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動物裁判 西欧中世・正義のコスモス 講談社現代新書1019
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 1990/09/21 |
JAN | 9784061490192 |
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動物裁判
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商品レビュー
3.5
35件のお客様レビュー
中世ヨーロッパでは、…
中世ヨーロッパでは、家畜や昆虫が被告として裁判にかけられていた!しかも、人々は、大真面目で裁判を執り行っていたのである。それは何故か?という疑問について考察された本です。動物裁判という、現代の私達から見れば馬鹿ばかしく思える習慣から、当時の人々の自然観、世界観、そしてその変容まで...
中世ヨーロッパでは、家畜や昆虫が被告として裁判にかけられていた!しかも、人々は、大真面目で裁判を執り行っていたのである。それは何故か?という疑問について考察された本です。動物裁判という、現代の私達から見れば馬鹿ばかしく思える習慣から、当時の人々の自然観、世界観、そしてその変容までを書いています。
文庫OFF
「動物裁判」というシンプルなタイトルに惹かれたのと豚に服を着せて裁判を行っていたという不思議な慣習をどこかで聞いて気になっていたので読了。 読む前のこの裁判のイメージとしては滑稽で可笑しな「変なこと」というものが強かった。実際、今現在に行われている国などないし動物にそもそも法など...
「動物裁判」というシンプルなタイトルに惹かれたのと豚に服を着せて裁判を行っていたという不思議な慣習をどこかで聞いて気になっていたので読了。 読む前のこの裁判のイメージとしては滑稽で可笑しな「変なこと」というものが強かった。実際、今現在に行われている国などないし動物にそもそも法など適用されないだろうという感覚は今でも強い。動物無闇に殺したらその人が有罪というのはなんとなく納得出来るがその感覚を動物に当てはめることが私の人生に照らし合わせるだけでは理解が出来なかった。 この本を読んでいる中で私たち日本人があまり持っていない「神の絶対的な存在と権力」に触れられた時、ハッとさせられたのが記憶に残っている。神の下で皆平等であれば神の裁きも皆平等であるという考えの有無は動物に対する接し方を大きく変えてしまう。これらのことを私は今まで失念しており、宗教の違いというものの根本のようなものを突きつけられたような気持ちになった。 また、動物と人間における変身の差も面白いなと思った。ジャパニーズ反対での変身では確かに動物やドラゴン、その他を「擬人化」させるし海外のヴィラン等には悪い人間が何かしらの力を得て異形化することが多い。宗教に基づく考え方の違いが我々の性癖にまで影響していると考えると宗教もまだまだ見えてない面白いところがあるのだろうとワクワクした。
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ヨーロッパでは、かつて動物裁判が真面目に行われて行われていたことを紹介し、なぜそのようなことが行われるようになったのか、著者が考察を加えた本。 人間に迷惑をかけた動植物が、訴訟され、裁判に呼ばれ、検察官や被告には弁護士まで登場したようだ。これを真顔でやってたなんて、信じられない話...
ヨーロッパでは、かつて動物裁判が真面目に行われて行われていたことを紹介し、なぜそのようなことが行われるようになったのか、著者が考察を加えた本。 人間に迷惑をかけた動植物が、訴訟され、裁判に呼ばれ、検察官や被告には弁護士まで登場したようだ。これを真顔でやってたなんて、信じられない話しだが、人間がアニミズムの世界から、合理的な世界に移行していくなかで、畏れていた神々が宿る動植物に対して裁きを行う上では、必要だと考えていた(ようだ)。 ナルホド。 以下は備忘録。 動物裁判は、ヨーロッパにおいて12世紀かそれ以前からみられ、13世紀以降本格化のきざしをみせ、14〜16世紀をピークとし18世紀まで続く。 中世・近世の人たちが法の掟に従属させたのは、動物だけでなく、植物や静物(鐘楼の鐘等)をも裁いた例が散見される。 なぜこのような人間ではないものの裁判が行われたのか? 擬人化したことは考えられるが、異教的アニミズムがその基底にあるとも考えられる。 アニミズムを悪魔化した教会のめざしたのは、動物にとり憑いた悪霊や人間の魂をキリスト教的祓魔式で祓う、という構図をおしつけることであり、そこに異教的慣習とキリスト教との衝突が現出したのだと。 かつては、特定の祭りなどの際には定期的に、「人身御供」が嫉妬深く怒りやすい神々に捧げられ、徐々に動物の犠牲にとってかわられた。そして神々の統括する神秘的な秩序や、秩序回復のための呪術的手段が実効性を失った後、人間世界を守りその条理を自然世界にまで貫徹するために、動植物まで人間同様の裁判にかけられ、処刑ないし破門されたと考えられる。 中世キリスト教にとっては、自然は人間が支配し制御するべきものだったが、動物裁判は、人間の世界を律する法・訴訟手続を自然に適用して、自然を人間の理性や文化の条理に無理矢理おしこむ装置だった。 ところでアニミズムは、神々が特定の自然物に居を構えているとするだけにとどまらず、それらの神々の統括下にある、あらゆる動物・植物・鉱物などにまで、霊が宿っていると考えられていた。 天地自然は、その霊によって生きていて、また一体化しているとされる。人間もその天地自然を統括する法則をまぬがれない。だから、人のほうから自然にはたらきかけるには、それを人間と同一視し、同一にあつかう必要があった。 人間の創造における卓越した地位は、神の法・神の正義の保証のもとに、人間の自然支配を正当化し、人間はその正義を、人と人との関係をすべているものと全く同一の諸原則に従って自然にも適用しなくてはならぬ、との議論を導いた。 動物裁判のうち教会裁判所での悪魔祓い、呪いの言葉を言うものは、アニミズムを前提とし、その神々・諸霊を悪魔化して祓いだすための儀式である、とした。 17・18世紀の科学的合理主義が機械論的自然観を徹底的におしすすめると、(人間の)理性と自然(身体と外界)の区別が、かえってゆるぎないものとなる。自然世界を人間世界に同化させる主観的人間中心主義は、客観的人間中心主義に姿をかえ、こうして、動物裁判は、当初それをささえた機械論的自然観の進展自体によって、消えてゆくのである。 動物裁判とは、正に自然界にたいする独善的な人間中心主義の風靡した時代(13世紀~17世紀)の産物だった。それをイデオロギー的に裏うちしたのは、権力と結びついた人文主義と合理主義である。またその具体的展開をゆるした社会的現実としては、自然を支配・搾取するための不断の戦いがあった、といえるだろう。 12.13世紀に発揚した「合理性」「刑罰」「正義」が、動物にまでやみくもに適用されたのが、動物裁判だったのであろう。
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