センスの哲学 の商品レビュー
意味からリズムへ。リズムから意味のリズム、その根源としての人間性。 順を追って解きほぐしていく論理展開のリズムが良い。 ・「センス」とは、直観的、総合的。感覚と思考をつなぐもの。 ・「センスが悪い」ではなく、「センスに無自覚な状態」と捉える。これを出発点に、意識的な状態となり...
意味からリズムへ。リズムから意味のリズム、その根源としての人間性。 順を追って解きほぐしていく論理展開のリズムが良い。 ・「センス」とは、直観的、総合的。感覚と思考をつなぐもの。 ・「センスが悪い」ではなく、「センスに無自覚な状態」と捉える。これを出発点に、意識的な状態となり、無意識に至る。 ・最小限のセンスの良さとは、より正確に意味を実現しようとして競うことから降りて、ものごとをリズムとして捉えること。 ・2「センス」とは、ものごとをリズムとして「脱意味的」に楽しむことができる。 ・「リズム=形」であり、「デコボコ」 ・「デコボコ」は2つの側面、0→1の落差の「ビート」とこれに還元できない交響曲的な「うねり」 ・「意味のリズム」は「距離のデコボコ」cf. ChatGPT ・予測誤差の最小化と、予測誤差による享楽 ・制約により成立するジャンルとそこからの逸脱 ・全芸術と生活において、面白いと言えるような並び=リズムとは何なのか。それがわかること、それを作り出せることが、センスの「良さ」 ・偶然性にどう向き合うかが人によって異なることがリズムの多様性となり、それが個性的なセンスとして表現される。 ・芸術は、問題の反復=「どうしようもなさ」の表れ。アンチセンスという陰影を帯びてこそ、真にセンスとなるのではないか。
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この本は「センスが良くなる本」と、冒頭の「はじめに」にあるが、著者の希望は、ものを見るときの「ある感覚」が伝わってほしい、ということだという。そして、話の展開はタイトルどおり「哲学」で、これは芸術論の本だと、「おわりに」に書いてあった。付録は「芸術と生活をつなぐワーク」。例えや文...
この本は「センスが良くなる本」と、冒頭の「はじめに」にあるが、著者の希望は、ものを見るときの「ある感覚」が伝わってほしい、ということだという。そして、話の展開はタイトルどおり「哲学」で、これは芸術論の本だと、「おわりに」に書いてあった。付録は「芸術と生活をつなぐワーク」。例えや文章は平易だが、自分の頭で考えながら読む必要あり。 前半はリズムの話、安定と不安定。センスとはものごとの直感的な把握、意味や目的を把握するのではなく、「リズム」を把握するのがセンスだと。リズムとは、まず形。色や響き、味、触感なども、デコボコでできている。デコボコは「ない」から「ある」への切り替え、欠けた状態に意味を見出す。デコボコではない変化をうねりと呼んでいる。そして、意味もデコボコの問題。そして、センスとは、ものごとを意味や目的でまとめようとせず、いろんな要素のデコボコとして楽しむこと。 センスの良さとは、リズムのセンスがいいということ。後半は、デコボコの並べ方。偶然性、逸脱、意外性、差異のバラツキなどの話も。人間にとって楽しさの本質は、ただ安心して落ち着いている状態ではなく、どこかに問題があって、興奮性が高まっていることが不快なのに楽しい、という否定性が含まれている。
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題材がいい。論理的な進行も良い。 本書の中でのセンスの定義と、自分の感覚としてのセンスの良さについてズレている気もして(解釈の違いだと思いますが。)、考えながら読めて楽しかった。 結局はうまく言語化できるようになりたい。
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「センスが良い」とはどういうことだろう、そこに興味を惹かれ読んだが、残念ながら本書は芸術論的で、アートしようぜみたいな内容だった。 ただ、物事を脱意味化してリズムとしてとらえる、というのは心に残るワードだったし面白くないことはなかった。人間は予測誤差を楽しんでいるというのも実感と...
「センスが良い」とはどういうことだろう、そこに興味を惹かれ読んだが、残念ながら本書は芸術論的で、アートしようぜみたいな内容だった。 ただ、物事を脱意味化してリズムとしてとらえる、というのは心に残るワードだったし面白くないことはなかった。人間は予測誤差を楽しんでいるというのも実感ともマッチしており説得力もあった。 ところで、リズムの置き方、並べ方が上手いことをセンスが良いというなら、果たして仕事におけるセンスの良さとは何なのか??作者も冒頭で仕事にもセンスがあると書いておきながら芸術論になってしまったので、そこが気になったままである、、
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センスの悪い部屋をそうならざるを得なかったと捉えるのは鑑賞的には面白い 住みたいかはともかく 距離感が快なのかもな 他者と実際に出会うわけじゃなくて作品を介して出会うことで不快が快の範囲になる 何らかの理論的枠組み、他者 おわりの親しみやすさが良かった
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海に飛び込むのに、浜辺を散歩しながら海に飛び込まず。核心に迫らないもどかしさは哲学らしいことなのか。
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センスとは一体何なのか?「この本はセンスが良くなる本です」という宣伝文句の時点では胡散臭い香りが漂うが、もちろん著者はそれも織り込み済み。哲学を謳っているが小説や映画といった作品鑑賞態度の話が中心で、想定される読者層は思った以上に広め。特に第5章はゴダール作品を参照する形で映画の...
センスとは一体何なのか?「この本はセンスが良くなる本です」という宣伝文句の時点では胡散臭い香りが漂うが、もちろん著者はそれも織り込み済み。哲学を謳っているが小説や映画といった作品鑑賞態度の話が中心で、想定される読者層は思った以上に広め。特に第5章はゴダール作品を参照する形で映画の見方の話。サスペンスや脱意味の話など面白かった。使われている言葉や具体例は平易だし、前半の「餃子のリズム」という表現に釣られて読み進めたらあっという間。センスを解明する過程で「リズム」という概念を取り入れたことで一気に補助線が引かれて見通しが良くなる。目から鱗。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
帯には「生活と芸術をつなぐ万人のための方法」とあり著者自身も芸術への入門書と位置づけているが、それ以上に射程の広い内容だった。「人間とは「認知が余っている」動物で、余っているからいろいろ見てみたくなるけれど、自分を制限しないと落ち着かない、というジレンマを生きている。」「文化資本の形成とは、多様なものに触れるときの不安を緩和し、不安を面白さに変換する回路をつくること」というのが本書のスタート地点であり、〈センス〉=ヘタウマを磨き、他者が規定する「理想的なモデル」から降りることがセンスの目覚めであるとしている。 〈センス〉とは、芸術をはじめ、ありとあらゆる事物の〈リズム〉(意味・解釈ではなく、ただそれ自体の感覚)を捉えることだ。リズムとは、存在/不在の明滅であり、〈うねり〉と〈ビート〉から成り立つ。 ・うねり: 生成変化の多様性、微妙な面白さ ・ビート: 対立構造、存在/不在(0↔1)、ハラハラドキドキ 例えば、物語を読むときの途中途中の山場やその結末は〈ビート〉だが、背景や場面の描写といった淡々とした展開は〈うねり〉である。また、「ファスト教養」的な記事や動画は、「So What?」の先へと直行で辿り着くが、現代アートのような芸術鑑賞にはそもそも唯一の答えは無い。時間をかけて鑑賞するからこそ感じ取れる〈うねり〉があり、それがあるからそ〈ビート〉も際立つ。 「意味」にも〈大意味〉と〈小意味〉が存在する。「要するに」という、全体としてどうかという目的・意味ではなく、部分のつながりやリズムそれ自体を即物的に味わうこと=脱意味的なリズムに乗ること=それ自体を愉しむことが提案される。 カール・フリンストンらは、生物の様々な機能は「予測誤差の最小化」という原理で説明できるという「自由エネルギー原理」を提唱したが、誤差の逸脱による不快そのものが快であるとするフロイト的な「死の欲動」も援用される。ラカンは、「ホッとして沈静化すること」を「快楽」と、不快かつ快である状態を「享楽」として両者を区別したが、これは安定と逸脱の双方があってはじめて快が生まれるとも捉えられる。こうして、バランスが崩れること(差異が生じること=予測誤差)は、「美」よりも「崇高」的な方向へ傾くことである。一人の人間が生きていけるようになるとは、反復を形成することであり、そもそも人間とはリズム的な存在であるのだ。「足りなさ」(周りを基準にした不足)をベースに考えるのではなく、「余り」=自分に固有の足りなさをベースにすること、途中で「これで行くんだ」と仮固定すること、自分に固有の偶然性(逸脱)の余らせ方を仮固定することが、人生を自由にしてくれる。 芸術とは、そもそも無駄なものである時間を味わうことであり、「タイパ」のようなパフォーマンス軸(目的志向)で語られるものではない。人生は、時に無意味なものに感じられることもあるが、それは「可能性の過剰」に溺れてしまうからでもある。レールに敷かれた道を走っていたり、慌ただしく何かに没頭しているときには、範囲が限定されるためある種の安心感が得られる。しかし、目的志向一辺倒の生活からは、ゆとりや豊かさは感じにくい。それは、絶えず「足りなさ」を埋めていく道のりだからだ。芸術は、「余り」としての脱目的的な/自由な人生に範囲を限定する補助線を加えてくれ、それによって快楽だけでなく享楽も味わうことができる。これは、突き詰めて考えれば、あらゆるものには意味などというものは無いという虚無感と表裏一体だが、この薄氷を踏む感覚そのものを享楽として楽しむことが人生のリズムなのだと言われているようだ。 芸術鑑賞において、そのリズミカルな展開をどう味わうかは自由に委ねられている。公共性=意味的なものよりも、身体性に身を任せ、脱意味的なリズムに乗ること。それは、過度に公共的=意味的なものへと傾斜気味な現代だからこその、反復からの逸脱としての〈センス〉の提案なのだろう。人間の生活は、目的志向と不安まじり/宙づりの享楽とのミックスで豊かになり得る。
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センスというものの解釈を教えてくれる本。また、良い悪いではなく、あくまでも自然体でというのがとても良かった。 以下めも ・モデルの再現から降りる。いいものを完璧に再現することはできないし、あまり意味を持たない。それを脱却して、別のゲームを始めること。 ・センスとは物事のリズムを...
センスというものの解釈を教えてくれる本。また、良い悪いではなく、あくまでも自然体でというのがとても良かった。 以下めも ・モデルの再現から降りる。いいものを完璧に再現することはできないし、あまり意味を持たない。それを脱却して、別のゲームを始めること。 ・センスとは物事のリズムを生成変化のうねりとして、なおかつ存在/不在のビートとして という二つの感覚で捉えること ・「何が言いたいのか」「何のためか」ということから離れて、リズムだけで良いという感覚になること ・センスとは、喜怒哀楽を中心とする大まかな感動を半分に抑え、いろいろな部分の面白さに注目する構造的な感動ができることである。 ・人生の途中の段階で、完全でない技術と偶然性が合わさって生じるものを自分のできることとして信じる ・ものを限定するやり方には色々ある=有限性の多様性 がわかる。それによって生き方が柔軟になっていく ・個性とは何かを反復してしまうこと(反復と脱却のバランスが心地よさをうむ。そのリズムは決められたものではなく、自分自身の経験や考え方、動き方による。)
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「勉強の哲学」や「現代思想入門」ではある思想をまず理解してから脱構築の視点に行ったりで、大冒険、山あり谷あり、振り落とされないように着いていくぞ、というかんじで読んでいたのだが、今回の「センスの哲学」では全てをリズムとして捉えるというデカい芯の周りで細かく見ていこうね、という感じ...
「勉強の哲学」や「現代思想入門」ではある思想をまず理解してから脱構築の視点に行ったりで、大冒険、山あり谷あり、振り落とされないように着いていくぞ、というかんじで読んでいたのだが、今回の「センスの哲学」では全てをリズムとして捉えるというデカい芯の周りで細かく見ていこうね、という感じだった。 全てをリズムとして捉える でもう受け取っちゃった感があり、色々とその周辺の話が出てくるがあまり吸収できなかった。なんというか、芯に対して繊細なものすぎて印象づかなかった感じ、、もっと繊細なもの捉えられる時期がきたらいいな自分
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