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星投げびと コスタベルの浜辺から
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 工作舎 |
発売年月日 | 2001/11/20 |
JAN | 9784875023609 |
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星投げびと
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商品レビュー
4.7
4件のお客様レビュー
科学の発展と共に肥大してきた人間中心主義に警鐘を鳴らしつつ、自然という教師から授けられた一瞬の啓示に思いをめぐらせる。詩情豊かな文章で語られる、化学と心の関係性。 複数のエッセイ集から選んで編纂したベスト盤的な内容らしい。少年時代の個人的な体験から語り起こした親しみやすい『夜...
科学の発展と共に肥大してきた人間中心主義に警鐘を鳴らしつつ、自然という教師から授けられた一瞬の啓示に思いをめぐらせる。詩情豊かな文章で語られる、化学と心の関係性。 複数のエッセイ集から選んで編纂したベスト盤的な内容らしい。少年時代の個人的な体験から語り起こした親しみやすい『夜の国』とは少し違って、進化と人の心の関係を深慮する哲学者の顔が本書では強くでている。ユーモラスな語りも『夜の国』よりペシミスティックな響きをもっている。 W・H・オーデンの序文を読むと、アイズリーは素粒子の時代が唱える宇宙のランダム性についていけない人びとにとってのアイコンだったようだ。たしかに「五番目の惑星」にでてくる狂信的な協力者をたくさん持っているカリスマ天文学者や、若いころ門前払いを喰らった天文台の描き方など、アイズリー自身も宇宙科学に反感を抱いているのかと受け取れるフシはある。 先月読んだ『自然界における左と右』のガードナーは「サイコロが宇宙を使って神様ごっこをしている」と冗談めかしながら楽しそうに言っていたが、アイズリーならなんと言うだろう。アイズリーが危機感を持っていたのは、同時代のアメリカでダーウィニズムに基づいた「人間の野生」が曲解され、暴力の行使を肯定するのに使われていたからだ。「人間らしさ」という言葉が思いやりや知性ではなく、闘争本能を指すものとして使われていることに何度もノーと言っている。チャトウィンが『ソングライン』の「ノート」で証明したのと同じことを、アイズリーも語ろうとしたのだと思う。 『夜の国』でも頑固でちょっとヤバいおじいさんのエピソードが印象的だったが、本書にもアルバート・ドライヤー老との逸話がある。ドライヤーが語る自然との交感、雪解けを蛙と一緒に跳ねて祝福した体験はやっぱり幻想怪奇小説のようなゾクゾクする語り口なのだが、アイズリーの視線は自分も”そちら側”の人間だと自覚している者のシンパシーにあふれていてあたたかい。 表題作「星投げびと」は、浜辺に打ち上げられ海に戻れなくなったヒトデを沖のほうへ投げ入れている男の姿が、アイズリーを”人は何のために生まれてきたのか”という命題へ向かわせる。科学者の目と、自然がもたらす啓示を見逃さない神秘家の心が共存する、センス・オブ・ワンダーの書。
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『明日は嵐のなかを歩こう。貝を集める連中や炎とは逆の方向へ歩こう。ベーコンの「生命の役に立つために」という忘れられた言葉を胸に。 そしてまた、思いがけない宇宙の不連続性を思いながら歩こう。 星を投げた男によって明らかにされた裂け目についての知識と、あたりにぼんやり立ち込めるヒント...
『明日は嵐のなかを歩こう。貝を集める連中や炎とは逆の方向へ歩こう。ベーコンの「生命の役に立つために」という忘れられた言葉を胸に。 そしてまた、思いがけない宇宙の不連続性を思いながら歩こう。 星を投げた男によって明らかにされた裂け目についての知識と、あたりにぼんやり立ち込めるヒントを意識しながら歩こう。 不可解なことに、自然のなかには人間が付与した役割以上の何かがあるのだ。私はそのことを、虹の足もとにいたコスタベルの浜辺のヒトデを投げる男から教わったのだ。』
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この本を開く度、なぜ私はローレン・アイズリーではないのだろう?と考えてしまう。尽きせぬ知的才能と 山に沸く泉のように美しい感性の二つを、彼一人に与えてしまわれるとは神はなんと太っ腹であろうか。その両方を与えられぬ私のような人間は、繰り返し彼の本を読むしか能がなく、その度自らの非力...
この本を開く度、なぜ私はローレン・アイズリーではないのだろう?と考えてしまう。尽きせぬ知的才能と 山に沸く泉のように美しい感性の二つを、彼一人に与えてしまわれるとは神はなんと太っ腹であろうか。その両方を与えられぬ私のような人間は、繰り返し彼の本を読むしか能がなく、その度自らの非力さと凡才さを思い知り、ただ嘆くのみである。私は彼の著作に恋い焦がれてばかりいる。
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