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十の輪をくぐる の商品レビュー

4.1

12件のお客様レビュー

  1. 5つ

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2024/06/23

1964年と2020年の東京オリンピックの時代を生きる、親子の姿を三代に渡って描かれる物語。 現代パートでは息子・泰介、過去パートでは母・万津子目線で描かれています。 息子・泰介のパートは正直、最初はイライラしながら読みました。会社や家庭での言動や行動があまりにひどく、なんて困っ...

1964年と2020年の東京オリンピックの時代を生きる、親子の姿を三代に渡って描かれる物語。 現代パートでは息子・泰介、過去パートでは母・万津子目線で描かれています。 息子・泰介のパートは正直、最初はイライラしながら読みました。会社や家庭での言動や行動があまりにひどく、なんて困ったおじさん…と思っていましたが、後半にある事実が明らかとなると泰介への思いに変化が訪れます。 母・万津子のパートは、結婚してからが波瀾万丈で、読み進めるのも辛く感じました。それでも、東京オリンピックで東洋の魔女を見たことで、生きる希望を見つけた万津子の母親としての思いがひしひしと伝わり、母の強さを感じました。 それぞれの思いが交錯し、2020年の東京オリンピックに向けて、泰介の娘・萌子に思いが託されるラストはとても良かったです。

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2024/06/08

辻堂さん2冊目。1冊目の「山ぎは少し明かりて」でファンになって、この本でさらにファンになりました。読み終えて深い余韻に浸ります。  紡績工場で働く少女たちの会話のシーンはいきいきとしていてとても臨場感があります。それは「山ぎは…」の中であった少年たちの川遊びのシーンでも感じました...

辻堂さん2冊目。1冊目の「山ぎは少し明かりて」でファンになって、この本でさらにファンになりました。読み終えて深い余韻に浸ります。  紡績工場で働く少女たちの会話のシーンはいきいきとしていてとても臨場感があります。それは「山ぎは…」の中であった少年たちの川遊びのシーンでも感じました。本当に画面を見ているような気がします。これは文筆力があればこそなせる業だと思います。  東京オリンピックの東洋の魔女たちの活躍のシーンも私はリアルタイムでテレビで観戦しましたが、本を読んでいて目頭が熱くなりました。そして最後の娘の萌の活躍も。  まだ若い方なのに、当時のシーンや出来事をリアルに再現できる文筆力に再度感服!素晴らしい本でした。

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2024/05/20

昔の亭主関白そのものの泰介をひどく嫌悪しながら、徐々にその泰介の真っ直ぐさに惹かれていく。 それは、泰介の周りにいた家族、母の万津子や妻の由佳子、娘の萌子の支えがあったからだ バレーボールの試合は、文章なのにまさに目の前で広がるようにありありと浮かんできて手に汗握る。 昭和の時...

昔の亭主関白そのものの泰介をひどく嫌悪しながら、徐々にその泰介の真っ直ぐさに惹かれていく。 それは、泰介の周りにいた家族、母の万津子や妻の由佳子、娘の萌子の支えがあったからだ バレーボールの試合は、文章なのにまさに目の前で広がるようにありありと浮かんできて手に汗握る。 昭和の時代を女で一つで生き抜く万津子の我慢強さと力強さには頭が上がらない。 十の輪とはそういうことだったのか

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2024/06/04
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

吉川英治文学新人賞候補 ミステリー作家らしく、リーダビリティが高く、一気読み。 ADHDと診断された泰介が、こんなに素直に治療を受け入れて、好転するかは疑問だが、序盤からのモヤモヤが少し解消された。 今は認知症になっている万津子だが、DV夫と、それを容認する実家の母親にはいらいらさせられた。

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2024/03/31

東京オリンピックといえば思い浮かぶのは小学生のころ。家に初めて来た白黒テレビで見た記憶がある。後で映画にもなったような。 それは田舎から町への集団就職、そして結婚が女の幸せだった時代。 令和の東京オリンピックの時、認知症を患う母と暮らす息子夫婦そして孫娘の家族としての思いや絆を...

東京オリンピックといえば思い浮かぶのは小学生のころ。家に初めて来た白黒テレビで見た記憶がある。後で映画にもなったような。 それは田舎から町への集団就職、そして結婚が女の幸せだった時代。 令和の東京オリンピックの時、認知症を患う母と暮らす息子夫婦そして孫娘の家族としての思いや絆をそれぞれの時と環境の中で見せてくれる。

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2024/03/07

1964年と2020年。それぞれの時代で東京オリンピックを迎えようとしていた華やかさが時代の陽だとしたら、その陰で生きる人の生きづらさと、そこからの解放を描いたのがこの小説だと思います。 話は二つの時代を並行して描きます。2020年のパートは高校生の娘と認知症の母を持つサラリー...

1964年と2020年。それぞれの時代で東京オリンピックを迎えようとしていた華やかさが時代の陽だとしたら、その陰で生きる人の生きづらさと、そこからの解放を描いたのがこの小説だと思います。 話は二つの時代を並行して描きます。2020年のパートは高校生の娘と認知症の母を持つサラリーマンの泰介が語り手となります。 この泰介がまあ、好きになれない(笑)。認知症の母親に対する態度も、お義母さんを介護している妻に対する態度も横暴だし、仕事も60手前にして慣れない部署に異動させられたのは同情するけど、そこでの勤務態度も褒められたものじゃない。 今時の困ったおじさん、そのものというか、こんな語り手で読み進められるのか、と序盤は思いました。 一方の過去パートは泰介の母・万津子視点で話が進みます。九州の大家族の家から集団就職で東京に出てきて、紡績工場で働いていた万津子。そんな彼女のもとに地元から条件のいいお見合いの話が舞い込み…… 現代パートでは、認知症の母、ぎくしゃくした妻や娘との関係、上手くいかない仕事や職場といった、現代の生きづらさが、 そして過去パートでは、夫や家制度に縛られた特にこの時代の女性の生きづらさや苦難が焦点として当てられます。 万津子がつぶやいた「東洋の魔女」という言葉。そして、認知症を患いながらも決して息子に明かそうとしない過去。この謎が母と息子、それぞれの時代の生きづらさがほぐれていくとともに、明らかになっていきます。 現代パートの泰介の態度と、そして過去パートで万津子が夫や子育てに悩み、そして家族にすらも疎まれていく苦難が、なかなかしんどくて読み進めるペースが上がってこないところも多かったのですが、そこが鮮やかに転換していってからは、そこを耐えて読んだかいがあったな、と思いました。 泰介の態度や心理の意味も、後半の事実が明らかになってみると全然意味が違って見えてくるし、万津子パートの終盤で、子どもへの愛や希望を抱く描写も、キラキラと輝いているように思えてくる。 そして二つのパートが交差して迎えるエンディングも美しく、何より母の愛の大きさを強く感じました。

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2024/03/02

小説自体が規範的な主張をすることはないのだが、(少なくとも私には)そのまま受け入れることが困難な台詞や考え方が登場している。例えば、男女の在り方や結婚観について、スポーツと部活動の存在意義について。小説内におけるこれらの記載と私が求める理想との差異が明らかになることで、小説が描い...

小説自体が規範的な主張をすることはないのだが、(少なくとも私には)そのまま受け入れることが困難な台詞や考え方が登場している。例えば、男女の在り方や結婚観について、スポーツと部活動の存在意義について。小説内におけるこれらの記載と私が求める理想との差異が明らかになることで、小説が描いているであろう現実と私との距離が明らかになる。私はどうしてもこの差異を縮めるべきだと思ってしまうから、この小説が何か規範的な主張をしているのでないかと読んでしまう。しかし、筆者の真意は明らかでない。筆者はただ、淡々とある女性とその息子の成長過程を記述的に追っていく。特に、過去から現在の日本に温存されている女性蔑視を、肯定も否定もせずそのまま描いている。泰介の内語が放つジェンダーへの固定観念などに対し、万津子の故郷に抱いたものと同じ違和感を抱いた。読者それぞれがこの違和感を抱くことを、筆者は狙ってやっていると思われる。しかし、社会的な圧力を被ることで生じる女性の苦しみを改善すべきとは主張しない。あくまで記述にとどめている。 一方で、ADHDに関しては、薬物療法や認知社会行動療法などの「治療」によって、当事者が自ら苦しみの根源を断ち切ろうと行動する。また、そのような行動が可能となっている。日本における「女性」の苦しみは社会的構造に根本的な原因があるため、当事者が何とか乗り越えるという仕方でしか解消できないのだが、ADHDは「治療」によって解消が可能となることがあるのである。その対比が描かれているように思われた。だが筆者は、ADHDに関しても治療すべきとはしていない。あくまで脳の癖である。当事者が身を置く環境を変えれば当事者の苦しみは軽減するかもしれず、そのため、ADHDが絶対に治療すべき対象であるとか、当事者に治療を施さなければならないなどとは言わない。 「べき」は「できる」を含意するというが、万津子という女性のあり方を修正することは万津子にはできないため、「べき」を含んだ物語にはならない。さらに、ADHDは治療「できる」ものの、「べき」まで拡張される性質のあるものでもない。しかし、女性のあり方やいわゆる発達障害を抱えた人に対して、本来はどうあるべきだったのだろうかと思いを巡らせてしまうことはある。本来のあるべき姿、もしくは理想が実現するのはいつなのか、誰によってなのかは分からない。泰介は、少なからず理想に近づいたのかもしれない。しかし、万津子の人生は置き去りにされた。だから、未来に想いを馳せる、つまり萌子という女性を想ったのだろう。 ADHDの中年男性の内面がこの小説のようなものなのか気になった。

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2024/02/17

「私が鳥のときは」のとなりにあった「山ぎは少し明かりて」を辻堂ゆめさんの作品で初めて読んで「サクラサク、サクラチル」「答えは市役所3階に」と読みました。重症の中毒になりました。最初は、読みすすめるのがやや苦痛でしたが、辻堂ゆめさんの作品と思って読みすすめたら逆に夜更かしコースへ。...

「私が鳥のときは」のとなりにあった「山ぎは少し明かりて」を辻堂ゆめさんの作品で初めて読んで「サクラサク、サクラチル」「答えは市役所3階に」と読みました。重症の中毒になりました。最初は、読みすすめるのがやや苦痛でしたが、辻堂ゆめさんの作品と思って読みすすめたら逆に夜更かしコースへ。止まらない。止まらなかった。

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2024/02/09

同じく三世代を描いた最新刊「山ぎは少し明かりて」とは好対照な親子関係。とんでもない逆境にある母の、息子を思う気持ちの強さに胸が熱くなった。現在と過去が交互に語られ、母親が隠していた「秘密」が少しずつ明らかになっていくのだが、万津子視点の過去パートの方が断然面白い。解説の荻原浩さん...

同じく三世代を描いた最新刊「山ぎは少し明かりて」とは好対照な親子関係。とんでもない逆境にある母の、息子を思う気持ちの強さに胸が熱くなった。現在と過去が交互に語られ、母親が隠していた「秘密」が少しずつ明らかになっていくのだが、万津子視点の過去パートの方が断然面白い。解説の荻原浩さんも褒めているように、平成生まれの20代で、昭和30年代という時代の空気をリアルに描けているのは驚き。非ミステリー系人間ドラマでも才能を発揮しつつある著者の今後がますます楽しみに。

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2024/01/07

 1964年と2020年、二つの東京五輪の時代を鮮やかに描く、三世代の親子の物語です。  2つの時間軸が交互に進み、親と子それぞれの視点で綴られ、心に響き、深く静かな余韻を残す作品でした! 執筆時20代だったという辻堂ゆめさん、あっぱれです! 素晴らしい話でした。  妻や職場の...

 1964年と2020年、二つの東京五輪の時代を鮮やかに描く、三世代の親子の物語です。  2つの時間軸が交互に進み、親と子それぞれの視点で綴られ、心に響き、深く静かな余韻を残す作品でした! 執筆時20代だったという辻堂ゆめさん、あっぱれです! 素晴らしい話でした。  妻や職場の人間関係も仕事も上手くこなせず、常に苛立ち壁にぶつかっている、定年間近の息子・泰介(主人公)の現代パート。(80歳目前の母・万津子は認知症傾向)  九州から中卒で名古屋の紡績工場へ就職し、若くして炭鉱職員に嫁いだ万津子の半生の過去パート。  勝手な言動とその傍若無人ぶりに、全く共感できない泰介、息子が知らなかった母の「過去」にある違和感の設定と構成が見事です。  謎の真相が次第に明らかになるに連れ、あぁ全ては伏線だったのか、と思わされます。霧が晴れるように、感動が広がります。  過去パートの方がはるかに重いのですが、だからこそ「いかなる種類の差別も受けることなく〜」と謳うオリンピック憲章を背景に、万津子が唯一楽しみだったバレーボールに希望を託し、息子を守り通そうとした母の愛の深さに涙します。  過ごした時代や土地を超越し、変化の激しい時代の中で生きづらさを抱える全ての人に、五輪の聖火のように未来を照らす希望と勇気の灯になるに違いありません。

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