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ユリシーズの涙
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ユリシーズの涙

ロジェ・グルニエ(著者), 宮下志朗(訳者)

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ユリシーズの涙

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 みすず書房/
発売年月日 2000/12/08
JAN 9784622045298

ユリシーズの涙

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商品レビュー

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2026/08/04

『人間と動物のあいだには、なぜこうした相互理解が存在するのか? このことは、いかなる人間関係にもまして、奇跡的で、貴重なもののように思われるのである。が、同時に、これほど簡単なものもない。犬とすれちがう。ひとこと言葉をかけてやるか、そっとなでてやる。すると、犬は少しももったいぶる...

『人間と動物のあいだには、なぜこうした相互理解が存在するのか? このことは、いかなる人間関係にもまして、奇跡的で、貴重なもののように思われるのである。が、同時に、これほど簡単なものもない。犬とすれちがう。ひとこと言葉をかけてやるか、そっとなでてやる。すると、犬は少しももったいぶることなく、相手に応じてくれる。この神秘的な交感を確かめたくて、わたしはこの本を書いてみた。でも、この本によってなにも解決されはしないし、犬たちがいつまでもわたしを驚かせ続けるであろうことが、わたしには分かっている』―『謎』 ロジェ・グルニエの犬にまつわる随筆。表紙を飾るドアノーの写真が洒落ている。犬を連れている濃い色の外套の紳士がセーヌ川沿いで絵を描く人を眺めている。犬はご主人とは反対方向、写真家の方に視線を向けて「何か言いたげ」だ。恰も自分の方が人間を連れて歩いているのであって、いい加減して先に行くよ、とでも言っている様な表情なのだ。 もちろん、そんなことを写真に写るフォックステリアが本当に思っているかどうかは判らない。解るのは、犬は怪しげな行動をとる写真家の方を向き、人間は無防備に絵を描く人の方を向いているということだけ。けれど、その犬の表情を何故か読み解きたくなってしまう。 グルニエのこの一風変わった本は、そんな人間の犬に対する思いや、勝手な理解や嗜好を古今東西の文学から拾って自身の思索を書き加えるという本。更に自分自身の経験や知人の言葉や行動にも思いを巡らせて、犬との関係性が如何に人の生に意味のようなものを付与するかについても語る。だからと言って純粋な文学談義とか哲学的思考という雰囲気でもない。本書は、とても穿った見方をすれば、愛犬を失った悲しみを紛らわせる為の祈りのような行為とも映る。本の題名「ユリシーズの涙」のユリシーズとは、歴史上の人物の名前ではなく、ロジェ・グルニエの愛犬の名前である。 『人間と犬が、おそらく一二〇〇〇年にわたりいっしょに生きてきたなかから、人間の言葉はこうしたものを記憶にとどめてきたのである。ちなみにアルファベットのrという文字は、ラテン系民族にとっては「犬の文字(カニーナ・リテラ)」なのだ。それがうなり声を想起させるから』―『単語の問題』 犬について色々な人が様々なことを語る逸話が集められているのが本書の為していることの全てであると言ってもよいのだけれど、それは取りも直さず、人が如何に無意識の内に人間性のような内なる行動規範を犬に投映しているかの証左でもある。読み進める内に、人は犬のことを語っているようでいて実は、犬との経験を通して無意識にその犬の飼い主についてであったり、自分自身の人間性の深い処を晒しているのだと、著者が言いたいのだということが見えて来る。だからと言ってそれを批判するのでも、厭世的な思いを発露するのでもないけれど、犬に対する無垢な気持ちをロジェ・グルニエが慮[おもんばか]る気持ちが根底にあるのを感じる。そして、終盤その考えをカフカの文章の文学的解釈に載せて書く。 『カフカに出てくる犬や動物は、たいていがわれわれの行動や状況の隠喩にすぎない。自分の持ち場を放棄して、逃亡をはからずにはいられない、どうしようもない犬の話などがそれだ。実のところ、これらは犬とはいっても、名前だけなのである』―『犬の心』 犬について語ることは、まるで鏡に映る自分自身の姿をみるような行為であると見えて来る。そして犬について考えている内に自分自身の来し方の内省に帰着する。故に、この本を読んだ人は恐らく誰でも、自分自身がかつて飼っていた犬のことを考えたり、犬に怯えたり、犬を可愛がったりした過去の自分自身のことを思い出すに違いない。何しろ翻訳をした宮下志朗がこんな風に言うくらいなのだから。 『本書を読みながら、次いで翻訳しながら、わたしは、子供時分に飼っていたコロというなんとも平凡な名前の愛犬のことを、久しぶりに思い出した』―『訳者あとがき』 最後にカニーナ・リテラ。これはラテン語のcanina[犬の] litera[文字]と思うけれど、そうであればラテン語の原則として「名詞+形容詞」の語順で、litera caninaとなるのでは? フランス人が間違うとは思えないけど、、、と思ってGeminiに聞いてみたら、思いのほか面白い遣り取り。結論として、古典に精通していたグルニエならではの言及であるらしい。そう言えば、古典とは全く関係ないけど、昔フランス語の歌を練習した時、rは巻き舌と教わったのを思い出した。

Posted by ブクログ

2013/03/11

ユリシーズが誰にも分からぬように乞食に身をやつして故国に戻ったとき、愛犬アルゴスだけは主人を認める。しかし、肥料用の牛糞の中に見捨てられていたシラミだらけの老犬は尾を振るばかりで近づく力さえなくしていた。さしもの英雄ユリシーズもその姿を見て涙したという。書名の由来だが、犬という生...

ユリシーズが誰にも分からぬように乞食に身をやつして故国に戻ったとき、愛犬アルゴスだけは主人を認める。しかし、肥料用の牛糞の中に見捨てられていたシラミだらけの老犬は尾を振るばかりで近づく力さえなくしていた。さしもの英雄ユリシーズもその姿を見て涙したという。書名の由来だが、犬という生き物と人間との関わりの深さを象徴してあまりある。ユリシーズは著者の愛犬の名でもある。その愛犬にまつわる話と、古今東西の文学の中に現れる犬についての逸話が集められた短編集。著者の文学に関する知識は広く、日本に限っても谷崎、漱石はおろか馬琴の『南総里見八犬伝』にまで話は及ぶ。愛犬家もいればそうでない人もいる。文学者としての評価はさておくとして、トーマス・マンの犬に対する無神経さや、R・L・スティーブンソンの驢馬(犬ではない)に対する無慈悲な態度には動物好きでなくても義憤を感じずにいられないだろう。一方、大の犬好きとして知られているフロイトは、晩年顎を癌に冒されていたが、愛犬のチャウチャウ犬ルーンは、その悪臭におびえ部屋の隅にうずくまったままだったという。愛犬によって自分の死期を知らされる思いはいかばかりのものであったろうか。一つ一つの話は単なる逸話にとどまらず、人間と犬についての深い考察が試みられている。犬好きでなくとも楽しめること請け合いである。

Posted by ブクログ

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