続きと始まり の商品レビュー
人々のよくありそうな、なさそうな日常が3人の主人公の目線で描かれる。 コロナの只中だけど阪神淡路も東日本大震災も味わってきた3人がそれぞれの接し方では日常を思い返したりしている。 人のつながりは小説で描かれた外側からはよく見えるけれど、実際に自分がその立場だったら何も気づかずに...
人々のよくありそうな、なさそうな日常が3人の主人公の目線で描かれる。 コロナの只中だけど阪神淡路も東日本大震災も味わってきた3人がそれぞれの接し方では日常を思い返したりしている。 人のつながりは小説で描かれた外側からはよく見えるけれど、実際に自分がその立場だったら何も気づかずに過ぎていってしまうことが多いんだろうな。 今ある日々と人とのつながりをもっと味わいたいなと思った。
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三人の日常の話しが入れ替わり立ち替わりに語られていてなかなか読みづらかった。それにしても何となく違和感があったのは2020年はコロナが全国的に流行った時でこんな物語りの様な日常はなかったのではないかな!三人の日常会話にコロナの深刻さがうかがえないのは何故なんだろうと思ってしまった...
三人の日常の話しが入れ替わり立ち替わりに語られていてなかなか読みづらかった。それにしても何となく違和感があったのは2020年はコロナが全国的に流行った時でこんな物語りの様な日常はなかったのではないかな!三人の日常会話にコロナの深刻さがうかがえないのは何故なんだろうと思ってしまった!
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阪神大震災、東日本大震災、新型コロナと日本を襲った節目となる天災にほんのり関わった3人の寄るべなさ。親とうまくいっていないということも併せて、より寄るべなさが出ている。 小坂パートが、1番我が身に引き寄せることができ、面白かった。 最後、3人がニアミスしていたとある2月がなんか読んでてワクワクした。
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うーん。 この話、どこで繋がって、どこがオチなんだろう? と考えてたけど、なかった。 いつだって今しかない
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石原優子、小坂圭太郎、柳本れい。どこにでもいそうな、かといって退屈ではない個性を持つ3人の視点でコロナ禍の日常を語る小説。 自粛要請(今考えると変な言葉である)やら、緊急事態宣言やら、まん坊(当時も思ったが変な略語である)…、感染拡大を錦の御旗に徹底的に抑圧された生活を送った3年ほどの期間、主人公らの生活も感性もどんより重くて、それでも生活は淡々と行われていく。 2つの大きな震災の記憶も生々しいままに、今度はパンデミック…。厄災の合間を縫って続く庶民に日常、政治は相変わらずクソだし、強かったはずの経済も日に日に弱っていって、明るい未来などフィクションの世界にも見当たらなくなった国。 口から出た言葉は戻らないし、マスコミやネットで報道する姿だけが真実ではないし、親は勝手に期待して絶望するし…。 何を書いてるのか分からなくなったが、何しろ情報量というか感情量というか言葉が丁寧にたくさん綴られていて、読み手側も思いが錯綜しまくるので、まとまらない。 とりあえず、ウクライナや能登や韓国の戒厳令や、やっぱり世の中無茶苦茶なことが多いけど、ゲー吐きながらでも乗り越えてきた俺たちは、これからも乗り越えていけるやろう。乗り越えていこう。勝たんでエエけど負けてたまるか
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砂地に水が染み込むような文章。 シンボルスカの詩を中心にコロナ下の3人を描く。 阪神の地震と東北の地震の記憶。それぞれのおいたちの記憶。過去からのつながり。 その時々の自分の思いがたちのぼってくるが、 コロナから2年経過した現在、コロナの頃の記憶が朧げになってることに驚く。地震...
砂地に水が染み込むような文章。 シンボルスカの詩を中心にコロナ下の3人を描く。 阪神の地震と東北の地震の記憶。それぞれのおいたちの記憶。過去からのつながり。 その時々の自分の思いがたちのぼってくるが、 コロナから2年経過した現在、コロナの頃の記憶が朧げになってることに驚く。地震のころの自分はありありと覚えているのに。。これはなんなのかな? シンボルスカの詩を読んでみたいと思った。 それから、世界は暗い方へ進んでる、という基調だったけど、そんなでもないよ、と言いたい。20年前に比べて、良くも悪くも世界の均質化は進んでる。それは良い面の方が多いんだよ。
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これまで、いくつかのライフステージを経験して、就職してからも複数の職場に身を置いてきた。 そのなかで、親の離婚や震災や、肉親との死別や最近ではコロナや、価値観を揺さぶられるような出来事もいろいろあった。 これまではそれらが自分の中でバラバラなこととして位置づいていたけど、それらを...
これまで、いくつかのライフステージを経験して、就職してからも複数の職場に身を置いてきた。 そのなかで、親の離婚や震災や、肉親との死別や最近ではコロナや、価値観を揺さぶられるような出来事もいろいろあった。 これまではそれらが自分の中でバラバラなこととして位置づいていたけど、それらを経て今のわたしがある以上、それらはみんな地続きなのかもしれない。 まだぼんやりとしているけど、すごく大事なことを示してくれている一冊だと感じたので、しばらく時間をおいて再読したい。
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確かに、ここには私がいる。 しかしそれは、共感という名の、自己愛に満ちた思いの表明ではない。 自画像を突きつけられたときの少しばかりの居心地悪さに近いだろうか。 深煎りのコーヒーを口に運び、苦味と共に微かにざらつきが舌に残る。 声高な社会への違和感と、それに目を伏せるだけの日々...
確かに、ここには私がいる。 しかしそれは、共感という名の、自己愛に満ちた思いの表明ではない。 自画像を突きつけられたときの少しばかりの居心地悪さに近いだろうか。 深煎りのコーヒーを口に運び、苦味と共に微かにざらつきが舌に残る。 声高な社会への違和感と、それに目を伏せるだけの日々。 空き地を見ても何が建っていたかすら思い出せない不安。 まだ恵まれている方だよなと、いう思いが浮かんでしまう自己嫌悪。 真っ当に生きていると思う一方で、社会の“普通”の枠から疎外され、帰属感を持てないこと。 誰かを傷つけた罪悪感を、誰かに癒して欲しいこと。 「終わり」も「始まり」も掴めないまま、続きを生きることしかできない僕は、何かを始めていけるのだろうか。 ベルリンの壁が打ち壊される映像に釘付けだった中学生のときのようには、僕もまた、世の中がいつか素晴らしくなるだろうとは、もう思えなくなってしまったけれども。 作中では二つの震災後が回想として描写される。 津波に押し流された石巻を訪れたとき。 “ダウンジャケットを着込み、ニット帽を目深に被ったその人は、どんな人か遠目からはわからなかった。どんどん歩いて行く犬に引っ張られて、だんだんと夕闇が迫るその場所を、まっすぐに歩いていた。 どこを通ることもできそうだと、ここに何があったのかを知りもしない自分には見える場所で、車も、人も、道を通っていた。 犬は、どんどん道を歩いていった。 静かだった。 何もかもが変わってしまったその場所で、犬は変わる前と同じ道を散歩していた。たぶん、毎日。 悲しいと感じたのか怖いと感じたのか、もっと別の感情だったのか、いまだにわからない。” 神戸の街を六甲山から眺めたとき。 “「わたしがここ初めて来たんやったとしたら、この景色はどんなふうに見えるんやろうなぁ、 って。 穏やかな海が見える、きれいな街やなあ、ただそういうふうに見えるやろか。 それか、あれからもずっと働いてたり、住んでたりしてたら、毎日見続けてたら自分が生活してる、暮らしてる街として馴染んでいって、そういう風景に見えてたかもしれへん。 二十年以上経ったなんて、信じられへんけど、その間にあったたできごとは全部確かにあったことで、上の子は二十歳になるし、母は死んだし、私は四十四歳で、どの人にもどの場所にも、同じだけ時間が過ぎて、それは消えない” 始まりはすべて 続きにすぎない そして出来事の書はいつも 途中のページが開けられている 失なっても、残るものがある。 目に見えなくても、消えないものがある。 忘れてしまっても、色褪せてしまっても、僕を作ってきたものは確かに存在する。 引用された詩にあるように、続きの日々を新しく生きていくこと。 決して派手でも、目新しいわけでもないが、虚しく希望のない時代の中でも、日々を歩むことは、何かを作り出すことだと信じて。 終わらせてはいけないものに耳を澄ませて。 まだ始まらないものの胎動に目を凝らしながら。 今への違和感に向き合って、こだわりながら。
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あの日のことをコロナ禍に思う。 淡々と日々を過ごす中、過去を振り返り、今を思う。幸せとはなんだろうか。被災地や戦場の人々のことを想うことはあれど、何か具体的に行動を起こすわけではない。いる場所によっても距離感は違うのか。 ほんの数年前のことだけど、忘れていることだらけだなぁと感じ...
あの日のことをコロナ禍に思う。 淡々と日々を過ごす中、過去を振り返り、今を思う。幸せとはなんだろうか。被災地や戦場の人々のことを想うことはあれど、何か具体的に行動を起こすわけではない。いる場所によっても距離感は違うのか。 ほんの数年前のことだけど、忘れていることだらけだなぁと感じた。 夢=仕事って風潮どうにかならんかなぁ。
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別々の3人がコロナ禍で考える日々を追う。 2つの震災やいろいろな出来事の中で、3人とは年齢も立場も違うけれど、いくつも私もそう思った、わからなかったけれど、同じ感情だと感じたことがいくつもあった。 とにかく、文字量が凄い。ただ、感情はこれほど多く日々語ってるんだよなと思うとと...
別々の3人がコロナ禍で考える日々を追う。 2つの震災やいろいろな出来事の中で、3人とは年齢も立場も違うけれど、いくつも私もそう思った、わからなかったけれど、同じ感情だと感じたことがいくつもあった。 とにかく、文字量が凄い。ただ、感情はこれほど多く日々語ってるんだよなと思うとともに、だから疲れるんだなぁとも。
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