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唯幻論論 岸田秀コレクション
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 青土社/ |
発売年月日 | 1997/06/09 |
JAN | 9784791791026 |
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唯幻論論
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―長田弘 書くこと読むことが、いまは分けて考えられているのが普通みたいになってるけれど、本来そうじゃないんだと思います。もともとは書くということは読むこと、読み方の一種だったし、いまだって本当はそうですね。読むというのは、いま岸田さんがおっしゃったように自分の前にあるいろいろなも...
―長田弘 書くこと読むことが、いまは分けて考えられているのが普通みたいになってるけれど、本来そうじゃないんだと思います。もともとは書くということは読むこと、読み方の一種だったし、いまだって本当はそうですね。読むというのは、いま岸田さんがおっしゃったように自分の前にあるいろいろなものを自分で編集して編んでいくという編集作業なのであって、編集作業というのは、一人一人の世界の読み方なんですね。 けれども、そういう世界の読み方としての一人一人の編集作業というのが、一人一人の場から切り離されてるような感じが、逆にむしろ強くなっている気味合いが、いまはありますね。たとえば、歴史というのはとりわけ一人一人の編集作業の上に立ってはじめて見えてくるだろうと思うんですが、そうじゃなくて、歴史を編集するということが、こう読みなさい、こう書きなさいということを支配する道具みたいに、ずっと思われてきたということがあるでしょう。 編集というものの前に、採集がある。採って集めますね。その採って集めたものを自分なりに読み解く、あるいはそれを書き記す。あるいはそれを整理するということが編集という仕事であって、最初に出来あいの箱やケースがあって、そこに手際よく収めるというのではなくて、とにかく目をこらして、耳を澄ませて、採集したものにしたがって考える、あるいは感じる。まずそこから編集という作業は生まれてくるんだと思うのです。 編集という字はいくつもあって、編んで集めると書く編修もあるし、編纂という言い方もあります。どう書いても「編」ということ肝心なんで、編集というのは自分で編むことなんです。だから、そういうように広い意味で考えると、人間は編集する生き物というようにも言えますね。採集し編集する生き物。 -p96/6まで p96 書くということは、まさにそういう行為ですね。やはり、一冊の本を書くというのは、その十倍も二十倍も書くことを持っていて、その九割以上を捨てるわけですが、その捨てたものも、それを書く上で必要だったのです。しかし、最終的には九割以上を捨てて一冊の本になる。捨てた九割が足場なんですね。 p96 長:出来上がったものというのはそれだけではなくて、出来上がったことによって壊された見えない足場も一緒に加わって、全体なんだということですね。 岸:読む側としても、本を読むときにこの背後に何倍か何十倍かのものがあるわけですから、単に表面に文字として書かれていることを読むのではなくて、文字の背後にいろいろなことを読み込んで読んでるわけです。読者が文字の背後に読み込んだことが、著者が文字の背後に持っていたことと同じであるとは限りません。 著者書かなかったこともその著者から学ぶというか、その本には書いてないことを、その本を読むことによって分ってくるということもよくあるわけです。そうして、読者も読みながら、単にパッシブに著者の考えを受け入れているのではなくて、受け付けないものはやはり受け付けないですから、自分なりの枠組みのなかで選択しているわけです。 p97 長田:研究とか勉強の仕方として記憶による引用は間違いが多くて認められないだろうけれども、本当は記憶による引用のほうが、その人にとって非常に意味がある。 p119 人間のセックスは本能ではなく、趣味の一種ですから――わりと広範囲に普及している趣味だと思いますが――、ほかの趣味に熱心だと、当然、セックスの趣味はあまりないということになるでしょうね。 p121 ビデオの映像には、そのまま直に見ている、体験しているような作用があるように思うんです。だとすると、ポルノビデオを見まくっていたら、毎日覗きをやっているのと同じ結果が生まれて、実際にするよりこっちのほうがいい、という気になったりするかもしれない。 p122 長田:離人病なんかはそうですね。英語でいうと、デパーソナライゼーション。つまり、パーソンであるという感覚がなくなる。自分の肉体も含めて、すべてのことに現実感がなくなるという病気ですが、昔から、これは極めて珍しい病気だった。それが、現代においては、病気というほど深くはなく、軽い形で蔓延しているようですね。 岸田:ただ、どういう状態が人間にとってノーマルなのかは常に動いているわけで、いまはむしろ、そのほうがノーマルになりつつあるのかもしれない。 p124 岸田:アメリカの正義とか、フセインが悪魔だというのは観念ですからね。そういった観念は、テレビを媒体にしては伝えられない。観念をあおりたてるのは、やはり活字メディアが有効な手段になるんじゃないですか。 p126 岸田:取っ組み合いをしたり、痛い思いををしたりする過程で、もともとないからのリアリティを、人は獲得していくんです。
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