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グラフィック・レポート 東京大空襲の全記録
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
| 発売年月日 | 1992/03/10 |
| JAN | 9784000098380 |
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グラフィック・レポート 東京大空襲の全記録
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石川智健「エレガンス」を読みながら、石川光陽が日々撮影していた昭和20年冬の東京を見たくなり紐解いた。 石川光陽。明治37年(1904)福井県に生まれる。東京九段の蜂谷写真館で修行、昭和2年(1927)警視庁入庁、以来昭和38年(1963)退職までカメラを担当。平成元年(198...
石川智健「エレガンス」を読みながら、石川光陽が日々撮影していた昭和20年冬の東京を見たくなり紐解いた。 石川光陽。明治37年(1904)福井県に生まれる。東京九段の蜂谷写真館で修行、昭和2年(1927)警視庁入庁、以来昭和38年(1963)退職までカメラを担当。平成元年(1989)没。 「それから君も知っている通り,空襲災害の状況撮影は一切撮影禁止になっていて、撮影の現場を官憲に見つかるとカメラは没収され、処罰されることになっている。君の撮影は許されるように警視総監名で撮影者は君の名で憲兵隊本部,陸軍省,管内各警察,消防署長宛に公文書の書類を出すから、遠慮なく撮影してくれ」 「ハイ、いろいろとご配慮を頂いて恐縮に存じます」 「警報が出たら直ちに装具を整えて地下の防空本部に詰めて,被爆地を知ったらすぐそこへ直行して呉れ.それからどこで死んでもすぐ判るようにいつも警察官の制服を着ていけよ」 「ハイ」 「私が君の骨はきっと拾ってやる」 原警務課長のこの言葉は未だに忘れずに脳裡に残っている。(空襲状況決死撮影の特命⸺まえがきにかえて) つまり石川光陽は、この時の東京の、然も空襲状況を撮ることが許されている唯一の人だったのである。勿論他にも密かに撮られた写真はあるに違いないけど、これだけの量と質を兼ね備えた記録は他には無い。何しろ機材は当時家が一軒買えるほどに高価だったライカDⅢなのである。その原板は、敗戦後GHQの提出要求を拒んで光陽が守り通し撮影者のものとなった。本書は、光陽死後に原板整理の委託を受けた森田写真事務所が、主に昭和20年の写真を中心に現存ネガプリントのほぼ総てと、新たに見つかった戦後清書されたらしい「光陽空襲日誌」を基に編集された写真集である。 だから、日誌における東京大空襲の描写は、著者の使命感と臨場感と相まって、更には無数の写真と見比べることになり、小説以上に優れたものになっていた。 3月10日土曜日 晴 強風 風位北 さきに房総半島沖をはるかに遁走したの敵機は、B 29の約130機を主力にして、超低空で午前0時25分頃江東地区に襲いかかってきたのだ。 (略) 浅草橋の交差点までくると、前方は、炎々とした大火炎が渦を巻いて凄絶そのもの。そして両国橋を渡って避難してくる人人人。それを整理、誘導する警察官の勘高い声,泣き叫ぶ婦女子や警防団員らの叫声などが聞えて,その混雑は筆舌につくせない有様だ。自動車はもう1歩も進めない。 やむを得ず自動車を交番横に止めて、両国橋をこちらへ避難してくる人をかきわけ、まるで流をさかのほるような気持ちで、漸く両国警察署の玄関までたどりついた。 周囲は猛火の壁に囲まれ、熱風に煽られ、眼も開いておられない。空を仰げば醜敵B 29は巨大な真白い胴体に、真紅の焰を反射させて、低空で乱舞している。そしてこれでもかといわぬばかりに焼夷弾の束は無数に落下してくるのだ。 (略) 火は倍々たけりたって強風を呼び、その強風は火を煽って、多くの逃げ惑う人びとを焼き殺していった。私の目の前でも何人かが声もなく死んでいったが、どうすることも出来なかった。倒れた死体は路面を激流のように流れる大火前に、芋俵を転がすように流されていってしまった。猛火は横に唸りを発して街路を火焰放射器のように走り、その火流の中を荷物や布団が大小の火の玉になって無数に転がっていく。眼前の建物は屋根を残して、簡抜けに猛火が突き抜けて、隣から隣へとお劫火は突っ走っていくのがよく見える。 私は最早これが最後だと覚悟した。 光陽は、東京大空襲発生時、自らの使命として逃げる都民の反対方向に(小説通り)突っ込んでいった。劫火の写真を撮ろうという意識はあったと思うが、実際には無理だったようだ。その前に2月25日の猛火に燃える建物の写真はあるが、これは未だ周りで消化活動をしている中に入って撮ったものだ。「芋俵を転がすように流されてい」く死体の写真などがもし撮れていたなら、それはピューリッツァー賞ものだったかもしれない。ホントの地獄の中では、地獄を写真に撮る事は出来ないのだな、と私は知った。一夜明けて都下を延々と写した写真は貴重なものである。現代では、たとえ写したとしてもなかなかメディアには載らない黒焦げの死体の写真が幾つも幾つも載っているし、未だ顔の綺麗な死体の写真も幾つもある。 日誌のなかでは、光陽はずっと忠君臣民である。しかし被害状況を漏らさず「記録」すること、決して死なないことが自分のやることだ、と決意しているのはわかるし、常に罹災者の側に寄り添っているのもわかる。よくぞ撮った。よくぞネガを守り通した。 と、私は思う。
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本格的な東京への空襲が始まる前に、警視総監から命を受けて空襲被害の写真を撮り続けた警官の記録。 敗戦後、GHQへ写真の提出を拒絶し、個人として保有していたもの。
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