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悲しき熱帯(2) の商品レビュー

4.1

29件のお客様レビュー

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2024/08/12

「悲しき熱帯」は、「私は旅や探検家が嫌いだ」という有名な文章で始まる。 「悲しき熱帯」(1)は、その冒頭の宣言に相応しく、旅や探検の話しは少なめで、なぜ人類学を志したのかといったエピソードやブラジル以外の国の話しなどが複雑に絡まっていて、後半でブラジルのサンパウロ大学で職を得て...

「悲しき熱帯」は、「私は旅や探検家が嫌いだ」という有名な文章で始まる。 「悲しき熱帯」(1)は、その冒頭の宣言に相応しく、旅や探検の話しは少なめで、なぜ人類学を志したのかといったエピソードやブラジル以外の国の話しなどが複雑に絡まっていて、後半でブラジルのサンパウロ大学で職を得て、行った時の話しが出てきて、最後でやっとカデュヴェオ族の話しになる。 (2)になって、ブラジルの少数民族を求めて、探検と調査の話しが中心になる、 まずは、ボロロ族の話しがあって、そして以前に読んだ時に印象的だったナンビクワラ族の話しとなる。ナンビクワラ族の調査はやはり大掛かりのもので、パリに一度戻って調査の準備の部分から話しが始まる。そして、ナンビクワラ族の記述はやはり圧巻だった。 そして、ナンビクワラ族その調査の旅から帰ってくるプロセスの中で、トゥピ=カワイブ族との出会いについて紹介される。 こうした絶滅しかけている少数民族を調査する中で、レヴィ=ストロースが想起しているのは、やはり「アメリカの発見」とそれに続くヨーロッパによる虐殺と植民地化という歴史である。そして、そうした虐殺に対して、異議を唱えるモンテーニュのことである。 最終の「回帰」の部分で、再び記述はかなり難解になってきて、ブラジル以外での調査も織り込みながら、人類学に関する理論的な議論そして哲学的な議論となる。 この部分は、かなり読み応えがあるというか、かなり濃縮された思考が詰まっている。特に、モンテーニュそしてルソーの議論に言及しながら、「野蛮とは何か」という問題に関する議論が圧巻で、この本が書かれた1950年代にここまでの思想にたどり着いていたことに驚いた。 そして、この辺りの部分は、レヴィ=ストロースは構造主義で、何かスタティックだとか、一般化しすぎるといった批判があまり意味のないことが分かる。人類学に関わらず、人間や文化の多様性を大切にすること、とともに人や社会がより良くなるように働きかけることがどう両立するのかといった課題について考えるときの基本図書だな〜。 帯には、「構造主義の原点」と書かれている。この本は、特段に構造主義的な認識論や方法論とか、構造主義的な解釈が前面に出ているわけではないので、どうかな?と思ったのだが、最後まで読み直して、そうした思想より前にレヴィ=ストロースが大切にした考えが書かれているという意味では、理論に先立つ「原点」と言える。 構造主義は、人間や個人というものを実体的に捉えるわけでなく、関係性、構造の中で見ていくわけだが、その原点には、人へのある種の共感というか、大切にするものがあることを感じた。つまり、ブラジル奥地のほぼ全裸で、いわゆる文化といったものがなさそうなナンビクワラ族をみるレヴィ=ストロースの視点の優しさといったもの。西欧から見るとほぼ野蛮で、文化とか存在しない人々を同じ人間として敬意と共感を持って見ているところ。文化相対主義の根っこには、文化の違いを超えた人間の共通性への信頼があるんだなと思った。 ここで、避けようとしているだろうある種の本質主義が出てくるわけなのだが、なんらかの信頼といったものが必要なんだと思った。 ちなみにレヴィ=ストロースがルソーを高く評価していることには驚いた。ルソーはフランス革命時の恐怖政治やロシアの共産主義革命後のテロにつながる思想としばしば批判され、私も同じ認識なのだが、レヴィ=ストロースはそうした読解は間違っているという。う〜ん、ルソーも再読しなくては。。。。 あと最後の方で、仏教とキリスト教、イスラム教を比較した箇所があって、やや大雑把感を感じたが、テーマの切り込み方はさすがだとおもった。 ちょっと勢い余ってなところがあるのも、この本の魅力かもしれない。

Posted byブクログ

2023/12/29

本書には西洋文明を批判する民族学者としての自らの立ち位置をも相対化する著者の視線が織り合わされており、とりわけ終盤近くでそれが強くせり出してくる。したがって、彼の西洋文明批判に無邪気な喝采を送っていた読者は最後に足下をすくわれることになる。 挿入された戯曲『神にされたアウグスト...

本書には西洋文明を批判する民族学者としての自らの立ち位置をも相対化する著者の視線が織り合わされており、とりわけ終盤近くでそれが強くせり出してくる。したがって、彼の西洋文明批判に無邪気な喝采を送っていた読者は最後に足下をすくわれることになる。 挿入された戯曲『神にされたアウグストゥス』では、世俗に背を向けながら、実はそのことによって世俗の名声を得ようとしていた探検家の自己欺瞞が抉り出されるが、まさしくそれはレヴィ=ストロースの自画像である。民族学者は各々の社会の選択は相互に比較できず、それらはみな等価であると言う。しかし自分たちの社会では不正や悲惨を弾劾するのに、研究対象の社会でそれが生じても黙認するというのは矛盾ではないのか。その社会に同化できない以上、学問的な観察に踏みとどまるべきなのだろうか。こう自問するレヴィ=ストロースは自らの寄って立つ文化相対主義が孕むジレンマを直視しており、手放しで未開社会を礼讃しているわけではない。後年のサルトルとの論争を予感させるが、歴史の名においていとも簡単に現実への「アンガージュ」を説くサルトルの深刻ぶった楽天性に比して、レヴィ=ストロースのペシミズムがいかに深い葛藤を経たものであるかがうかがえる。 彼は民族学という学問の意義を固く信じながら、同時にその限界も痛切に自覚していた。それゆえの矛盾・葛藤をどこまでも真摯に引き受け、なお情熱と理性を失わず、自らの倫理においてそこに踏みとどまる。そして「他の社会をよりよく知ることによって、われわれは、われわれの社会から自分を切り離すことができる」という希望をもって「社会状態に内在している自然人の形態を再発見すること」に人類の未来を託そうとする。かつてこれほど誠実な民族学者がいたであろうか。再読し終えて改めて思うが、その型破りなスタイルにもかかわらず、何度でも読み返したい20世紀の「クラシック」である。

Posted byブクログ

2023/07/25

第九部の最後の二章(「タクシーラ」「チャウンを訪ねて」)は蛇足だったのではないか。たぶん、原文が難しかった体と思われるが、訳も意味不明なところが多々見受けられた。

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2023/07/21

Iよりは、読み進めやすいが、第九部の回帰以降は難解。何故ここに載せてるのだろうかと、思いながら無理くり読み進め、難解だし、執筆時代を鑑みてもイスラムに対する認識が…読み難い。 何年か後に読み直して、理解できることがあるのだろうか…。訳の問題か。文章として成立してる?と思い、一文...

Iよりは、読み進めやすいが、第九部の回帰以降は難解。何故ここに載せてるのだろうかと、思いながら無理くり読み進め、難解だし、執筆時代を鑑みてもイスラムに対する認識が…読み難い。 何年か後に読み直して、理解できることがあるのだろうか…。訳の問題か。文章として成立してる?と思い、一文一文読み砕きながら、読み進めようと努力するも、結果むなしく。 8部で読み終えてれば、いい気分。

Posted byブクログ

2023/01/14

部族についての描写は丁寧である。ロバに乗って金属を訪ね歩くというたびである。ただし、熱帯だけでなく、イスラムの遺跡であるタクシーらやチャウンを訪ねていることも書いているのだが、これはここに入れる必要があるかどうかよくわからない。

Posted byブクログ

2022/08/21

2022.07 長い長い旅が終わった。 どこまでも鬱蒼としていたと思う。 最後の考察の章は難解でほとんど理解できていないだろうけど、なんだか妙な達成感がある。 数年後に読み直したい。

Posted byブクログ

2022/08/03

やっと終わったぜ…。Iよりは読みやすかったかな。 裸で暮らす原住民の社会も我々の社会も優劣はない。そのとおりだ。 最後のほうの宗教関係のとこは、ちょっと浅いというか、知識がだいぶ偏っているように思う。 トカゲとか蛆虫とか食べてるしカヌーで川下りまでしててすごい。それでも「ヒトの手...

やっと終わったぜ…。Iよりは読みやすかったかな。 裸で暮らす原住民の社会も我々の社会も優劣はない。そのとおりだ。 最後のほうの宗教関係のとこは、ちょっと浅いというか、知識がだいぶ偏っているように思う。 トカゲとか蛆虫とか食べてるしカヌーで川下りまでしててすごい。それでも「ヒトの手が入っている」って落ち込んでる。 「森」の章、海辺のカフカを思い出した。迷宮。 私には難しかった。というか、普段は読みやすくしてくれている本を読んでいるのであるなと改めて思いました…。

Posted byブクログ

2022/06/22

エピローグの、文化人類学が成り立っている著者を巻き込んだ構造へ至るくだりはほとんど叙事詩だ。 イスラム教へのディスりに見える言及が注意を引くけど、社会構造は、成れの果てなにかを排除することにおいて成り立っていくことへの、著者の自らの属する社会において、観察者のみではいられないこと...

エピローグの、文化人類学が成り立っている著者を巻き込んだ構造へ至るくだりはほとんど叙事詩だ。 イスラム教へのディスりに見える言及が注意を引くけど、社会構造は、成れの果てなにかを排除することにおいて成り立っていくことへの、著者の自らの属する社会において、観察者のみではいられないことの表明か。

Posted byブクログ

2020/12/08
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

感想といいますか、自分との化学反応を。 部族の首長だけが一夫多妻制になっていてそのあおりを食う男たちがいたり、首長は首長でその地位による優越はあるだろうが群れのリーダーとして忙しく群れのために世話を焼かなければならない。競争意識による刺激がほとんどない社会にもこういった差異があるのは、生来の差異のため――――以上はナンビクワラ族の考察部から。競争社会を批判し、競争のない社会がユートピアかもしれないと夢想しても、人間の個体差というどうにもならないものがあるのだから、完全な公平さが実現したユートピアにはなるものではないです。公平さの実現にはもっと人工的な操作が要るってことでしょう。人工的な操作が必要といったって、それでナチスドイツに代表される「優生学」方面に進んでしまったとしたら道を間違えています。人間の選別、遺伝子デザインではなくて、障害のある人でも笑って暮らせる社会へのデザインを考えるほうが豊か。文明の進歩で人工的にできることが増えていく、その力を活かすのはそっちだと思います。 しかし、最後まで読み進めていくと……。 人間には生まれつきの個体差があるから社会には多様性がある。そこから生じる良くない部分、つまり差別や立場の不均衡があるのでそれらをなくすため人工的に社会を平らで滑らかなものにしてしまうのが良いかといえば、でもそれは違うみたい。本書『悲しき熱帯』が照らす地平はどうやらそっちなんです。個体差という多様性を維持しながら差別をしないことはできます。これは多様性を認めるということで、他者に敬意を持つことでできますよね。では立場の不均衡はどうなんだろう。平滑にしてしまったほうがフェアな気がしますけれども、しかし不均衡な状態のほうが何かの拍子に一網打尽になりにくいのは多様性の強みと一緒かもしれません。かといって、生きづらい人たち・生きにくい人たちがそのままでいいなんてちょっと思えないですし。 きっと生きづらさの解消に関しては、やっていくべきは生存可能圏を開拓していく行為なんじゃないでしょうか。人間社会のハビタブルゾーンにはまだまだ広大な暗黒領域があって、そこを可視化された生存可能領域へと変えていくこと。だから、立場の不均衡の解消をしても多様性の強靭さを損なわないために、既存の社会領域を拡大もせず深掘りもせず小手先だけで器用にめくらましするのではなくて、創造に似た新領域の発見・開拓のイメージを持って考えるとよいのかもしれません。要するに、いま、生きづらい人たちが苦労しているのは棲み分けがうまくいっていないからではないのか。棲み分けのために必要な領域(生存可能領域)がまだ暗黒地帯に含まれていて、ずっと発見を待っているからなのではないのか。狭い領域にぎゅっと詰められている状態が今ではないかと仮定できるのではないでしょうか。 ということで、固い内容ばかりのような印象を持たれてしまうかもしれないですが、そんなこともないんです。たとえば、口内炎を痛がる言うことをきかない騾馬とレヴィ=ストロースの格闘は愉快でした……。

Posted byブクログ

2019/01/02

「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」のフレーズは有名。単なる厭世観からの言葉かと失礼ながら読前は漠然と。 しかしながら前後二部のいわゆる先住民の生活をつぶさに観察洞察する学者の魂が発する名言、名フレーズの目白押しの最終章、幾度も読むべし

Posted byブクログ