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「世間」とは何か 講談社現代新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 1995/07/22 |
JAN | 9784061492622 |
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「世間」とは何か
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商品レビュー
3.4
51件のお客様レビュー
我々は「世間」という言葉に対してどのような印象を持っているだろうか。 Wikipediaには、インド発祥で迷いの世界を表す宗教用語とか書いてあるけど、少なくとも現代日本ではそのような意味で使われることはまずない。「社会」とか「世の中」といったものを表す用語として使われるのが一般的...
我々は「世間」という言葉に対してどのような印象を持っているだろうか。 Wikipediaには、インド発祥で迷いの世界を表す宗教用語とか書いてあるけど、少なくとも現代日本ではそのような意味で使われることはまずない。「社会」とか「世の中」といったものを表す用語として使われるのが一般的だろう。 本書は日本におけるこの「世間」について、英語の「society」の訳語にあたる「社会」との違い、日本人が自己を形成する上での「世間」との付き合い方、「世間」の中で「個人」はどのような位置を持っているのか、といった観点で論を展開している。 そのテキストとして、万葉集、古今和歌集、方丈記、徒然草、井原西鶴や夏目漱石、永井荷風などの日本文学作品を用いており、それら作品内で描かれた「世間」について考察しながら、日本における「世間」の捉え方の変遷を浮かび上がらせている。 一橋大の学長も勤めた著者は専攻がドイツ史とのことなので、てっきり日本と西洋の「世間」の違いを比較して論を進めるのかと思いきや、前述したような日本国内の文芸作品の解題だけでほぼ一冊を費やしていたのでちょっと意外だった。もちろんこれはこれで意義深い作業だとは思うけど、やはりこれだけでは「世間」というものの解説本として物足りなさは残った。 かつて「世間」は海や山や川のような自然界の出来事も包含していたとか、好色が恥ずべきものとなったのは近代以降とか、漱石は「社会」と「世間」の区別をなしえなかったとか、興味深いこともいっぱい書いてあるんだけどね。 実は本書の続編にあたる『「教養」とは何か』のほうで西洋との「世間」の違いについて掘り下げており、こちらはそこそこ難解なので感想を書けるかどうか分からないけど、本書のタイトルの答えとしてはこの2冊を合わせて評価しないといけないのかなと思った。 ちなみに序章で大まかな結論は述べられているので、時間の無い方は序章だけ読んでもいいと思います。
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私たちにとってはなじみ深い観念である「世間」を日本固有のものと見なしたうえで「社会」や「個人」といった西洋由来の観念と対置して捉える。日本の歴史における「世間」への意識の変遷と、これを対象化しようを試みた「隠者」としての文学者たちの系譜をたどる。約240ページ。 本書全体を通し...
私たちにとってはなじみ深い観念である「世間」を日本固有のものと見なしたうえで「社会」や「個人」といった西洋由来の観念と対置して捉える。日本の歴史における「世間」への意識の変遷と、これを対象化しようを試みた「隠者」としての文学者たちの系譜をたどる。約240ページ。 本書全体を通して「世間」の正体を突き止める試みがなされることを窺わせるタイトルだが、実は読み手の関心をそそるこの問いかけそのものは書名と同じタイトルである序章の時点で、既に次のように定義づけられている。 「世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結び付けている」 「日本ではいまだ個人に尊厳があるということは十分に認められているわけではない」 「自分達の世間の利害が何よりも優先される。このように世間は排他的であり、敢えていえば差別的ですらある」 仮説とは断りながらも、この点については本書の完結まで変更はなく、タイトルの問いかけ自体は本書の目的というよりも前提として扱われる。本書において著者によってなされるのは「世間」が何かという探求というよりは、この仮説の裏付けであって、それぞれの時代の文学作品と文学者を通じて「世間」がどのように意識されてきたかをたどる試みにある。そして各章で時代ごとの代表として俎上にのぼる主な作品と文学者たちは以下のようになっている。 1章:万葉集をはじめとする和歌、「源氏物語」、「大鏡」など 2章:吉田兼好 3章:真宗教団・親鸞(本章のみ宗教が対象) 4章:井原西鶴 5章:夏目漱石 6章:永井荷風、金子光晴 このうち著者がとくに重点的に扱うのが、2章・4章・5章のテーマとなる兼好・西鶴・漱石の三人である。著者はこの三人をそれぞれの時代において、私たちにとって空気のように自明である「世間」を対象化して表現したうえで、新たな生き方を提示することに成功した例外的な存在として評価する。本書は、この三人の作品と思想を対象に「世間」を相対化する観点にスポットを当て、その業績を検証することが半ば主眼となっている。そのうえで著者はこの三人を、一種の「隠者」として見立てている。実際に庵を結んで京を離れていた兼好だけでなく、その他二人もこれに加えているのはもちろん現実の場所や暮らし方を指してのことではなく、意識のうえで一般的な世の中とは遊離して客観視ができた意味においてである。 読書前にパラパラ眺めてみて、歴史に沿ってタイトルの問いを追求していく流れかと考えていたが、上記のとおり書名の問いへの回答は、実質的には序章の時点で完結している。そのため振り返ってみて、もっとも関心をもって読めたのはやはり序章だった。同じような興味の方は、あらかじめ序章だけ確認してみても良いかと思う。このように結論ありきといえなくもない本書だが、かといって退屈だったわけではなく、本書の主役といえる三人の「隠者」への考察は参考になった。中世のスノッブなエッセイ程度のイメージしかなかった「徒然草」は改めて現代語訳を当たってみたいと思えた。ただ、永井荷風と金子光晴を扱う最終章にかぎっては全くの蛇足にみえてしまった。 本書の本筋とは直接関係のない余談だが、序章にある次の指摘には、「権威主義」という概念への認識を改めさせられて印象に残った。今後もことあるごとに思い返すことになりそうだ。 「欧米人は日本人のことを権威主義的であるとしばしばいう。権威主義的とは威張っているということではない。自分以外の権威に依存して生きていることをいうのである。その権威が世間なのである。」
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「世間の掟」「世間を騒がせたことを謝罪する」「知識人の責任」の項のみ読みました。 この部分を読むだけで、十分元の取れる本です。
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