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魂と歴史性 ユング心理学の展開1ギーゲリッヒ論集1
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魂と歴史性 ユング心理学の展開1ギーゲリッヒ論集1

ヴォルフガングギーゲリッヒ(著者), 河合俊雄(訳者), 北口雄一(訳者), 猪股剛(訳者)

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魂と歴史性 ユング心理学の展開1ギーゲリッヒ論集1

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 日本評論社
発売年月日 2000/05/15
JAN 9784535560871

魂と歴史性

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2014/03/02

・心理療法が全体として医学のモデルに従って構想されていて、治癒させるのがもっぱら自分の仕事であると理解しているのと同じように、心理療法は病気に対する医学の態度を受け継いでしまっている。目標は心的な「健康」や「生命」という理想である。治癒しようとする願望は、病気の内的な拒否を暗に意...

・心理療法が全体として医学のモデルに従って構想されていて、治癒させるのがもっぱら自分の仕事であると理解しているのと同じように、心理療法は病気に対する医学の態度を受け継いでしまっている。目標は心的な「健康」や「生命」という理想である。治癒しようとする願望は、病気の内的な拒否を暗に意味している。 患者が障害に対して抱く敵対心を続けていくような立場は、当然のことながら深層心理学の原則と一致しない。 ・「神経症にはわれわれ自身の最高の敵、あるいは友が潜んでいる。そのような人のことは、いくら高く評価してもしきれるものではない。」 ・「いかにして神経症を片づけることができるかに努めるべきではなく、神経症が何を思い、何を教えてくれるのか、その意味と目的は何であるのかを知るように努力を払うべきであろう…神経症が誤った態度をとっている自我を片づけてしまってはじめて、その神経症が本当に『片づけられた』ことになる。神経症が治癒されるのではなくて、神経症がわれわれを治癒するのである。」 ・われわれはあらゆる「否定的」なイメージを単に一時的なものとして、途中の段階の表現とみなして、その後に「肯定的」で「展望的」なイメージが続くことを望んでいるのである。このようにして否定的なものの価値は貶められてしまっている。暗闇は夜の海の航海に「しかすぎず」、その後には新しい日の出が待っているのである。そしてただ日の出があるために、われわれは暗がりを通っていく覚悟があるのである。もっとひどいことには、死は再生への道になってしまう。もしも死がこのように単なる通り道としてみなされているならば、死は完全な効力のある自立的な現実性を有していないことになる。死は目的のための手段に貶められている。 …われわれは患者が暗闇を受け入れること(あるいはわれわれ自身が人として暗がりを受け入れること)を望む。 …よりよい未来に対する肯定的な希望には、現在への呪詛が潜んでいる。われわれは影を一見したところ受け入れたように見せかけているだけで、実際のところは、光明で余り明白でないやり方に変えただけで、以前と同じように影を抑圧している。肯定的なものと否定的なものとを区別することからして、既に分裂を意味している。さやには、道徳的な価値判断としてのこの区別は、必然的に価値の切り下げや拒絶をもたらす。ユングはこのような考えに対する彼の立場を示している。象徴についての一節において彼は次のように述べている。「当然のことながら現代における道徳的ー衛生的立場は、あるものが害になるか益になるか、正しいか正しくないかを常に知りたがる。真の心理学はそのようなことに関わっているわけにはいかない。様々なものがそれ自体でいかに存在しているかを認識すれば心理学にとっては十分である。」 ・「この話は、彼のダイモンが『ソクラテスよ、もっと音楽をせよ』と耳打ちしたことで始まる。偉くて、年老いた善良なソクラテスは早速でかけていって、フルートを買って、みじめな練習を始めた。明らかに彼は忠告を誤解してしまっている。それも典型的な仕方でである。」彼は何を誤解したのであろうか。一面的な哲学的な活動(思考)を相反する活動(音楽)で補償することによって(すなわち感情機能を’発達させる’ことによって)全体性を達成できると考えたことである。ユングによれば、「哲学+笛=全体性」という方程式は明らかに間違っている。補償とは、ある一方的な活動に付け加えられるある「行動」を意味するのではなくて、態度の変容を意味するのである。行動のレベルで考える代わりに、ソクラテスは忠告を心理学的に理解するべきだったのである。そうすれば彼は、均衡をとるために笛を吹くなどということをしなかったであろう。彼は哲学の領域にとどまっていてもよかったのである。ただしその際には、余り合理的ではない、「音楽的」な仕方で哲学することになったであろう。一面的なのは、哲学に専門化したことではない。この自分にとって真実で、唯一の職業を営んでいった”姿勢”が一面的なのである。

Posted by ブクログ

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