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禅と陽明学(上) 人間学講話 人間学講話
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | プレジデント社/ |
発売年月日 | 1997/05/26 |
JAN | 9784833490214 |
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禅と陽明学(上)
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禅は内省の佛教手法である。ある意味では釈尊の説く小乗佛教を正統に受け継ぐ流派である。釈尊の説く解脱や六道の思想が人の怠惰思想と絡まって他力思想に行きつき、浄土や真言系のように煩悩はそのままに極楽に行き着くにはどうしたら良いかという極めて下卑た宗教になった。 否、宗教は下卑たも...
禅は内省の佛教手法である。ある意味では釈尊の説く小乗佛教を正統に受け継ぐ流派である。釈尊の説く解脱や六道の思想が人の怠惰思想と絡まって他力思想に行きつき、浄土や真言系のように煩悩はそのままに極楽に行き着くにはどうしたら良いかという極めて下卑た宗教になった。 否、宗教は下卑たものである。釈尊や孔子、キリストの思想は哲学であった。それを衆生の救済とマッチングして商品としたのが宗教である。宗教では救いが共通である。それが現世利益か来世利益かは別として。自分が救われるために悪事はしない、人を愛するという教義を守り、布施や洗礼などのサクラメントを通して帰属感を深める。 宗教は方便である。人間の生まれつき悪事を為す性質と自分だけは救われたいという利己意識。これを共存させれば、社会は混乱し、世は乱れる。しかし、これをアンビバレントな関係に対置することで世の中全体を落ち着かせようとする。それは決して倫理に因るものではない。カントの善意思でもなく、極めてプラグマティックに救済希求性を実現する方法である。 ルターが宗教を信じようとする行為そのものが悪であると喝破したように、自分が救われたいから信じるという行為はキリストの我が身を犠牲にしても神の子である人民を救済しようとした精神とは真逆のものである。 キリスト教におけるルターが佛教における王陽明である。自己の魂の精錬なしに解脱はなく、行動なき思考は空理である。幸福を求める意識がすでに煩悩である。一個、太陽のごとく、太陽のごとくあれば太陽になり、太陽であればまわりもその功徳に預かることができる。しかし、それは副果であって本意ではない。自分が温まることも、周りを温めることも空・想である。太陽のごとくあればいい。
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