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河合隼雄さんの「人間科学の可能性」という論稿だけ読みました。 この中で、河合さんは、不幸が生じたとき、その意味を知るひとつの方法として因果律をもちいる時の危険性について書いている。 「たとえば、自分がそれ以前に行った悪の報いとしてそのことが生じた、などと考える場合である。このよう...
河合隼雄さんの「人間科学の可能性」という論稿だけ読みました。 この中で、河合さんは、不幸が生じたとき、その意味を知るひとつの方法として因果律をもちいる時の危険性について書いている。 「たとえば、自分がそれ以前に行った悪の報いとしてそのことが生じた、などと考える場合である。このような因果関係の理解は、しばしば偽の科学とも結びつく。このとき、それは宗教の教義としても説かれて悪用されることもある。つまり、共時的連関の現象は、宗教と科学の接点となるのである。しかし、これを教義に結びつけず、偽の因果関係把握による偽科学としてでもなく、「新しい人間科学」の知として取入れてゆくことが望ましい。」 また、河合さんは論稿を以下のような文章でしめくくっている。「現代までに著しく対立的に考えられてきた、宗教と科学ということが、新しい人間科学においては、統合はされないまでも、共存してゆけるような場を得られるのではなかろうか」 科学と宗教は2項対立の代名詞だが、科学技術だけが真理という人も確かにいる、いわゆる「死んだらおしまい派」である。たしかに若いときはそれでよかった、が、70歳になってまだ生きている自分がいて、体も頭も劣化するのを目の当たりにして、あの世の話に関心が向くのは当然といえば当然である。これも心身一如の老年形態だ。
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