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カミとヒトの解剖学
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 法蔵館/ |
発売年月日 | 1992/04/10 |
JAN | 9784831871909 |
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カミとヒトの解剖学
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自分の死は抽象的なもの、他人の死は具体的なもの。その間から宗教は発生したたのではないかという意見が面白い。確かにどんなに頑張っても自分の死は抽象的。考えたこともなかった。 抽象的なものにシンボル(アイコンとも)を付与して具体的な姿を持たせたがる人間の癖は、理解不能なものを恐れ(畏...
自分の死は抽象的なもの、他人の死は具体的なもの。その間から宗教は発生したたのではないかという意見が面白い。確かにどんなに頑張っても自分の死は抽象的。考えたこともなかった。 抽象的なものにシンボル(アイコンとも)を付与して具体的な姿を持たせたがる人間の癖は、理解不能なものを恐れ(畏れ)る特徴から来るものか。 その特徴から宗教と科学が芽吹いたのだどすれば、脳にとって二つの間に違いはあるのか。 宗教と科学は同居できないのだろうか。個人的にはそんなことはないと思う。どんなに科学が発達しても、人の心の「割り切れなさ」は残るものだと思う。それこそ、どんなに頑張っても自分の死は抽象的なものだから。 本が出た当時の私は幼児だったので、当時の社会の雰囲気について詳しく知らないのだが「社会の脳化」という表現がいまいち納得できない。科学技術も社会構造もとっくに多数の人々の制御からは離れてしまっている感じがする。 「制御不能・理解不能なもの」を排斥するための科学技術が、すでに市民にとって「制御不能・理解不能なもの」になってしまっている。昨今の、何を信じれば良いか戸惑う人々の分断は必然か。 そもそも自分の脳すら理解不能な部分がほとんどなのに(酔っ払うとよく分かる)、全てを制御下に置こうなどという考えは甘い気もする。 恐らく「耳の作家」の感性であろう日本人の音楽家を1人知っている。 歌詞を目で読んでもいまいち意味が分からないのに、音楽に乗ると歌詞に情動を揺さぶられる感覚を、ずっと不思議に思っていた。その人が「音楽には音楽の文脈がある」と仰っていたのを思い出した。 音の言語と視覚の言語の違い、もっと新しい研究についても知りたい。
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