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ぜいたく列伝 文春文庫
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ぜいたく列伝 文春文庫

戸板康二(著者)

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ぜいたく列伝 文春文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 文藝春秋/
発売年月日 1996/03/10
JAN 9784167292119

ぜいたく列伝

¥220

商品レビュー

4.5

2件のお客様レビュー

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2013/05/14

ぜいたくってなんだろう?「私自身は、ぜいたくな生活をほしいままにできる人間ではないし、また、しようとは思わない」と言う著者が、それでも魅力を感じずにはいられない「正しい意味で、ぜいたくな生涯を送った先人」たちを取り上げ、戸板流「ぜいたく」の定義を示してみせたのがこの本。 光村利...

ぜいたくってなんだろう?「私自身は、ぜいたくな生活をほしいままにできる人間ではないし、また、しようとは思わない」と言う著者が、それでも魅力を感じずにはいられない「正しい意味で、ぜいたくな生涯を送った先人」たちを取り上げ、戸板流「ぜいたく」の定義を示してみせたのがこの本。 光村利藻の愛妾 十一代目片岡仁左衛門の豪遊 谷崎潤一郎の四季 吉田茂の白足袋 横山大観の富嶽図 大倉喜七郎のホテル 藤原義江の女性 内田百閒の御馳走 長谷川巳之吉の出版 徳川義親の虎狩り 西条八十のかなりや 小林一三の宝塚 堀口大学の月光 梅原龍三郎の北京 鹿島清兵衛のぽん太 花柳章太郎の衣裳 御木本幸吉の真珠 福地楼痴の團十郎史劇 益田太郎の喜劇 志賀直哉の座右寳 五代目中村歌右衛門の下げ髪 薩摩治郎八のパリ 西園寺公望の清雅 明治の大富豪から実業家、歌舞伎や新派の役者、芸術家らのそれぞれの「ぜいたく」が紹介されるが、そこはなんというか「戸板マジック」とでもいうのか、読み進めてゆくうちになぜかその人物に対して好感をおぼえてしまうのが不思議である。戸板康二は、人物を語るときつねに「加点評価」するひとである。ある人物の繊細なところ、独特のところ、鋭いところ、新奇なところばかりを巧みにすくいあげてゆく。意図的にというよりは、それはきっと戸板康二というひとの「人間のよさ」に由来しているという気がする。あとがきで「ぜいたく自身が人徳になっている人たちが、私にすがすがしい余韻を残してくれた」と語っているが、戸板康二というフィルターを透してこそ、読者もまたここに登場する人物たちの豪放な生き様に「すがすがしい余韻」を感じるのである。ぜいたくとは、「物質的な奢り」ではなく、ある人物をその人物たらしめている心の棲み処のようなものなのだろう。

Posted by ブクログ

2010/10/31

ぜいたくをするではなく、ぜいたくに生きる!ぜいたくをするのはお金があれば出来るが、ぜいたくに生きるには才覚がいる。 ブックオフ100円コーナーで買った「ぜいたく列伝」文春文庫は、明治から昭和の時代をぜいたくに生きた23人の綺羅星の如き人物列伝。まず著者・戸板康二の「ぜいたく」の定...

ぜいたくをするではなく、ぜいたくに生きる!ぜいたくをするのはお金があれば出来るが、ぜいたくに生きるには才覚がいる。 ブックオフ100円コーナーで買った「ぜいたく列伝」文春文庫は、明治から昭和の時代をぜいたくに生きた23人の綺羅星の如き人物列伝。まず著者・戸板康二の「ぜいたく」の定義。「「ぜいたく」とは、むろん物質的に恵まれているにしても、巨富をたくわえて豪邸に傲然と反り返っているのではなく、精神悠々、生きることある。」という。もっと言えば、ぜいたくに生きるには富は大きな助けとなるが、巨富がなくてもそこそこのお金だけでもぜいたくに生きる事はできる。要は精神の持ちよう人生のありようである。この列伝の人物に共通するのは、世間の価値観にとらわれず天衣無縫に人生を生きたこと。自分も楽しみ人に喜びを与え、ぜいたく自身が人徳になっていることである。お金があってもこころ貧しき人はぜいたくな人生を歩むことが出来ない。 「ぜいたく列伝」の登場人物は吉田茂、谷崎潤一郎、梅原龍三郎など多士済々だが、特に面白いのは薩摩次郎八。明治末期に生まれのひとで木綿織物の豪商だった親から巨富を受け継いだ。彼自身生涯いわゆる事業も仕事も一切していない。大正8年18歳で渡欧、ヨーロッパ社交界の寵児となる。社交界にとどまらず、音楽家や画家たちとも交流。ラベル、ミロ、藤田嗣治、藤原義江などのパトロンでもあった。恋の相手も伯爵夫人、女優、モデルと華麗そのもの。フランス音楽を日本に紹介するために自費でパリからピアニストを日本に呼んでコンサートを開いたりパリの日本館を建設し仏政府から勲章をもらうなど、その金の使い方は壮大華麗。パリ留学時の実家からの一ヶ月の仕送りは当時の国会議員の年収の3年分、今の金額で約7000万円だったというから驚く。彼が生涯に「自分も楽しみ、人を楽しませる以外の目的なしに只何となく」使った金は今の貨幣価値で数千億に相当するという。この贅沢華麗な話もすばらしいが、敗戦で薩摩家が没落してほとんど無一文になり奥さんにも先立たれた後、60歳の時に25歳の浅草の踊り子(ストリップダンサー)に惚れて結婚、財もなく六畳一間に住み枯淡で幸福な日々を送ったという晩年の話もいい。74歳で愛妻に看取られ春秋に富んだ人生の幕を閉じた。著者の戸板康治氏は「あかあかと輝いていた日輪の斜陽のしあわせであった」と述べている。 再び「ぜいたく列伝」戸板康二著から。明治末期に日露の混血児として生まれ昭和初期にオペラ歌手として絶大な人気があった藤原義江。私が若い時はまだ健在でマスコミにもよく登場し、ハーフ独特の目の青さと豊かなもみ上げで骨太のがっしりした風貌はよく覚えている。 彼は稀代の漁色家、艶福家で数多くの女性と情を交わしたが、こんな言葉を残している。 「僕は彼女たちに嘘を沢山言った。しかし一度だって彼女たちを騙したことはなかった。だから僕も、彼女たちから騙されたことはない。」 子供のときに誰でも「嘘をついてはいけません」と教えられる。でも、嘘をつかずに人生を終える人はない。嘘は人生の潤滑油である。ただ、自分のついた嘘が誰かの気持ちにマイナスを与えたとしたら、それは人を騙したということになる。罪である。 嘘をついても、それが誰かにプラスを与えるものならそれは功徳でありプラスにはたらく。 たとえば愛する家族がガンで余命数ヶ月と診断された時、場合によってその事実を本人に言わないのは、嘘ではあっても騙してはいない。 ただ、人間関係の同じような状況で二人の人が同じように嘘をついても、一人は騙したわけじゃない自分のために言ってくれたと感謝され、もう一人は騙したと恨まれるというようなこともある。それはなぜか?嘘をついた人の人間性というか愛嬌の違いであり、もっと突き詰めると、嘘をついたその人にエゴがあるかないかの差である。エゴから発した嘘は人を騙し傷つける。廻りまわって自分自身も傷つく。 質問です。 日米安保条約の核の持込みで密約があったことがわかった。 日本国政府は国民に嘘をついていた。 これは国民を騙したことになるのでしょうか?

Posted by ブクログ

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