1,800円以上の注文で送料無料

哲学者は午後五時に外出する NATSUME哲学の学校3
  • 中古
  • 店舗受取可
  • 書籍
  • 書籍

哲学者は午後五時に外出する NATSUME哲学の学校3

フレデリックパジェス(著者), 加賀野井秀一(訳者)

追加する に追加する

哲学者は午後五時に外出する NATSUME哲学の学校3

定価 ¥2,090

220 定価より1,870円(89%)おトク

獲得ポイント2P

残り1点 ご注文はお早めに

発送時期 1~5日以内に発送

店舗受取サービス対応商品

店舗受取なら1点でも送料無料!

店舗到着予定

11/13(水)~11/18(月)

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 夏目書房/
発売年月日 2000/11/01
JAN 9784931391567

店舗受取サービス
対応商品

店舗受取なら1点でも送料無料!
さらにお買い物で使えるポイントがたまる

店舗到着予定

11/13(水)~11/18(月)

哲学者は午後五時に外出する

¥220

残り1点
ご注文はお早めに

カートに追加するカートにいれる

商品レビュー

4

3件のお客様レビュー

レビューを投稿

2014/03/31

「哲学は、注釈に注釈を重ねるだけのものではないし、聖なるテクストを反芻するだけのものでもない。それはまた、生活の仕方そのものなのだ」そう、哲学者は思想のみで生きるに非ず。彼/彼女らもまた人の子であり、他者と違った考えに至るちょっと変わった日々が積み重なっているものである。時に微笑...

「哲学は、注釈に注釈を重ねるだけのものではないし、聖なるテクストを反芻するだけのものでもない。それはまた、生活の仕方そのものなのだ」そう、哲学者は思想のみで生きるに非ず。彼/彼女らもまた人の子であり、他者と違った考えに至るちょっと変わった日々が積み重なっているものである。時に微笑ましく、時に最低なエピソードに慄きながらも、過度に煽り立てない著者の語り口はあほらしく、かつあたたかい。哲学書ならぬてつがくしょとでも呼ぶべきユーモアに溢れた本書は人生の悲喜こもごもをてつがくてきに笑いとばしてくれる、気がする

Posted by ブクログ

2013/11/09

哲学者も我々と同じ人間である…自己保身に走ったり、ムラっとしてしまったり。 この本はそんな哲学者のゴシップ記事を集めた書です。カントが始終己の健康だけに興味感心を持っていた事や、ライプニッツの称えられるべき処世術(もちろん皮肉的な意味で)、サルトルの女性遍歴やソクラテスの最期の本...

哲学者も我々と同じ人間である…自己保身に走ったり、ムラっとしてしまったり。 この本はそんな哲学者のゴシップ記事を集めた書です。カントが始終己の健康だけに興味感心を持っていた事や、ライプニッツの称えられるべき処世術(もちろん皮肉的な意味で)、サルトルの女性遍歴やソクラテスの最期の本当の意味…理想として、神話化されていた哲学の世界に土足で踏み込んでいきます。野次馬精神豊かな自分には楽しい一作。 しかし、さりげなく挟まれる現代哲学への痛切な批判が一番の醍醐味ではないでしょうか。瞑想…これつまり旅をすること。図書館に閉じこもり、原典で武装し、引用もて攻撃し、解説書だけを読んでいく現代哲学。遍歴し、弟子を持ち、ダイモーンの声を聞き、海賊への恐怖に怯えながら船を出す。冷血な白電球で照らされる哲学と、揺れる蝋燭に照らされる哲学。 どちらが真の姿なのか、考える必要がありそうです。

Posted by ブクログ

2008/10/15

面白いー。楽屋ネタやゴシップを開陳しながら、そこから一応哲学ってなあに? みたいな話を著者流にちゃんとしている本で愉しい。 「原稿をいい加減に作成することによってサルトルは、かつての先生方から習ったとおりの哲学/文学間の分裂を再現し、たとえばディドロ、ヴァレリー、シオランなど...

面白いー。楽屋ネタやゴシップを開陳しながら、そこから一応哲学ってなあに? みたいな話を著者流にちゃんとしている本で愉しい。 「原稿をいい加減に作成することによってサルトルは、かつての先生方から習ったとおりの哲学/文学間の分裂を再現し、たとえばディドロ、ヴァレリー、シオランなどの運悪く文体がアカデミックでない哲学者たちの本が、すべて文学の棚に追いやられる原因をつくってしまったのである」 エピクロスの有名な「テトラパルマコン」、すなわち不安に対する「四つの治療薬」、この薬となる言葉は声高に謳われた。 神を恐れてはならない 死を恐れてはならない 快楽は誰にでも手がとどき 苦痛は我慢することができる この四行には、ギリシア人の耳にとって聞き取りやすいリズムがあったのに違いない。朗唱する弟子たちは、目を閉じたり、頭や上半身を軽くゆすったりしていたのだろう。まさに大人のための童謡のようなものだった。冷ややかな教え方をしていたら、生徒たちにエピクロス主義の何たるかが伝わるはずはないのである。 「哲学者は「著者」になりたがり、「著者」コンプレックスを抱く。これは現代病である。世間的な認知は「本」を通じてやってくるのだから、「作品」を残さなくてはならない。気を散らしてはならず、地歩を確立し、真剣かつ深刻で、技術的にふるまい、大衆を威嚇する批評家たちを威嚇しなくてはならない。このようにして、短距離の、毒舌の、アフォリズムの、奇襲作戦の専門家が、耐久レースやドロップハンマーのようなものを夢見るのである。ニーチェは「ツァラトゥストラはかく語りき」について、「今回こそ、私は大々的な手段で撃って出る」と言っていた。しかし、この寓意的で大袈裟な長距離砲は、もちろん彼の最高傑作ではない」 「イェニー・マルクスによれば、彼女の夫は意図的に「膨大な歴史的資料をつけ加えることにした。……なぜなら、ドイツ人は分厚い本しか信じないから」なのだそうである」

Posted by ブクログ

関連ワードから探す

関連商品

同じジャンルのおすすめ商品

最近チェックした商品