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万物の黎明 の商品レビュー

4.5

17件のお客様レビュー

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2025/11/25
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「オメラスから歩み去る人々」を大学生のときに読んだ。「オメラス」が本の中で紹介されるのを読んだのはこれで2回目だ。 古代エジプトのピラミッドにおける大量殺戮が意味するものを生態学的思考によって導くスリリングな展開そのものがこの本の圧倒的に新鮮な読書体験を象徴する。 古代エジプトの国家形成が、キリストの語る「サマリア人の例え」のごとく最大多数の最大幸福を理想とする権力構造をカリスマたる王が実現したのだとする説。民衆のエートスとしての「平等」を実現したからこその王への貢物としての大量殺戮、という道筋。 まさに「オメラス」そのものだ。 そしてこの思考はそのまま宮沢賢治の初期版「銀河鉄道の夜」にも繋がる。 本書では「ケアと支配の結合」(たがいに関係し合う方法を自由に再創造すれこと)と呼び、なぜそれが近代化の果てに喪失したのかを掘り起こす。 グレゴリーベイトソンをマスターとする「精神の生態学」思考の最前線に興奮する。リチャード・ローティ、マイケル・サンデル、ワイド・ガイトン、そして今作の作者デイヴィッド・グローバー。文化人類学のスペルベルやデ・カストロの「存在論的転回」の流れを受けてこれほど豊かな読書体験ができる幸運に恵まれて感謝。そして先日観た「ロシャオヘイ戦記2」にもデイヴィッド・グローバーの影響を感じ取ることができた。ひそかに人類は、歴史の認知革命としてそのものの見え方が変わろうとしているのかもしれない。

Posted byブクログ

2025/08/03

人類の歴史に安易なストーリーを付与して、狩猟採集から農耕へ、そこで「所有」という概念が発生したから支配構造が登場してきたという、この世界観を覆したのが本書。そもそも、直線的に所有を生み出す農耕へ突き進んできた訳ではない。また、狩猟時代に既に支配構造はあった。 必ずしも支配構造が...

人類の歴史に安易なストーリーを付与して、狩猟採集から農耕へ、そこで「所有」という概念が発生したから支配構造が登場してきたという、この世界観を覆したのが本書。そもそも、直線的に所有を生み出す農耕へ突き進んできた訳ではない。また、狩猟時代に既に支配構造はあった。 必ずしも支配構造があった訳でもない。必ずしも闘争があった訳でもない。黎明から既に人類は多様なスタイルにあり、一概には言えないものを、単純化して認知してしまっている。 食べなければいけない。食料調達の方法は、環境や技術レベルにより、狩猟採集も農耕生産も使い分けていた。私は飢えのレベルにおいて、本来そこに人食もあったと考えたい。また、飢えのレベルにおいては、究極的には人食に辿り着くが、その手前に掠奪があり、奴隷化がある。飢えのレベルは、集団の人口にもよる。 この点で、ホッブズ的世界観もルソー的世界観も、環境依存的な結果としかいえないというのが、グレーバーだ。 ー ルソーの論文はまちがいなく奇妙なものである。それはまた、世評に広がっている議論ともどこかずれている。ルソーは、実際には、人間社会が牧歌的な無垢の状態からはじまると主張しているわけではない。かなり混乱してはいるが、かれの主張は、最初の人間は本質的に善良であったが、にもかかわらず暴力をおそれて組織的にたがいを避けていた、というものだ。とすると、自然状態の人間は孤立した存在となる。こうしてルソーは、個人間の継続的な結合の形態である「社会」そのものが、必然的に人間の自由を束縛すると主張することができたのである。言語でさえも妥協のしるしなのだ。 ー 家族が増えると、生活の手段が失われはじめ、遊牧の生活は途絶え、所有するようになり、人間は居住地を選び、農業によってかれらは混じり合った。言語は普遍的なものとなり、一緒に生活することで、たがいの力の違いを測るようになり、弱いものは強いものと区別されるようになった。これにより、ひとりの人間が複数の家族を束ねて統治し、敵の侵入からじぶんたちの身や土地を守るという相互防衛の発想が生まれたのはまちがいない。 平等の概念論も面白い。 ー つまり「平等」とは初期状態を指す用語であって、文明の虚飾をすべて除去したときに残ると考えられた人類の原形質的な集団性を意味しているのである。「平等主義的」人間とは、王、裁判官、監督者、あるいは世襲祭司をもたない人びとであり、通常は都市も文字もなく、ときに農耕さえも不在である。 つまり、プリミティブな状態こそ平等であり、組織や集団を形成する時点で、それは消滅する。不可侵は所有により発生する。神は所有だ。侵されざる神聖な存在は、個人の財産も神も等しい。ドメスティケートの話も興味深い。読後の言葉が尽きぬほどの興奮があった。グレーバーはもういないが、この本の中に確かに存在する。

Posted byブクログ

2025/03/22

人類に対する新たな歴史観の提示。 無邪気なルソーが提示した人類でもなく、互いに闘争するホッブスが提示した人類でもない別な定義を行う。 様々な研究成果をもとに提示しており、自分としては納得感があった。 翻訳者の後書きで50ページ近くあり。それが理解の助けになる。

Posted byブクログ

2025/03/01

ひっくり返りました。本書でも度々言及されるジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」やユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」にもびっくりしましたが、本書はひっくり返りです。副題も「人類史を根底からくつがえす」です。先ずは西洋発の啓蒙主義の象徴、ジャン=ジャック・ルソーの前にカ...

ひっくり返りました。本書でも度々言及されるジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」やユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」にもびっくりしましたが、本書はひっくり返りです。副題も「人類史を根底からくつがえす」です。先ずは西洋発の啓蒙主義の象徴、ジャン=ジャック・ルソーの前にカンディアロックというアメリカ先住民のヨーロッパへの社会批判を置きます。これがひっくり返しの最初のテコの支点になります。これによって時間軸の方向性がまっすぐではなくなります。このあと次々を新しい支点が置かれていきます。人類学と考古学と両方の見地から数々の研究成果や論説が並べられ読むの、めちゃ大変でしたが、それでもわからないなりに、ひっくり返されのカタルシスが次々起こるのです。「銃・病原菌・鉄」や「サピエンス全史」を読んだ時の説得されるけど人類の運命に対して悲観的になるのではなく、これから刻まれる歴史に対して可能性めいたものを感じました。膨大な記述なのでどこを語ればいいのかわからなくなりますが読了後の訳者あとがきで、「ラフな手引き」が記載されていて脳内整理に役立ちました。その第3章の手引きで書かれている『人間は当初よりただひたすら人間だったーかくして、本書の核心をなすといが定式化される。人類の「社会的不平等の起源はなにか」ではなく、人類は「どのように停滞したのか」という問い、平等の喪失ではなく、自由の喪失の問いである。』ここをメモっておきます。そして、①移動し離脱する自由②服従しない自由③社会的関係を創造させたり変化させたりする自由、という自由のあり方が現在の問題にも迫ってきます。ここすごくポイントだと思います。読了直後のレビューでまとまりませんが、先ずはメモとして。

Posted byブクログ

2025/01/19
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 やっと読み終わった、という感じ。だが、それに見合う本だった。世界の見方を変えてくれる本というのはそうそうあるものではないが、本書は自分にとってまさにそういった本の一つとなった。多分、何度か読み返してそのたびに考察のヒントを与えてくれそうな予感がする。  一般に流布している人類史の見方として、1 人間集団はその規模を拡大するにつれて複雑化するため、やがて集団を制御するための非生産階層が必要となり、その階層が集団を支配するようになる。2 規模の拡大につれて支配層が分厚くなり、ヒエラルキーの度合いが増大する。3 農業などのテクノロジーにより、規模拡大が加速し、ヒエラルキー形成が加速する、といったところがあると思うが、それらを裏付ける証拠は何もない、人類の発展はもっと多方向で自由なものであった、ということが趣旨と思われる。  人類はどうしても自分が一番可愛いものと見え、近年のビッグヒストリーに関する論説では、現在ある社会を前提としてそれをバックキャストして過去の社会を考える傾向にある。そうすると、社会は基本的に複雑化の階層を進む一直線な発展の仕方しかなく、過去のより小規模な社会は現在の社会に至る途中段階の一つという見方をされてしまい、現在を「プラスの到達点」と考えれば、過去の社会は「未開」ということになってしまう。あるいは現在を「マイナスの到達点(資本で堕落しているなど)」とすれば過去は「本来の人間性を持つ理想郷」になる。  だが現在の社会はあり得た到達点の一つにしかすぎず、過去の社会は人口の規模、農業の有無などに関係なく、自分たちにとって望ましい社会を試行錯誤しながら、時には複数の体制を行き来しながら社会を作り、壊し、移りゆきながら生きてきた、というのが本書の要点の一つと思われる。他のビッグヒストリーを扱う論評と異なり、多くの古代遺跡という物証をもってそれらが推察されている。そうだとすれば、現代社会のなんと画一的で非人間的なことか。「民主主義は最悪の政治形態である。これまでに存在したすべての政体を除いたとすれば」などと得々としていながら、実際には多くの可能性を自ら捨て去って「閉塞」していたわけだ。  思うに、これまでのような現代社会を「到達点」とみなす考え方は、自分可愛さということもあるが、キリスト教の影響(すなわち、西洋的な思考)も大きいのではないか。本書でもそのような感触の記載はあるが、一神教で神から選ばれた人類が世界の最高到達点である、という考えに立つと、それ以外の生物、および神に祝福されていない人類は、どうしても一直線のゴールに向かう途中段階とみなされるようになる。最高到達点の神に認められた人類からすれば、まさに「下等」というわけだ。予定説に従えばさらにその傾向は強まるはずで、意識しようとそうでなかろうと、神を頂点にする神聖さのヒエラルキー、という見方が強く影響した西洋文明が支配的になると、そうした歴史の見方に偏るのも無理はないと思う。  過去の人類が、規模や技術発展に関係なく、ヒエラルキーによらない相互扶助的で男女同権的な社会を築けていたとしたら、なぜ人類はそれを捨ててしまったのか。本書の範囲内ではまだ明確な結論は得られていない(これからの研究に待たなければならない)が、行き過ぎたケアリングが権力と結びつくなどのいくつかの可能性が示唆されており、考察しがいがある。  個人的には、人間が思考のリソースを節約する傾向を持つことも関連しないか、と思っている。社会の規模が大きくなりつつも自分で社会と積極的にかかわって社会を運営していくことが必要だと、どうしても考えるべきところが多くなり、思考が大変になる。そうしたときに、何かの理由で大規模な計画に大勢を動員するようなことが起こると、「誰かの指示に従うことによる思考リソースの節約」に味を占めるものも出てくるのではないか。いったんそれが定着すると、支配者と被支配者が共依存の関係になり固定化が進む、ということもあるように思う。  ちなみに個人的にはハラリ氏やダイアモンド氏の著作が大好きなので、彼らの論説がポップ人類史扱いされているのは少し悲しいが、それもやむなしと思うほどの圧倒的な説得力であった。

Posted byブクログ

2024/12/14

富が権力につながらない社会や農耕をあえて選ばない社会など考えてもなかった視点が次々出てきて新鮮だった。 がしかし、長々しく要点がわかりにくいスタイルの文章についていけず、半分ほど読んでそっと閉じましたʕ⁠·⁠ᴥ⁠·⁠ʔ

Posted byブクログ

2024/11/13

ひとことで言えば「ビッグ・ヒストリー」への疑問、アンチの超大作だが、ハラリやダイアモンド、ピンカーなどをポップ人類史と徹底的に批判しているのが興味深い。 遊戯農耕とシリアス農耕というコンセプトも大変面白い。わかりやすく直線的に語ることの弊害にも気付かされる。 膨大で熱のこもった訳...

ひとことで言えば「ビッグ・ヒストリー」への疑問、アンチの超大作だが、ハラリやダイアモンド、ピンカーなどをポップ人類史と徹底的に批判しているのが興味深い。 遊戯農耕とシリアス農耕というコンセプトも大変面白い。わかりやすく直線的に語ることの弊害にも気付かされる。 膨大で熱のこもった訳者あとがきもあるので、先にここから読んで全体の見取り図とするのも良いと感じた。

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2024/11/09

挑戦的な書。 なぜわたしたちは単一のありように帰着してしまったのか? 閉塞を打破する視点の転換。変化の可能性。

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2024/07/13

我々の不平等な社会はいつ始まったのか?という問い。これを人類史の考古学的証拠を見ていきながら、なぜ我々の社会は閉塞してしまったのか?という問いへと定義され直される。その答えへの手がかりには太古の人類を現代人と同じような人間として認識しなおし、これまでに存在した多様な社会を無視せず...

我々の不平等な社会はいつ始まったのか?という問い。これを人類史の考古学的証拠を見ていきながら、なぜ我々の社会は閉塞してしまったのか?という問いへと定義され直される。その答えへの手がかりには太古の人類を現代人と同じような人間として認識しなおし、これまでに存在した多様な社会を無視せずに包括する必要性がある。近年人気を博しているポップ人類史に対する批評であり、改めて構造主義的見地から人類史を捉え直す名著。

Posted byブクログ

2024/06/26

学校で習った、新大陸の人達を、ヨーロッパ人が啓蒙しました的な人類史は、あくまでヨーロッパ的な視点。旧アメリカには、そうではない、ヨーロッパより、より自由な、より豊かな国家(に近い組織)がありましたよ、という本。旧アメリカ大陸では、ヨーロッパ人が来る前に、奴隷制が発生したり廃止され...

学校で習った、新大陸の人達を、ヨーロッパ人が啓蒙しました的な人類史は、あくまでヨーロッパ的な視点。旧アメリカには、そうではない、ヨーロッパより、より自由な、より豊かな国家(に近い組織)がありましたよ、という本。旧アメリカ大陸では、ヨーロッパ人が来る前に、奴隷制が発生したり廃止されたりした形跡があるようなので、世界的に応用できたら、世界はもっと平和で幸せになると思いました。

Posted byブクログ