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キリストの模範 ペラギウス神学における神の義とパイデイア
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キリストの模範 ペラギウス神学における神の義とパイデイア

山田望(著者)

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キリストの模範 ペラギウス神学における神の義とパイデイア

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 教文館/
発売年月日 1997/08/10
JAN 9784764271647

キリストの模範

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商品レビュー

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2020/09/20

ペラギウスは、アウグスティヌスから異端者として告発され、排斥された神学者であるが、本書は、彼の思想を解説し、彼が実は異端的思想を持ってはいなかったと説明しているものだ。 ペラギウスは原罪を否定しており、キリストという模範に従うことで罪を犯さず生きることができる、と説いている。 ...

ペラギウスは、アウグスティヌスから異端者として告発され、排斥された神学者であるが、本書は、彼の思想を解説し、彼が実は異端的思想を持ってはいなかったと説明しているものだ。 ペラギウスは原罪を否定しており、キリストという模範に従うことで罪を犯さず生きることができる、と説いている。 キリスト教界にもさまざまな視点、神学系統があることが理解できる。

Posted by ブクログ

2005/08/31

本書は、従 来からの「ペラギウスはキリスト教会史最大の異端者」というレッテルに真っ向から対抗した野心 作である。ペラギウスは従来、恩恵論を確立した「西方最大の教父」であるアウグス ティヌスに無謀にも議論をふっかけた、邪悪な異端者というイメージで見られていた ことが多かった...

本書は、従 来からの「ペラギウスはキリスト教会史最大の異端者」というレッテルに真っ向から対抗した野心 作である。ペラギウスは従来、恩恵論を確立した「西方最大の教父」であるアウグス ティヌスに無謀にも議論をふっかけた、邪悪な異端者というイメージで見られていた ことが多かった。しかしこの著作は、このように「偉大なアウグスティヌス」の惹き 立て役として、そのフィルターを通してしか評価されることがなかったペラギウス を、彼自身に「寄り添う」ことによって、再評価を求めるものである。山田氏は本書 において次のようなことを主張する。  ペラギウスは従来言われてきたような「異端者」などではなく、東方教会の伝統の 上にあり、正統かつ正当にパウロの信仰義認論を相続している。異端者として評価さ れることになったのは、アウグスティヌスとの論争における「論駁資料」を通してで あるが、それは正しくペラギウスの「本心」を表したものではない。そしてまた、彼 の言明は牧会的な配慮のうちに為されたものであり、命題的に読んではならない。そ の背景には、ペラギウスが、当時のコンスタンティヌス体制の堕落した教会や社会状 況に対して、「自覚的信仰者」による教会を目指していた、ということもある。 このことを、宗教社会学的に「現象として」、以下のように捉えることはできないだろうか。 アウグスティヌスは原罪の教理をもって、結果的に、信仰者が罪を犯し続けることを 容認することとなった。これはそのまま、これも結果的に、信者と未信者との区別を 曖昧にする方向に働き、千数百年に亘るコンスタンティヌス主義教会観を基礎付ける 重要なエレメントの一つとなったと言えよう。この流れは、原罪論を保持する宗教改 革主流派においても引き継がれ、国教会や領邦教会として残存することになり、ま た、信仰箇条への「知的同意」を持ってキリスト者とした、と揶揄されるような風潮 も生むことになった。 著者によると、これに対してペラギウスは、実質的な信仰者による教会を目指した わけだが、それが彼の牧会における「教育」への力の入れ方に表れている。本当のキ リスト者ならば、目に見える霊的な成長があってしかるべきであり、また、それを促 進するのが牧会の役割と捉えていたのである。 救済に関する事柄は本来、人の永遠の問題に関わる、かなりセンシティブなものであ り、軽々しく知的に弄ぶことができるものではない。そしてペラギウスも牧会者とし て、このことを十分に理解していたのであろう。救いと滅び、キリスト者と非キリス ト者との区別を曖昧にする、コンスタンティヌス主義に対抗したのは当然と言える。  このような自覚に立って行う牧会は、相当センシティブな言動が要求される。既に 論じたように、教理的・組織神学的命題を用いることができる対象は、かなり限られ ている。「ペラギウスは、パウロ書簡註解の中で、好んで一人称の語りを用いた」  ことと共に、次の指摘は重要である。 「人は欲するならば罪を犯さないでいることができる」との発言は、現実に罪を犯さ ない状態が存在することを主張するいわゆる神学的「命題」というよりはむしろ、罪 を犯さないように努めようとする信徒の意志の働きを促す目的で、いわば倫理的勧告 として語られたものであった。 このような視点を、現代の我々も学ぶ必要があると考える。牧会の現場において、信 徒同士の交わりにおいて。さらに、神学史を学ぶにあたり、「文字」として残ってい るものを、その「コンテクスト」を鑑みて読解するべきことも、改めて教えられたこ とである。

Posted by ブクログ

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