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悲しき熱帯(2) 中公クラシックス
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 中央公論新社/ |
| 発売年月日 | 2001/05/10 |
| JAN | 9784121600073 |
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悲しき熱帯(2)
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商品レビュー
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この本で語られる、人類学者レヴィ=ストロースの旅路は、2024年の私たちに何を伝えてくれるのか。 「他の社会をよりよく知ることによって、われわれは、われわれの社会から自分を切り離すという方法を獲得する」 人類学が未開の部族を研究する意味はここに凝縮されている。 これは現代人...
この本で語られる、人類学者レヴィ=ストロースの旅路は、2024年の私たちに何を伝えてくれるのか。 「他の社会をよりよく知ることによって、われわれは、われわれの社会から自分を切り離すという方法を獲得する」 人類学が未開の部族を研究する意味はここに凝縮されている。 これは現代人があまねく獲得すべき方法ではないだろうか。他の社会、歴史、文化、自然を知り、学ぶことが、自分自身を今いる環境から切り離し、また戻らせていく力となるはず。 「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」 この諦めとも楽観ともとれる心に残る言葉。 それでもなぜ人間は誕生し、存在しなければならないのか。おそらくそこに意味なんてないのかもしれない。ただ、それでも精神を宿し、言語を操る人間が、生と死に悩み、一生を全うするところに尊さも感じる。
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「悲しき熱帯」は、「私は旅や探検家が嫌いだ」という有名な文章で始まる。 「悲しき熱帯」(1)は、その冒頭の宣言に相応しく、旅や探検の話しは少なめで、なぜ人類学を志したのかといったエピソードやブラジル以外の国の話しなどが複雑に絡まっていて、後半でブラジルのサンパウロ大学で職を得て...
「悲しき熱帯」は、「私は旅や探検家が嫌いだ」という有名な文章で始まる。 「悲しき熱帯」(1)は、その冒頭の宣言に相応しく、旅や探検の話しは少なめで、なぜ人類学を志したのかといったエピソードやブラジル以外の国の話しなどが複雑に絡まっていて、後半でブラジルのサンパウロ大学で職を得て、行った時の話しが出てきて、最後でやっとカデュヴェオ族の話しになる。 (2)になって、ブラジルの少数民族を求めて、探検と調査の話しが中心になる、 まずは、ボロロ族の話しがあって、そして以前に読んだ時に印象的だったナンビクワラ族の話しとなる。ナンビクワラ族の調査はやはり大掛かりのもので、パリに一度戻って調査の準備の部分から話しが始まる。そして、ナンビクワラ族の記述はやはり圧巻だった。 そして、ナンビクワラ族その調査の旅から帰ってくるプロセスの中で、トゥピ=カワイブ族との出会いについて紹介される。 こうした絶滅しかけている少数民族を調査する中で、レヴィ=ストロースが想起しているのは、やはり「アメリカの発見」とそれに続くヨーロッパによる虐殺と植民地化という歴史である。そして、そうした虐殺に対して、異議を唱えるモンテーニュのことである。 最終の「回帰」の部分で、再び記述はかなり難解になってきて、ブラジル以外での調査も織り込みながら、人類学に関する理論的な議論そして哲学的な議論となる。 この部分は、かなり読み応えがあるというか、かなり濃縮された思考が詰まっている。特に、モンテーニュそしてルソーの議論に言及しながら、「野蛮とは何か」という問題に関する議論が圧巻で、この本が書かれた1950年代にここまでの思想にたどり着いていたことに驚いた。 そして、この辺りの部分は、レヴィ=ストロースは構造主義で、何かスタティックだとか、一般化しすぎるといった批判があまり意味のないことが分かる。人類学に関わらず、人間や文化の多様性を大切にすること、とともに人や社会がより良くなるように働きかけることがどう両立するのかといった課題について考えるときの基本図書だな〜。 帯には、「構造主義の原点」と書かれている。この本は、特段に構造主義的な認識論や方法論とか、構造主義的な解釈が前面に出ているわけではないので、どうかな?と思ったのだが、最後まで読み直して、そうした思想より前にレヴィ=ストロースが大切にした考えが書かれているという意味では、理論に先立つ「原点」と言える。 構造主義は、人間や個人というものを実体的に捉えるわけでなく、関係性、構造の中で見ていくわけだが、その原点には、人へのある種の共感というか、大切にするものがあることを感じた。つまり、ブラジル奥地のほぼ全裸で、いわゆる文化といったものがなさそうなナンビクワラ族をみるレヴィ=ストロースの視点の優しさといったもの。西欧から見るとほぼ野蛮で、文化とか存在しない人々を同じ人間として敬意と共感を持って見ているところ。文化相対主義の根っこには、文化の違いを超えた人間の共通性への信頼があるんだなと思った。 ここで、避けようとしているだろうある種の本質主義が出てくるわけなのだが、なんらかの信頼といったものが必要なんだと思った。 ちなみにレヴィ=ストロースがルソーを高く評価していることには驚いた。ルソーはフランス革命時の恐怖政治やロシアの共産主義革命後のテロにつながる思想としばしば批判され、私も同じ認識なのだが、レヴィ=ストロースはそうした読解は間違っているという。う〜ん、ルソーも再読しなくては。。。。 あと最後の方で、仏教とキリスト教、イスラム教を比較した箇所があって、やや大雑把感を感じたが、テーマの切り込み方はさすがだとおもった。 ちょっと勢い余ってなところがあるのも、この本の魅力かもしれない。
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本書には西洋文明を批判する民族学者としての自らの立ち位置をも相対化する著者の視線が織り合わされており、とりわけ終盤近くでそれが強くせり出してくる。したがって、彼の西洋文明批判に無邪気な喝采を送っていた読者は最後に足下をすくわれることになる。 挿入された戯曲『神にされたアウグスト...
本書には西洋文明を批判する民族学者としての自らの立ち位置をも相対化する著者の視線が織り合わされており、とりわけ終盤近くでそれが強くせり出してくる。したがって、彼の西洋文明批判に無邪気な喝采を送っていた読者は最後に足下をすくわれることになる。 挿入された戯曲『神にされたアウグストゥス』では、世俗に背を向けながら、実はそのことによって世俗の名声を得ようとしていた探検家の自己欺瞞が抉り出されるが、まさしくそれはレヴィ=ストロースの自画像である。民族学者は各々の社会の選択は相互に比較できず、それらはみな等価であると言う。しかし自分たちの社会では不正や悲惨を弾劾するのに、研究対象の社会でそれが生じても黙認するというのは矛盾ではないのか。その社会に同化できない以上、学問的な観察に踏みとどまるべきなのだろうか。こう自問するレヴィ=ストロースは自らの寄って立つ文化相対主義が孕むジレンマを直視しており、手放しで未開社会を礼讃しているわけではない。後年のサルトルとの論争を予感させるが、歴史の名においていとも簡単に現実への「アンガージュ」を説くサルトルの深刻ぶった楽天性に比して、レヴィ=ストロースのペシミズムがいかに深い葛藤を経たものであるかがうかがえる。 彼は民族学という学問の意義を固く信じながら、同時にその限界も痛切に自覚していた。それゆえの矛盾・葛藤をどこまでも真摯に引き受け、なお情熱と理性を失わず、自らの倫理においてそこに踏みとどまる。そして「他の社会をよりよく知ることによって、われわれは、われわれの社会から自分を切り離すことができる」という希望をもって「社会状態に内在している自然人の形態を再発見すること」に人類の未来を託そうとする。かつてこれほど誠実な民族学者がいたであろうか。再読し終えて改めて思うが、その型破りなスタイルにもかかわらず、何度でも読み返したい20世紀の「クラシック」である。
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