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さようならを告げるとき
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さようならを告げるとき

メリー・M.グールディング(著者), 深沢道子(訳者)

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さようならを告げるとき

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 日本評論社/
発売年月日 1997/01/20
JAN 9784535560352

さようならを告げるとき

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2018/05/19

死すべき定めと知りつつ なお愛し合うわれら 神にもまさる ―ピーター・ヴィーレック「鷲」 それがクレージーな行動だと頭ではわかっていたのに、やめられなかった。すべてのものがいつでも完璧でなければならなかったのだ。浴室をピカピカに磨き上げ、シャワーはアスレティック・クラブで浴び...

死すべき定めと知りつつ なお愛し合うわれら 神にもまさる ―ピーター・ヴィーレック「鷲」 それがクレージーな行動だと頭ではわかっていたのに、やめられなかった。すべてのものがいつでも完璧でなければならなかったのだ。浴室をピカピカに磨き上げ、シャワーはアスレティック・クラブで浴びて、バスタブすら使わなかった。台所をきれいにしておくために、すぐ食べられるようになっている出来合いをスーパーマーケットで買い、料理をほとんどしなかった。ごくたまに自分で料理をしたときでさえ、テーブルに座って食べる前に使った道具をきれいに洗って棚にしまった。だからいざ食べる時になると料理はもう冷たくなっていたが、私はそれがきにならなかった。関心がなかったからだ。 誰かが昼食か夕食に招いてくれるのが私はとてもありがたかった。しかし「何かしてあげられることがあったら教えてちょうだい」とか、「そのうち会いましょう」とか言う人に対しては、それが会いたい友人だったとしても、うっとうしく感じた。私はどんな風に反応してよいのかわからず、自分から何か提案するエネルギーもなかったのだ。レストランを選ぶことすらしたくなかった。 夢 私は波打ち際を独りで歩いていて、死体が埋められている盛り土の山がいくつもあるのを目にする。どういうわけか、私にはどれがボブのものだかわかり、砂を取り除こうと両手で必死に掘り起こす。突然彼がすっくと立ち上がり、自分の身体についている砂を振り落とす。「可哀想なベイビー」と彼は言い、それは私が何かに動揺した時に彼がよく言ったのと同じ言葉だ。その言葉と声音はとても馴染が深く、私は彼が胸の中に私をやさしく抱き寄せているのを感じとる。「君は僕が死んだと思った。でも僕は死ななかったんだよ。僕が何をやったのか君に見せてあげよう」。彼は砂に掘られた穴を指さs。「ほら、僕は息ができるように、顔の下にある砂をかき出しておいたのさ。賢いよね、僕は。そうだろう?」 彼に返事ができる前に私は目が覚めた。彼は死んだままであり、私はすすり泣いていた。 二人ともが、愛する人の死の後で「さようなら」と別れを告げることがどのくらい必要なことかを知っていた。残された人たちが、もう変えようのない過去を変えたいという不毛な望みに自分のエネルギーを集中させている間は、立ち直りが難しい。 そして今ここに、いわゆる「専門家」である二人が座り込んで、愛する人の死を嘆き悲しむ人たちみんながするのと同じことをしているのだ。 私たち二人は過去のいろいろな小さな出来事に思いをめぐらしながら、それを変えたいと願い続けた。 二人が本当に望んでいたのは、きちんと「さようなら」を言うことではなかった。 互いの愛する人たちが、今この瞬間にここに一緒にいてくれたらよかったのに、という 願いだった。 望みを失った 悲しみに 生命のほむらは 凍てついたまま 絶えず一点を凝視して 動かない 記念像の 表情のように ―エリザベス・バレット・ブラウニング「悲しみ」 肉体から解き放たれた霊魂は 四肢のない生命の営みに ある新しい喜びを 見出だすのかも知れない それは肉体の束縛から 自由になった 空霊の喜びかも知れない あるいは 清澄な星を思わせる霊魂が 遊泳する大空にも似た 安らぎかも知れない さらには 無数の感覚細胞が 長年月の肉体への 隷属から解放されて去り 異なった経験を 享受するのかも知れない つまりそれらの細胞が あるいは大地に帰り あるいは若草となって 再生するのかも知れない あるいはまた そのまま枯渇して しまうのかも知れない そのいずれなのか 私たちにはわからない だがよし死が すなわち枯渇を意味しようとも 人生は一つの奇跡に 他ならない ―ジョン・メイスフィールド「ソネット集」 自分は何の努力をしなくても、セラピーを受けている間に変化や治癒というものが自然に起こるのだ、と誤解している人がたくさんいる。つまり、心の平和、パワーを身につける、その他クライエントがセラピーに求めているものが何であれ、問題の原因についてぴったりとした記憶が呼び戻せ、正しい洞察が起こり、特にこうしたことに対してセラピストの適切な解釈がありさえすれば、びっくりするように素晴らしく、かつインスタントな結果が起こるという考えがそれだ。しかし人間というのはコンピューターとは違い、簡単にプログラムの作り替えはできない。たとえ素晴らしい援助があったところで、自分たち自身も懸命に取り組まなければセラピーは成功しないのだ。

Posted by ブクログ

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