ガンディーの真実 の商品レビュー
ガンディーとはインドの仙人のような人かとおもっていました。が、違っていました。 生身のガンジーの姿がありました。 宗教の普遍性、共通性に気が付いたのですが、その相違の部分に注目しなかったことが インドの分離が、ガンディーの悲劇を生んだのです 気になったのは、以下です。 ・非...
ガンディーとはインドの仙人のような人かとおもっていました。が、違っていました。 生身のガンジーの姿がありました。 宗教の普遍性、共通性に気が付いたのですが、その相違の部分に注目しなかったことが インドの分離が、ガンディーの悲劇を生んだのです 気になったのは、以下です。 ・非暴力は臆病とことなることをはっきりと断言した。加えて重要なポイントは、非暴力とはあらゆる力の否定とも異なるということである ・ガンディー非暴力は、単に政治的な抗議の方法のみ語られるものではなく、衣食住や宗教を含む公私をまたぐ生活領域に及び主題であった ・ガンディは1869年10月2日に、グジャラート地方の人口8万のポールバンダルという藩王国で誕生した。 ・18歳でイギリスに留学して、弁護士資格を獲得した ・南アで人種差別にあい、差別を根絶するために必要なこととは、加害者を糾弾することではなく、システムを変革することであると悟った ・南アからもどったガンディーは、インド独立運動にのめり込んでいく 第1次独立運動 1919-1922 ボイコット・ストライキ 第2次独立運動 1930-1934 塩の行進 第3次独立運動 1942-1944 インドを立ち去れ ・インドの農民の結集、ヒンドゥ教徒とイスラム教徒との融和が生涯の願いであったが、1947 のパキスタン分離、1948 ヒンドゥ教徒によって殺害され、ガンディの思いは生前には実ることはなかった ・トルストイの「神の国は汝らのただ中にあり」との出会いが、ガンディを変えた ・洋服を脱ぎ捨て、腰布1枚になったガンディが、農民の魂を揺さぶった ・紛争の地、カシミールこそが、ヒンドゥ教徒とイスラム教徒との共生の地であった ・ガンディの性、妻とは3人の子をなしたが、長男はガンディの愛をうけることなく,廃人として死亡した。妻ともうまくいっていなかったようである。 ・おどろくことに35歳を超えた、ガンディは男性性的な関係のにあったようだ。 ・ガンディが唱えた、宗教的多元性の理論は、さまざまな宗教に共通する普遍的な真実であり、西洋のダイバーシティ:多文化主義とは異なっていた ・ヒンドゥ教、イスラーム教、シク教、などの制度的な宗教というよりも、分断を超えて自己と他者が共存していくための「寛容の精神」を第一義的に意味するとした。 ・ガンディの非暴力思想は ①完全な非暴力 ②非暴力的暴力 ③偽善的無抵抗 という3つのレイヤから構成されていた ガンディの非暴力運動の特徴は、当時のインド人大衆が非識字者であり、口コミで伝わっていったということである 【目次】 はじめに 非暴力思想とは何か 第1章 集団的不服従―日常実践の意義 第2章 食の真実―味覚の脱植民地化 第3章 衣服の真実―本当の美しさを求めて 第4章 性の真実―カリスマ性の根源 第5章 宗教の真実―善意が悪になる時 第6章 家族の真実―偉大なる魂と病める魂 終章 真実と非暴力 謝辞 文献一覧 ISBN:9784480075789 出版社:筑摩書房 判型:新書 ページ数:288ページ 定価:940円(本体) 発売日:2023年09月10日第1刷
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ガンディーは、非暴力思想に興味があって、時々、読む。よく考えると、評伝とか、研究書は読んでいなくて、基本、本人が書いたものを読んでいる。 「ガンディーは聖人といわれるが、実はこういう問題もあった」みたいな本はあまり興味がない。ガンジーも自分の人間的な悩みを持っていながらも、真実...
ガンディーは、非暴力思想に興味があって、時々、読む。よく考えると、評伝とか、研究書は読んでいなくて、基本、本人が書いたものを読んでいる。 「ガンディーは聖人といわれるが、実はこういう問題もあった」みたいな本はあまり興味がない。ガンジーも自分の人間的な悩みを持っていながらも、真実を探究し続け、活動し続けたということに彼の偉大さがあると思っているからかな? また、彼の著書でも、自分の悩みを書いているし、基本、真実の彼がどうかというより、彼の書いたものということから、何を読み取れるかという方が、大事だと思っているのかな? なので、「ガンジーの真実」というタイトルから、本当はガンジーってこういう人だったみたいな暴露本的な要素を含む本かと思って、どうしようかと思ったのだけど、最新の研究結果を踏まえての本のようなので、試しに読んでみた。 「ガンジーの真実」の「真実」は、「実は彼は・・・」みたいな話ではなくて、ガンジーの活動全般であるサティヤーグラハ(真理の把持)で言われている「真実」とはなんだったのか、ということなんですね。 で、その「真理の把持」へのガンジーの探究を食、衣服、性、宗教、家族と分けて議論し、最後に真実と非暴力ということで総括してある。 それぞれのテーマについて、ガンジーのエピソードや思想的な影響関係と発展のプロセス、そして現代的な意義と限界点などをとてもクリアに整理していると思う。 最初の食と衣装のあたりまでは、本人の著作などから概ね理解できていたところだと思ったが、性、宗教、家族というテーマについては、本人もあまり本で言及していないところあったり、私生活においてさまざまな問題があったりしたところで、かなり学びになるところが多かった。 個人的、家族との関係では問題を含みつつ、社会的には国父として尊敬をされ、インドをイギリスの植民地支配から解放するわけだが、彼の身の周りにいた人たちは、ガンジーの思想が発展し、ある意味、現世的なものからすると過激化していく中で、一体どう思っていたんだろうと想像すると、つくづく大変だったんだろうな〜と思った。 ガンジーは、何をやるにしても自分自身の魂のあり方が、変化を生むという考えで、実際、まさに彼の在り方によって、非暴力運動が成立したという面は多いと思う。が、あまりにも個人の魂の在り方にこだわりすぎてもいて、社会なり、家族がうまくいかないのは、自分の魂の状態がまだまだであるからだと結論する、そして、さらに自分の内面を見つめるという方向に頑張ってしまうというのも、なんだか変だと思った。 つまり、ある種の唯我論的なものになっていて、社会の問題の解決と自分の魂の救済が直結しすぎて、結果的に自分の魂の救済が優先されてしまう自己中心性になっているのではという著者の指摘はちょっと痛かったが、なるほど感は高い。 ガンジーは、最後にヒンズー教徒の過激派?的な人に暗殺されるわけだが、それはガンジーが宗教を超えたインドの統一を目指していたことが、結果的にヒンズー教徒をちゃんとケアしないことが原因になっていたとのこと。つまり、ある意味、自業自得な側面もあるこということですね。 納得性は高かった。
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