他者の単一言語使用 の商品レビュー
ぼくは日本語話者であり、日本人として生きてきたことに苦悩したことはあってもその言葉が自分の母国語として自明であることまで疑ったことはなかった(と思う)。デリダはこの刺激的な書物を通して、まさに自らの中になまなましく巣食う言葉がいかに「異物」でありうるかを問い直さんとしているかに映...
ぼくは日本語話者であり、日本人として生きてきたことに苦悩したことはあってもその言葉が自分の母国語として自明であることまで疑ったことはなかった(と思う)。デリダはこの刺激的な書物を通して、まさに自らの中になまなましく巣食う言葉がいかに「異物」でありうるかを問い直さんとしているかに映る。もちろんそれを単にデリダの個人的なストラッグルの産物(ものすごく平たく言えば「生きづらさ」ゆえ)と読むのは礼を欠いているし、面白くもなんともない。「法」が所与のものとして与える言葉やアイデンティティを「ずらす」ことは不可能か?
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