはいるけど物質的にみると流動的なのも納得する。 私自身に意識を向けたとき、私自身がある唯一の一個体であることは譲らない上で、私自身の表層を全てが流れて行っていることは理解する。細胞、物質レベルでは当然で、こころ、精神といったものも移ろいゆく。 人間が社会を成すと、個々人の同一性が保たれないと全く物事が進まない。だから「わたしはひとりだ」と主張する。 たしかにひとりだ。ただその言明が、この一瞬についてわたしはひとりなのであって、ほんの少しでも過去、未来の「わたし」はわたしではないことの意識をどれだけの人が持っているのか。 一種の我執かと思う。 まぁ、普段その意識を持っていないと困るわけではなく、持っていて得をすることもない。 でも大抵の人は薄々とでも分かってると思う。情報については目新しいが、身体やこころが常に同一だなんて誰が思うだろう。 著者は本文中で私小説について述べており、個人に固有なまさに唯一の私を書いたもの。私は前から、日記を書くとどうも私小説風になるよな、と思っていた。私の浅い理解で言えば、それは私しか知らない、私の本当の内面も文字に移した、私にとっておもしろいもの。養老氏に言わせれば、自己追求を深めたもの。 そのような重大な課題としてではなく、もっと軽く、未来には今の自分は分からないのだから、それをせめてでも情報化して置いておきたい。そういう心理からでてきたのではないだろうか。それでその後、深い意味が出てきた可能性はある。 著者の自己に関する結論は 自己とは社会的に決まり、この余事象(つまり本来的自己)があるとすればそれは身体である。 これにはやはり、反射的に抗ってしまう。 わかるんだけど、頭では理解できるんだけど、でもそれもひっくるめてこの私で本来的自己と言いたい。 (思えばそう主張することに何のメリットがあるのか分からないが、反射的にそうしてしまうことろが脳が同一性を保つよう機能している証拠なのだろう) 大体身体だけを取りだしてどこかに置いたところでそれは良くいえばぬいぐるみ悪く言えば屍と変わらないのであって、そんな身体だけを以て自己というのがなんかイヤなんだ。所詮「なんかイヤ」レベルだけど。 「人間科学部」とかいう名前を被った学部を擁する大学はそんじょそこらにある。でもそのほとんどが文系としての設置で(行ったことないから知らんけど)哲学、あるいは人間を取り巻く環境からアプローチを仕掛けている。 養老氏のすごいところは、この人間科学を、れっきとした科学に仕立て上げているところにある。 元が本物の科学者だから、そこにしっかりと基づいた視点で哲学的に考察しているのはおもしろく、新鮮である。考察の仕方がまさに科学的。 私の学んでいる限りでは生物はあくまで狭義の科学だ。それをここまで広い範囲にまで拡張できる人はsmartだなぁ。とうなずくところであった。
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