- 中古
- 書籍
- 新書
- 1226-15-01
重光葵 上海事変から国連加盟まで 中公新書
定価 ¥770
660円 定価より110円(14%)おトク
獲得ポイント6P
在庫なし
発送時期 1~5日以内に発送
商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 中央公論社/ |
| 発売年月日 | 1996/08/25 |
| JAN | 9784121013187 |
- 書籍
- 新書
重光葵
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
値下げ前価格について
本価格は現中古販売価格の「値下げ前価格」となります。
直近約1か月間、値下げ前価格での販売実績があるものだけ表示しております。
重光葵
¥660
在庫なし
商品レビュー
3.4
5件のお客様レビュー
重光の回想録を基にしており、評伝というより回想の平易版といった内容。 6,7章だけなら☆5。久しぶりに時間を忘れて本に没入した。 中でも6章、戦災下で鉄道移動する際の生々しい情景や、 7章、巣鴨プリズンでの東条や平沼ら他戦犯との交流、A級戦犯として裁判を受ける重光の心情の描写...
重光の回想録を基にしており、評伝というより回想の平易版といった内容。 6,7章だけなら☆5。久しぶりに時間を忘れて本に没入した。 中でも6章、戦災下で鉄道移動する際の生々しい情景や、 7章、巣鴨プリズンでの東条や平沼ら他戦犯との交流、A級戦犯として裁判を受ける重光の心情の描写 はとても面白かった。
Posted by 
『重光葵手記』をベースにしながら、重光葵の生涯をたどる。正直、この本は重光葵の評伝と呼ぶには違和感がある。手記の引用が多く、彼目線の戦中外交史と呼んだ方がいいかもしれない。 また、幼少期から学生時代に至る生い立ちについての記述がほぼない。最終章に少し記述があるくらいか。1929年...
『重光葵手記』をベースにしながら、重光葵の生涯をたどる。正直、この本は重光葵の評伝と呼ぶには違和感がある。手記の引用が多く、彼目線の戦中外交史と呼んだ方がいいかもしれない。 また、幼少期から学生時代に至る生い立ちについての記述がほぼない。最終章に少し記述があるくらいか。1929年の上海総領事時代から本書はスタートしており、その点はやや不満である。 さらに、重光葵の最大の謎である、鳩山内閣外務大臣時の日ソ領土交渉の経緯についての記述も薄い。あとがきで、著者は重光葵の真骨頂は戦前・戦中期の外交官、政治家としての活躍にあったと述べているが、だとしても戦後に彼が果たした役割も大きく、特に日ソ領土交渉についてはもう少し記述が欲しかった。 とはいえ、戦前・戦中は米、英、中との友好関係に尽力し、外交官・外務大臣としての重責を担うに足る見識を持っていたことは本書の引用する手記から伝わってくる。しかし残念ながら、戦後の混乱する政党政治の荒波を乗り切る力は無かったようだった。息子の篤氏が「おやじは気の毒でした。政治の世界には向いていなかった。政党総裁などにはなるべきではなかった」と述べたとおりである。
Posted by 
重光葵は戦後の政治家としてよりも戦前・戦中の外交官としての 方が存在感があるんだよな。 本書は重光葵の回想録や手記からの引用が多用されているので、 人物を描くと言うよりも重光の目を通した外交史の一面というとこ ろかな。 1932年の上海事変後には駐華公使として中国と...
重光葵は戦後の政治家としてよりも戦前・戦中の外交官としての 方が存在感があるんだよな。 本書は重光葵の回想録や手記からの引用が多用されているので、 人物を描くと言うよりも重光の目を通した外交史の一面というとこ ろかな。 1932年の上海事変後には駐華公使として中国との停戦協定締結 の為に奔走する。締結間際の天長節の式典での爆弾攻撃で右脚 を失うことになるのだが、手術直前に停戦協定に署名する。 駐ソ公使としてモスクワに赴任した時には日独防共協定直後という これ以上ないほどの悪いタイミングだし、吉田茂の後任として駐イギ リス大使として赴けば日独伊三国同盟締結。 ヨーロッパ情勢を分析して「日本はヨーロッパの戦争に介入しては いかん」と再三日本へ書き送っていた重光にしたら、「何してくれて つんだ、松岡外相」って心境だったのだろうな。 それでもイギリス・チャーチル首相との関係は良好だったようだから、 これはひとえに重光の人柄があったのだろうと思う。 重光行くところ難題ありって感じの外交官生活なのだが、どこに赴任 していようと国際感覚とバランス感覚を失わず、軍部主導に傾いて いくことを軌道修正しようとしていたのが分かる。 それが東條内閣・小磯内閣で外相になった際の、スウェーデンを通し ての和平交渉の模索だったのではなかろうか。 歴史に「もし」は禁句だけれど、この時の和平交渉が後任の東郷外相 に継続されていたらなら終戦はもう少し早かったのかもしれない。東郷 外相はソ連ルートを模索していたが、結局ソ連に拒否されるのだから。 そして、重光葵と言えばミズーリ号上での降伏文書調印だが、これも 各人が責任の押し付け合い。軍部は「軍人にとっては自殺に等しい」 と言い、政治家は「政治生命の終焉」ととらえた。 重光自身は近衛文麿が適任と思っていたようだが、その近衛も「陛下 に聞いて来るね」と言って責任逃れ。結局は昭和天皇のご意向で重光 と梅津大将に大命が下るのだが。 戦中も何度か昭和天皇へ海外状況などを報告している重光だから こそ、昭和天皇の信任も厚かったのかもしれない。 「不名誉の終着点ではなく、再生の出発点である」 降伏を不名誉ととらえた多くの軍人・政治家と、重光の捉え方が大きく 違ったのも興味深い。 外交官の視点での太平洋戦争なので、重光葵の生い立ちにはまったく 触れられていないのが少々残念。「欠点がないのが欠点」と言われた 人となりが知りたくなった。
Posted by 
