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道元断章 『正法眼蔵』と現代
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 岩波書店/ |
発売年月日 | 2000/06/17 |
JAN | 9784000241151 |
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道元断章
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雑誌「ひらく」の中の、長谷川三千子さんが連載している第1回で、中野孝次さんの「道元断章」が紹介されていた。 内容はこうだ。 『ただひたすら道元を読み、味はひ、自分はそこから何を受けとり、どんな風に目を開かされたのか、それをまっすぐ人の心に届くように書けばよい。そこには必らず...
雑誌「ひらく」の中の、長谷川三千子さんが連載している第1回で、中野孝次さんの「道元断章」が紹介されていた。 内容はこうだ。 『ただひたすら道元を読み、味はひ、自分はそこから何を受けとり、どんな風に目を開かされたのか、それをまっすぐ人の心に届くように書けばよい。そこには必らず意味があるはずだ。』 読んでみて、まさしくそのとおりでした。 中野孝次さんは、宗教者ではありません。彼は、『正法眼蔵』を文学として読んだと言っています。 そして、道元はすばらしい宗教者でありながら、すばらしい文学者としての資質を備えていたと。 そんな道元の言葉を中野考次さんの感性で読み解き、我々に紹介してくれています。 これを機会に、もう少し道元のことについて勉強していきたいと思っています。
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(2017.01.29読了)(2016.04.11購入)(2000.10.25・第5刷) 【目次】 まえがき 1 生死(その一) 2 生死(その二) 3 現代の生死 4 生きるとはどういうことか 5 修行(その一) 6 修行(その二) 7 修行(その三) 8 時間(その一) 9...
(2017.01.29読了)(2016.04.11購入)(2000.10.25・第5刷) 【目次】 まえがき 1 生死(その一) 2 生死(その二) 3 現代の生死 4 生きるとはどういうことか 5 修行(その一) 6 修行(その二) 7 修行(その三) 8 時間(その一) 9 時間(その二) 10 尽十方界と自己(その一) 11 尽十方界と自己(その二) 12 尽十方界と自己(その三) 13 型より入る 14 正師につく 15 道元と現代 16 道元とヘリゲルとエックハルトと 17 生死(その三) 18 名利 19 かがやく言葉群 使用テキスト・参考文献 ☆関連図書(既読) 「道元『正法眼蔵』」ひろさちや著、NHK出版、2016.11.01 「正法眼蔵随聞記」懐奘編・和辻哲郎校訂、岩波文庫、1929.06.25 「正法眼蔵随聞記」懐奘編・古田紹欽訳、角川文庫、1960.08.20 「道元入門」秋月龍珉著、講談社現代新書、1970.02.16 「「正法眼蔵」を読む」秋月龍珉著、PHP文庫、1985.11.15 「道元禅師の話」里見弴著、岩波文庫、1994.08.19 「道元断章」中野孝次著、岩波書店、2000.06.15 (「BOOK」データベースより)amazon 道元の言葉を現代日本のなかで読むというのは、それだけで何事かである。生きるとは、老いるとは、そして自己とは何か。ここ十五年ほど道元を読み続けてきた著者が、「現代」を考えるために、いま道元読書報告を書く。生誕八百年、道元の言葉が現代日本によみがえる。
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ページが進むに従って残念な展開。 環境破壊だとか、エックハルトだとか、神だとかは必要ない。 p183 受け入れるとか、仕えるとかではなく、使うのだと思う。受動ではなく能動。それが縁起であり空である。 神と禅的な仏はそもそも同列に扱うものでない。 p186 生死即仏とは我々が手...
ページが進むに従って残念な展開。 環境破壊だとか、エックハルトだとか、神だとかは必要ない。 p183 受け入れるとか、仕えるとかではなく、使うのだと思う。受動ではなく能動。それが縁起であり空である。 神と禅的な仏はそもそも同列に扱うものでない。 p186 生死即仏とは我々が手放せない死(という概念)、そして生(があると思っている事)から、世界は発生している、その仕組みが仏界であり、仏法という(便宜的な)アイデアである。それを逆に解いていくのが仏道、解き終わったところが涅槃。 仏の御いのちとは、その中心にあるのが生死ということ。 p205 画餅を餅だと言うのは、常識を破砕しようとしているのではない。餅と呼ぶところには餅がある。食うか食わないかは別の話である。
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