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森のバロック
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | せりか書房 |
発売年月日 | 1992/10/06 |
JAN | 9784796701716 |
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森のバロック
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・トーテミズムは、あらゆる生命形態はその個別性をこえて、ある共通の「なにか」をとおして、おたがいの間に絆をつくりだしている、と考えている。こおn「なにか」についての哲学を、彼らは発達させたのだ。そのもっともみごとな表現のひとつを、私たちは北米ダコタ・インディアンの老賢人による、つぎのような言葉の中に、発見することができる。それによれば、生命ある存在とものごととは、創造的連続性の流れにあらわれた「凝固物」にほかならない、と言う。 あらゆるものは、動きながら、ある時、あるいはほかの時、そこここで一時の休息を記す。空飛ぶ鳥は巣を作るためにある所にとまり、休むべくしてほかのある所にとまる。歩いている人は、欲するときにとまる。同様にして、神も歩みをとめた。あの輝かしく、すばらしい太陽が、神が歩みをとめた一つの場所だ。月、星、風、それは神がいたところだ。木々、動物はすべて神の休止点であり、インディアンはこれらの場所に思いを馳せ、これらの場所に祈りを向けて、かれらの祈りが、神が休止したところまで達し、助けと祝福とを得られるようにと願う。 ・高速度で動く世界では、相対論のやりかたを使わなければ、そこでおこっていることを正確に理解することができない。それと同じで、「南方曼荼羅」の内部では、縁の論理によらなければ、そこを正しく知ることができないようになっているのだ。 熊楠はこの縁を、因果とのかかわりで、つぎのようにとらえようとしている。 因はそれなくては果がおこらず。また因異なればそれに伴って果も異なるもの、縁は一因果の継続中に他因果の継続が竄入(ざんにゅう)しきたるもの、それ多少の影響を加うるときは起。故にわれわれは諸多の因果をこの身に継続しおる。縁に至りては一瞬に無数にあう。それが心のとめよう、体にふれようで事をおこし(起)、それより今まで続けて来れる因果の行動が、軌道をはずれゆき、またはずれた物が、軌道に復しゆくなり。 ・(中国や日本の)本草学は、たんに植物の分類や体系付けをめざした学問ではない。それは、植物や鉱物、動物の世界の観察をとおして、宇宙の中の人間の位置を、実践的、実存的にとらえようとする学問だった。そのために、ひとつの植物について書く本草学者は、植物の形態や分類についてだけではなく、それをめぐる習俗や神話についての情報も、詳しく採集した。 ・熊楠は体験で、伝説や神話を語っている人々がまわりの自然にたいする熱心な観察者であったことを、よく知りぬいていた。彼らはときどきまちがえることはあっても、いいかげんな観察で燕石の伝説を語ったりはしなかったはずなのだ。 ・話をおもしろくするだけのための、嘘が混入していないかどうか、古そうに見えて、芝居や物語本の影響をこうむってできた、じっさいには「新出来」の作物にすぎないのではないか。それをチェックするために、熊楠が考案した方法は、同じ話者から同じ話を何度でもくりかえし聞き出す、というやりかただ。「この話は、もう前にお話ししたでしょう」。「そうかな、まあそれでもいいから、話してくれ」。「そうですか。これは以前、安堵ガ峰でじっさいにあった話です…」。こうしていると、説話のほうが退屈してきて、その場限りのおもしろさを追求するために付け加えた部分だとか、ドラマツルギーのために民俗の論理を捻じ曲げたり、合理化したり、単純化してしまった部分だとかが、そのうちにくっきりと浮かび上がってくるものだ、というのである。
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