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生きることの解釈学
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生きることの解釈学

竹田純郎(著者)

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生きることの解釈学

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 勁草書房/
発売年月日 1994/06/06
JAN 9784326152933

生きることの解釈学

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2011/07/07

ディルタイの哲学的解釈学は、ゲーテの文学作品のような人間が生み出した「客観的精神」の理解を介して人間的生を探究する営みである。だが彼の畏友P・ヨルクは、解釈学的方法が、なおも対象化された形象に捕らわれていることを批判し、生の生動性そのものに迫らなければならないと考えた。 ディル...

ディルタイの哲学的解釈学は、ゲーテの文学作品のような人間が生み出した「客観的精神」の理解を介して人間的生を探究する営みである。だが彼の畏友P・ヨルクは、解釈学的方法が、なおも対象化された形象に捕らわれていることを批判し、生の生動性そのものに迫らなければならないと考えた。 ディルタイが解明しようとしたのは、歴史の流れの中で私たちがさまざまな事物を経験するあり方だった。これを著者は「歴史的経験」と呼ぶ。一方ヨルクが要求したのは、歴史的生がみずからを分節化することで、私たちと事物との出会いが可能になっていることを明らかにすることだった。私たちと事物との出会いを可能にしている歴史的生のあり方を、著者は「垂直的経験」と呼ぶ。本書がめざすのは、「歴史的経験」と「垂直的経験」という二つの歯車が噛み合っているありようを描くことである。 本書の前半では、主として「歴史的経験」の構造に、後半では「垂直的経験」の構造に焦点が当てられているが、すでに「歴史的経験」の分析においても、「垂直的経験」の関与が示唆されている。 著者は、物語の内容である「物語られる時間」と、そうした物語を意味的に統一されたテクストの形にもたらしている「物語る時間」という、二つの時間を区別する。そもそも時間は、人が知覚しうる形態を介さなければ見られることはない。二つの時間の関係に私たちが気づくのは、私たちが見ることのできる「物語られる時間」が、直接見ることのできない「物語る時間」の「隠喩」になっているからである。 ただし本書の「隠喩」という言葉は、「寓意」の意味をも含んでいることに注意しなければならない。ふつう隠喩は文字通りの意味をもっておらず、隠喩的意味を理解しなければ意味が通らない。だが寓意は、文字通りの意味を保持しながら、それを超える寓意的意味を読者に考えさせる。寓意は新たな解釈に「開かれた」ものなのである。 これらの議論を手がかりとしながら、現在のパースペクティヴから解釈をおこなうことで一つの物語を形作る歴史的経験が、そうした経験を可能にしている生の生動性の地平構造を告げ知らせていること、さらにそうした生の生動性の自己省察がつねにみずからを新たな反省へと「開いて」ゆく脱自的構造をもっていることを、著者は論じている。

Posted by ブクログ

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