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大塚久雄と丸山真男 動員、主体、戦争責任
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大塚久雄と丸山真男 動員、主体、戦争責任

中野敏男(著者)

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大塚久雄と丸山真男 動員、主体、戦争責任

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 青土社
発売年月日 2001/12/07
JAN 9784791759330

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商品レビュー

3.7

3件のお客様レビュー

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2016/02/02

戦後民主主義を代表する思想家の大塚久雄と丸山眞男の思想を問いなおし、戦前と戦後のコンテクストの差異におうじて彼らがどのように自身の思想の枠組みを組みなおしていったのかということを、批判的に考察している本です。 大塚にかんしては、彼の師である本位田祥男のウェーバー解釈に対するスタ...

戦後民主主義を代表する思想家の大塚久雄と丸山眞男の思想を問いなおし、戦前と戦後のコンテクストの差異におうじて彼らがどのように自身の思想の枠組みを組みなおしていったのかということを、批判的に考察している本です。 大塚にかんしては、彼の師である本位田祥男のウェーバー解釈に対するスタンスや『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の翻訳の検討などの実証的な議論が積みかさねられていますが、著者が最終的に示そうとしているのは、大塚がウェーバーのうちに読み込もうとした経済倫理への転換が、戦時動員というコンテクストのなかで発想された枠組みを再利用するかたちで戦後の思想をつくりあげたということにあるように思います。 丸山にかんしても同様の視角からの批判的検討がおこなわれていますが、大塚論にくらべると、思想史のなかから問題の重層性を引き継ぎつつ、アクチュアルな状況をも念頭に置いて議論を展開する丸山の思想を裁断するのに、やや苦慮している感もあります。米谷匡史も本書の問題提起とかさなるようなしかたで丸山の問いなおしをおこなっており、そうした潮流に掉さすひとつの試みとして本書を位置づけることができるように思います。 最終章では、本書で展開された大塚・丸山批判の議論が、近年の政治的・思想的な動向に関連づけられています。すなわち、大塚と丸山において「戦時動員」が「戦後啓蒙」にすり替えられたように、下からの民主化を実現するという役割を期待されているヴォランティアの思想が、「動員の思想」にすり替わる危険性を孕んでいるという問題です。そのうえで、公共性へと参画する主体の確立をめざすのではなく、主体の分裂・脱構築の方向へ向けての希望が語られています。

Posted by ブクログ

2013/03/11

大学時代に在日韓国人の友人がいた。キャンパス内にある学内寮に住んでいたのだが、たまに訪ねると、寮の係りに英語で応対されるので参ったことがある。一週間の中のある曜日は英語で話す日になっているのだそうだ。部屋に応じられてはじめて日本語が使える。異文化体験の一つであった。異文化といえば...

大学時代に在日韓国人の友人がいた。キャンパス内にある学内寮に住んでいたのだが、たまに訪ねると、寮の係りに英語で応対されるので参ったことがある。一週間の中のある曜日は英語で話す日になっているのだそうだ。部屋に応じられてはじめて日本語が使える。異文化体験の一つであった。異文化といえば、その友人と話していて議論になったことがある。他でもない戦争責任についてである。 彼に言わせれば、私にも戦争責任があるという。日本のとった植民地主義政策が韓国朝鮮の人々に与えた被害の大きさはよく理解しているつもりだったが、まだ生まれてもいない時代の出来事にどう責任をとれというのだ、という気持ちがあったことも確かだ。そういう私に、彼は「今、日本人として生きているじゃないか」といって反論した。つまり、「自己同一性」の問題である。日本人というアイデンティティを疑問視せず、自明のものとして受け入れている限り、「日本人」の問題に無関係とは言えないという論理だ。 副題に「動員、主体、戦争責任」とある通り、本書は日本における戦時と戦後の問題を、「戦後啓蒙」の思想を主導した二人の著作の分析を通して考察しようとするものである。考察の主たる対象となるのは、戦時と戦後は果たして断絶しているのか、という疑問である。戦後の再出発にあたり、暗い時代を純粋な学問研究に沈潜することで切り抜け、明るい戦後を代表することになった丸山たちであるが、果たしてそれは本当だったのか。戦時から戦後にかけて彼らのテクストが見せる微妙な解釈のぶれ、力点の置き方の推移の中に、戦中戦後を通じて変わらないものを照射していく著者の分析は説得力を持っている。 例を丸山に絞れば、「何よりも近代的な『主体性』の確立を求める丸山の思想が、総力戦体制のもとでは下からの国民総動員の思想に、そして、敗戦後の状況のもとでは帝国主義的国民主義という記憶を抹消して『単一民族』的国民主義へとこぞって向かう思想に、それぞれ確実に寄与した」ことが、明らかにされている。そして、この「自己同一的主体」という理想は、当の丸山を批判した吉本隆明のような戦後的知性をも支配していると著者は言う。 自己を何かの集団にアイデンティファイすることで、自由で責任ある行動が取れるという考え方に立つのが「自己同一的な主体」である。丸山にはじまり、吉本、それに加藤典洋、あるいは「自由主義史観」派も含めて、「自己同一的な主体」の確立は日本の言説の戦後的地平とも言える。著者は、それについて「戦争責任は、『主体』の確立によってでなく、むしろその正反対に『主体』の分裂によって、もっと正確に言えば『主体』の中に抗争を持ち込みそれを政治化することによってしか果たされない」という。 話を元に戻せば、戦時の責任を私が引き受けるなら、私は自分を戦時、戦後と連続した「日本人」にアイデンティファイすることになる。私はそれを納得できない。しかし、それを否定するとなると、戦時と戦後の断絶を認めなければならないが、それは不可能である。著者は多元的な主体位置を含む「個人化のポテンシャル」という考え方をそこに配置する。他者との応答を通じて、「自己同一性」の外枠をはずし、自己変容を遂げる主体というあり方は魅力的であるが、自己の内部に不断の葛藤を意識し続けることが不可避となるだろう。有事法制化が進められている今こそ「戦後」的思想が担ってきたものについての吟味が必要ではないか、と真剣に考えさせられた。

Posted by ブクログ

2006/06/16

戦後社会の理想でもあった、主体形成が持つ落とし穴を指摘し、現代においてそれをどう乗り越えていくかを考える契機となる。

Posted by ブクログ