他者の単一言語使用 の商品レビュー
難解だけれど、感動。植民地のフランス人の立場から単一言語を話すことの不可能について明らかにしている。それは単一言語や国家的言語の使用という考えかたを脱構築する試みなのであるが、脱構築の哲学者として認知されてからもう何十年の経っている。そのため、すでに触れたフランスの植民地の歴史へ...
難解だけれど、感動。植民地のフランス人の立場から単一言語を話すことの不可能について明らかにしている。それは単一言語や国家的言語の使用という考えかたを脱構築する試みなのであるが、脱構築の哲学者として認知されてからもう何十年の経っている。そのため、すでに触れたフランスの植民地の歴史への言及、他者、歓待などの概念によって、文学批評、哲学の領域を飛び越え、歴史、行為に到達しようとしているように見えた。 守中氏の解説はないよりはまし。「絶対的翻訳」に関する氏の理解は正しいのだろうか。
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ぼくは日本語話者であり、日本人として生きてきたことに苦悩したことはあってもその言葉が自分の母国語として自明であることまで疑ったことはなかった(と思う)。デリダはこの刺激的な書物を通して、まさに自らの中になまなましく巣食う言葉がいかに「異物」でありうるかを問い直さんとしているかに映...
ぼくは日本語話者であり、日本人として生きてきたことに苦悩したことはあってもその言葉が自分の母国語として自明であることまで疑ったことはなかった(と思う)。デリダはこの刺激的な書物を通して、まさに自らの中になまなましく巣食う言葉がいかに「異物」でありうるかを問い直さんとしているかに映る。もちろんそれを単にデリダの個人的なストラッグルの産物(ものすごく平たく言えば「生きづらさ」ゆえ)と読むのは礼を欠いているし、面白くもなんともない。「法」が所与のものとして与える言葉やアイデンティティを「ずらす」ことは不可能か?
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