![限界芸術論 鶴見俊輔集6](https://content.bookoff.co.jp/goodsimages/LL/001216/0012163789LL.jpg)
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限界芸術論 鶴見俊輔集6
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商品詳細
内容紹介 | 内容:芸術の発展.大衆芸術論 勅語・カルタ・じゃんけん ほか. 黒岩涙香.新聞小説論.円朝における身ぶりと象徴.『鞍馬天狗』の進化.まげもののぞき眼鏡.冗談音楽の流れ.一つの日本映画論.現代の歌い手.国民文化論.太夫才蔵伝. 著者自身による解説. 解題 |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 1991/06/15 |
JAN | 9784480747068 |
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限界芸術論
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商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
鶴見俊輔の言葉は、私には響かない。引用されている柳宗悦や柳田国男の言葉は響くのに。 まずは言葉の定義から。彼によると芸術は以下のように定義される。 ・純粋芸術…今日の用語法で「芸術」とよばれている作品 ・大衆芸術…純粋芸術にくらべると俗悪なもの、非芸術的なもの、ニセモノ芸術と考えられている作品 ・限界芸術…両者よりもさらに広大な領域で芸術と生活との境界線にあたる作品 まあ、間違ってはいない。でも、同時にとても誤解を生む言い方でもあると思う。なので、私は以下のように言い換えたい。 ・純粋芸術…芸術のための芸術 ・大衆芸術…大衆が楽しむための芸術 ・限界芸術…芸術であることを意図しない芸術 この二つの定義は、あくまでも同じことを言っていると私は理解している。では、なぜこんな風な言葉の違いが出てくるのか。それは、鶴見俊輔の興味の在り処の問題ではないかと思う。つまり、彼の興味の対象は芸術全般ではなく、限界芸術、生活の中にある芸術、芸術と断言してしまっていいか迷ってしまうような芸術の種のようなもの、そういうものあったからだと思うのだ。だから純粋芸術のような「権威」を彷彿とさせるものに対しては、あまり深く考えずにイメージだけで論を進めているようなところがある。そういう、純粋芸術を理解しようともしない態度が私は嫌いだ。純粋芸術に対する好き嫌いはあってしかるべきだけれど、こういう文章を書くにあたっての態度としてはどうかと思う。そういう点でも全然説得力がない。これは、論文に見せかけて、実は自分の思ったことをちょっと書いてみたという軽いエッセイの類だったのだろうか。 また、一つ気になった文章がある。 <「芸術」という言葉は、今わたしたちのつかっている日本語では、日比谷公会堂でコーガンによるベートーヴェンの作品の演奏会というような仕方でとらえられる。> とのことだが、東京以外の場所で日本人の演奏家がベートーヴェンの作品の演奏会を開いても、今日ではそれは「芸術」と捉えられるだろう。この論文が書かれた時代には、こういう考え方が一般的だったのだろうか。 彼が限界芸術に並々ならぬ興味があったのは間違いない。「太夫才蔵伝」はこの本の中で一番面白かった。
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最近買った鶴見俊輔の本。純粋芸術と大衆芸術の狭間にある限界芸術。例えるならばモー娘とウィーンフィル管弦楽団の狭間にいる森山直太朗のような感じ
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