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美学 文庫クセジュ734
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 白水社/ |
| 発売年月日 | 1992/09/20 |
| JAN | 9784560057346 |
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美学
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美というものに関する態度の歴史的変遷を概略した上で芸術とは何なのかを論考していく本。 中でも第四章の芸術の哲学における 「芸術の本質」 現実よりも真実であるものが芸術たりうる 「芸術の基準」 芸術は私たちに悦びを与える ・芸術の特徴は歓喜であるbyプーサン ・芸術は驚嘆であるb...
美というものに関する態度の歴史的変遷を概略した上で芸術とは何なのかを論考していく本。 中でも第四章の芸術の哲学における 「芸術の本質」 現実よりも真実であるものが芸術たりうる 「芸術の基準」 芸術は私たちに悦びを与える ・芸術の特徴は歓喜であるbyプーサン ・芸術は驚嘆であるbyダヴィンチ ・その名に値する絵とは鑑賞する人の喉を締め付けるものでなければならないbyドラクロワ 「芸術の価値」 工業は生産的、芸術は創造的 という説は芸術に対するもやもやとした気持ちを多いに晴らしてくれた。
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美学というジャンルが哲学の領域に含まれているのだということを、この書を読んで初めて知らされる。美学はどうにも哲学の立派なジャンルであり、倫理学や論理学などと並ぶ主要な分野を形成しているようだ。それがここまで近年ではきかれないのだから、倫理学や論理学に比してこの頃美学は廃れてしまっ...
美学というジャンルが哲学の領域に含まれているのだということを、この書を読んで初めて知らされる。美学はどうにも哲学の立派なジャンルであり、倫理学や論理学などと並ぶ主要な分野を形成しているようだ。それがここまで近年ではきかれないのだから、倫理学や論理学に比してこの頃美学は廃れてしまっているということなのだろう。実際問題、ソクラテスプラトン以後、近代の哲学者ではカントヘーゲルショーペンハウエルニーチェといった著名人物にも焦点が当てられているものの、彼らはそれほど多く美学について論じているわけではなくて、むしろ所々で彼らの哲学観の産物として美について述べているだけである。彼らが美について述べる必要があったのは、やはり彼らの原点とも言えるギリシアにおいては美こそが最上のイデアだと考えられていたからだろう。実際彼らにとって美は非情に重要でそれゆえに幾何が重用される。幾何重用の構図はその後も連綿と続きそれゆえに、数学者でありながら哲学者といった人々が連綿と存在するのである。本著は完全に論文形式をとっており、細かい説明は加えられていない。なので著者が言うところを理解するにはそれぞれの参考図書を読まねばならず、この一著で述べられていることをどれだけ理解できたかと問われると甚だ心許ない。それでも感想や考察を書かなければ、一週間も経ずして内容を忘れてしまいかねないのでこうして文字を綴っていると言えよう。 著者自身あれこれ綴っているが、著者の考え方を要約すれば、芸術とは「悦び」であると言えよう。確かに暗澹たる心持ちで創作している芸術かもいようが、それでも作品が生れ落ちたときには必ずと行ってよいほどに悦びを覚えるはずである。あるいはその悦びをすら悲観的に述べる人は、消極的否定的な振りをしている役者に過ぎないと著者は辛口に批判するが、その点は同意したい。とはいえ、役者であることはいいことなのか悪いことなのかはわからない。例えば演技者は役者であると同時に、創作者ともなりうるからである。そもそも、文筆家も、主人公が自分の分身でない限りは、演技することによってしか文章を綴れないだろう。著者はこのあたりについては、「参加」といった概念を提唱している。演技者、演奏者、視聴者も、機械的に愉しむ反面でそれ以上に参加するのである。彼らはその両義的な性格を持っており、しかし、その場合、参加が上回るのであると。また衰退していく美学に対して、著者は「実証的」であるべきだと述べている。このあたりはカント以後の影響が強いのだろう。プラトンの頃は超越したイデアとして定義される美であるが、それが実際に論じられるべきものへと性質変換していく。その中で著者が美学の生き残る術として提唱しているのが実証的であり、美学が科学よりへと変わっていくことである。だが、それは科学になれというよりは、形式主義になれということなのだろうと思う。より形式を確立することで、美学は美学あれと。また美学の直接の衰退の起因として、「美学が超越的なものであり哲学と関与していない」として哲学者に嘲笑されてきたこと、また、創作者たちが「形式と内容を取り違えて、内容を形式にしてしまったこと(具体的には詩は抒情的でなければならない、劇は感動的、悲劇は悲痛な苦しみ、笑いは滑稽、崇高は輝かしく、といった具合に)。正直なところ美学の定義は定まりきらないものなのかもしれないが、そこでひとまず形式を、といった流れはカントを髣髴とさせる。彼は道徳について、その内容については定めずにおいて、ただ形式だけを定めようとした。また、カントは哲学者であると同時に科学者でもあった。なのでカントはデカルトニュートンの流れを色濃く汲んでいる。なので、本著は「カント的実証的美学」と言えるのかもしれない。
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