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ラカンの精神分析 講談社現代新書

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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 1995/11/20 |
JAN | 9784061492783 |
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ラカンの精神分析
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商品レビュー
3.4
26件のお客様レビュー
厚さの割にとても骨太。 自己言及の不完全性とy/x = x/(x+y)に通底して言及しながらラカンの理論に迫っていく。これを読めばシェーマが多少はわかるようになる、かも。
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ラカン理論の雰囲気を知るには良い本だと思う。半面、ラカンへの肯定のみで書かれているような本なので、一般的な感覚の持ち主にはトンデモ理論と捉えられかねない(私も半分はそう感じている)。もっと一般感覚とラカン理論の距離を埋めるような記述が欲しかった。特に、序盤が最もトンデモ理論っぽさ...
ラカン理論の雰囲気を知るには良い本だと思う。半面、ラカンへの肯定のみで書かれているような本なので、一般的な感覚の持ち主にはトンデモ理論と捉えられかねない(私も半分はそう感じている)。もっと一般感覚とラカン理論の距離を埋めるような記述が欲しかった。特に、序盤が最もトンデモ理論っぽさが強く、そこを乗り切れば、まあまあ理解可能かつ興味深い内容も多くなる。 私個人としては、フロイトの最も好きな部分である「科学者としての誠実さ」が、ラカンにおいては「精神分析家としての高潔さ」へと代わっているように思い、仮にフロイトが健在ならラカンを認めたのか?と思わずにいられなかった。 メラニー・クラインの理論の概要が序盤にあるのだが、そこからして付いていけない。乳児が乳房に羨望を向けて、無意識の幻想の中で攻撃を加え、破壊する。そのような妄想分裂態勢から、やがて抑鬱態勢へ移行する。これが生後6か月以内の出来事であるということなので「そんなことどうやって確かめたのだ」という真っ当な疑問がわいてくる。 本書のキーワードの一つは『対象aは黄金数である』になるのだが、自己をx、他者をyとしたとき、自己からみた他者をy/xとして、全体の中の自己をx/(x+y)として、これに対象aを付け加え、方程式のように扱うことで、先の黄金数が引き出される。…分数とすることも、方程式のように扱うことも、ぜんぜん理解できない。 ここまでで本書のおよそ1/3である。 ここから先は比較的理解可能な記述が続く。 デカルト、ウィトゲンシュタイン、さらにはドラゴンボールまで引用し、精神分析との接点が挙げられる。言語による自己言及の不完全性を具体化するために、福音書のイエスの言葉が引用が引用されたり、他者の欲望になる自由とは何かをイメージしやすいよう、浄土真宗や禅との類似点を挙げる等、序盤よりは読者に寄り添っている感はある。 有名な鏡像段階論。神経系の未発達のため、およそ18ヶ月までの乳児は、身体感覚による統一的な自己像より先に、鏡像に自己身体の統一像を見出し、これが『私』の形成要因である(この『私』とは、よくある精神分析の用語の「自我」に相当すると思われる)。これ自体は、乳児が実際にどのように感じているかは別としても、精神分析的神話として理解できる。鏡像体験とは『私の関知しない私の起源を鏡としての他者が支えているので、私は私の同一性についての考えを持つことができる』ということである。そしてそれは『視覚経験のレベルに置かれているとしても、ラカンがそこで追求したかったのは、人間が自己を人間として決定する、その決定のメカニズムだったのである』ということだ。 象徴界・想像会・現実界について説明される。 象徴界、統一された自己像の顕現を可能にするために与えられたもの。 想像界、鏡として自己像を与えるものとしての他人との関係。 現実界、それでも象徴化されず取り残されたもの、そもそもの起源。 この概念も、人間による世界解釈を考える際のツールとして非常に有効だと感じた。ここはまだついていける…と思っていたら、また数学的な装いでの黄金数を導くくだりがあり、その部分は理解不能なのは変わらず。 プラトンの『饗宴』、フロイトの『イルマへの注射の夢』を具体的に分析しながら、『対象a』が語られる。この辺は非常に面白く読めた。 ラカン理論によるエディプスコンプレックスの再解釈も行われる。そこで示されるのは『我々は、己れの存在を事実としては識っていても真理としては知らないということに、困惑しているのだ』という事態である。フロイトにおける『去勢』も『自己言及の不完全性という論理上の無力を、肉体上の無力によって表現した言葉』ということになる。
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ラカンの著作はまだ未読だが この本のラカン濃度が高すぎてお腹いっぱいになるレベルで楽しめました。 フロイトの精神分析理論をヘーゲル、ソシュール、レヴィ=ストロース等のエッセンスを汲みつつ斬新な論理構造と創作的自由さによって、大幅な刷新を試みたラカンの人生や私事にまで深く踏み込む。...
ラカンの著作はまだ未読だが この本のラカン濃度が高すぎてお腹いっぱいになるレベルで楽しめました。 フロイトの精神分析理論をヘーゲル、ソシュール、レヴィ=ストロース等のエッセンスを汲みつつ斬新な論理構造と創作的自由さによって、大幅な刷新を試みたラカンの人生や私事にまで深く踏み込む。 ヘーゲルの精神現象学を読んでる途中ゆえに 自己と他者の不可分な結びつきには興奮した、やっぱり同じ、というかヘーゲルすげぇ。 ドイツ観念論は哲学の歴史の中でもやっぱりでかい山なんすね。
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