目的への抵抗 の商品レビュー
アガンベン 死んだ者たちへの敬意の喪失は、歴史への畏怖の喪失へとつながり、これまでに先人たちが積み上げてきた価値への無関心へとつながるのではないでしょうか。 移動の自由が認められることが支配されないための最低条件 現代社会では、生存だけを取り出して、「精神的な生の経験」...
アガンベン 死んだ者たちへの敬意の喪失は、歴史への畏怖の喪失へとつながり、これまでに先人たちが積み上げてきた価値への無関心へとつながるのではないでしょうか。 移動の自由が認められることが支配されないための最低条件 現代社会では、生存だけを取り出して、「精神的な生の経験」無しの「身体的な生の経験」を考えることが当たり前のようになってきている。 例外状態の最悪事例、ナチス。 権利は一度捨ててしまうとなかなか取り戻せない 日本の自粛警察、相互監視体制 オープンが加速すると批判的精神が薄まる 政治とは、話すこと 何かを信じる。それを軸にしないと影響されまくる。 自分より以前に死んだ人がいるということに実感を持てなければ、今この世の中で大切にされているものをどうして大切にしなければならないのかは分からないでしょう。 死者の権利 追悼よりも供養 死者を中心に想いを馳せる 哲学者は社外の虻 ★グレタさんは哲学者なのでは? 浪費(限界を超えて物を受け取ること)には終わりがあるが、消費にはない。 対象がものではないから。 →浪費こそが目的からの逸脱 何もかもが目的のために行われる状態とは、すべてが目的のための手段になってしまう状態として考えることができます。 =目的という概念の本質は手段を正当化するところ 全体主義が求める人間は、いかなる場合でも、「それ自体のために或る事柄を行なう」ことの絶対にない人間である。だから芸術のための芸術も許されない。もちろん、食事のための食事も許されない。 政治は本来管理ではない 身体がないからSNSは炎上する 目的を理由に言い訳をすることがない
Posted by
『暇と退屈の倫理学』の続編的なもの。大学の講話が話し言葉で掲載されているのでとても読みやすい! 私は考えるのが好きなので考える本を読んじゃう。それが楽しくて目的は特にない。國分さん、もはやファンです。
Posted by
『暇と退屈の倫理学』よりもさらに、わかりやすくて面白かったです。 コロナ禍に自分が考えていたことを振り返るのにちょうどいいきっかけになりました。 これからはもっと「考えること」を大切にしていきたいと思いました。
Posted by
自分であり続けるために 考えること、すること、を放棄しないでい続けたい --- ものを考える中でチクリと刺したり、チクリと刺されたりということが起こってほしい あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためでは...
自分であり続けるために 考えること、すること、を放棄しないでい続けたい --- ものを考える中でチクリと刺したり、チクリと刺されたりということが起こってほしい あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく世界によって自分が変えられないようにするためである 動機づけや目的が重要な要因ではないというわけではない。それらは行為の個々の局面を規定する要因であるが、こうした要因を超越するかぎりでのみ行為は自由なのである
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
高校生、大学生向けに話された2つの講話と質疑応答。コロナ禍で個人の自由が大きく制限されたことを問題視した哲学者が非難を浴び、緊急事態を名目にした自由の制限が人々に簡単に受け入れられ、何らかの目的のために必要とされること以外の人間活動が「不要不急」と切り捨てられる状況は、非常事態の特殊な事例ではなく、そもそもが資本主義消費社会の本性。消費社会の中で貧しい生活を送らず、人生を豊かにする「浪費」が大切ではないかという仮説はなるほどと思わされた。もやもやとする状況の分析と論の進め方が明晰、質問の回答内容も誠実で、哲学系の人が書いた本とは思えないほどわかりやすく面白い。
Posted by
タイトルからは何の本かわからなかった。 今はコロナも5類になり、行動制限も緩和、というかなくなったに等しい。 が、緊急事態宣言下、我々は政府の試行錯誤の政策で、学校の全面休校、 夜の街の制限、移動の制限等、思い切り行動制限を受けた。 コロナ禍の影響度合いがわからぬ中、やむ...
タイトルからは何の本かわからなかった。 今はコロナも5類になり、行動制限も緩和、というかなくなったに等しい。 が、緊急事態宣言下、我々は政府の試行錯誤の政策で、学校の全面休校、 夜の街の制限、移動の制限等、思い切り行動制限を受けた。 コロナ禍の影響度合いがわからぬ中、やむを得ない措置であったといえるが、 ここで考えよ、と著者はいう。 唯々諾々と、無批判にこれを受け入れていいのか、と。 コロナ禍で亡くなった方は遺族に送られることも許されなかった。 それでいいのか、と。アガンベンという哲学者の言葉を引用しつつ語っている。 幸い自分はコロナ禍の影響はたいして受けずにすんだが、 それでも安倍政権の瞑想には閉口したものだ。試行錯誤はやむを得ないとしても、 その政策の無神経さはいかんだろう、というものがあった。 我々市民は任せてはいけないのだ。宮台真司さんのいう「任せてブーたれる」 ではなく、引き受けて考えなくてはいかんのだ。自分で考えないと。 なんだか考えない世の中になっている気がしてならない。 この本はそれに対する警鐘だ。 幸い?この新書は講義で、高校生もZOOMで聴講し、鋭い質問を著者にしている。 未来は明るい、と信じたい
Posted by
本書は哲学者である著者の講演をベースにしてまとめられた書籍です。講演録なので基本的に読みやすいですし、色々と考えさせられることが多かったと思います。第1部ではイタリアの哲学者であるアガンベンの主張を取り上げます。コロナ禍のような例外状態によって、いかに我々市民が易々と権利や民主主...
本書は哲学者である著者の講演をベースにしてまとめられた書籍です。講演録なので基本的に読みやすいですし、色々と考えさせられることが多かったと思います。第1部ではイタリアの哲学者であるアガンベンの主張を取り上げます。コロナ禍のような例外状態によって、いかに我々市民が易々と権利や民主主義を放棄してしまうのか、行政権力が立法を超えて強力になり、ひいてはナチス政権のようなものを、我々市民が作り出してしまうのか、といった話になります。この話で印象に残ったのは、「死者の権利」という概念、「移動の自由」の重要さ、そして常態化する危機による民主主義の弱体化です。最後の点について著者は、「現代においては、恐ろしい独裁者が出てくるよりも、もっとマイルドな仕方での支配が行われる可能性が高い」と述べていますが、私はAIもしくはアルゴリズムによって支配される世界を想像しました。我々市民が「AIに判断を任せておけばいいじゃないか」といってある意味自主的に意思決定を手放すような世界です。 後半は目的、手段、遊びをテーマにします。目的は手段を「常に」正当化する、というアーレントの主張をベースに、目的が人間の自由を制限していると述べます。そして消費と浪費の違いについての話になって、消費は目的があるが浪費は目的を持たない、資本主義は人々に消費を促していて、人間の自由の制限だという論が展開されますが、ここは同意できませんでした。資本主義にとって、浪費は大変ありがたい存在であり、できるものなら市民全員が浪費してくれれば良いと思っているはずです。むしろ資本主義で起こっていることは、生産者から消費者へのパワーシフトであり、生産者としては、いかに「不必要なもの」に意味を与えて浪費してもらうかに腐心しているわけです。 しかしいずれにせよ、著者が主張するような目的を外れた行動の大事さについては同意します。ただ本書を通じて思ったのは、目的というのは「ある」「ない」の二元論ではないのだろうなということです。おそらく企業の利益最大化のように、かなり明確に目的が設定されているものから、無目的な行動の間に多くの中間的な「目的があるようでないような」状態があり得そうだということです。つまりスペクトラムとしての目的があるのではないかというのが感想でした。
Posted by
人生の目的が「幸福になること」だとすれば、抵抗するのは殆ど無理だろうし、結果的にすべての行為は手段化するように思えるが、それすら超越すべきということになるのだろうか?
Posted by
「暇と退屈〜」以来のファンであることからジャケ買いした一冊であった。またしても著者の思惑にハマってしまった。 「目的への抵抗」というタイトルからは思いもしなかったが、「科学のための科学」という考え方がどの程度世論に受け入れられるのか、段々と自身がなくなり出していた自分にとって、...
「暇と退屈〜」以来のファンであることからジャケ買いした一冊であった。またしても著者の思惑にハマってしまった。 「目的への抵抗」というタイトルからは思いもしなかったが、「科学のための科学」という考え方がどの程度世論に受け入れられるのか、段々と自身がなくなり出していた自分にとって、思考の土台となる内容だった。ここから自分なりの考えを深めていきたい。 一生懸命に何かを考えている人の一生懸命に触れると、自らも負けじと考えたくなる、自らを奮い立たせられる一冊でもある。
Posted by
講話録ということでとてもわかりやすかった。暇と退屈の倫理学の解説も、改めて理解が深まった。目的に従属的な消費より、行為自体のための浪費をしよう、それが人間本来的な幸福な生き方のひとつのあり方、という話。一つのあり方というのが大事。全てを帰そうというのではない。考えてみたいのは、資...
講話録ということでとてもわかりやすかった。暇と退屈の倫理学の解説も、改めて理解が深まった。目的に従属的な消費より、行為自体のための浪費をしよう、それが人間本来的な幸福な生き方のひとつのあり方、という話。一つのあり方というのが大事。全てを帰そうというのではない。考えてみたいのは、資本主義、貨幣経済が必ずしも消費だけを促すわけではなく、コンサートとか芸術とか、浪費も貪欲に取り込んでいること。資本家に促される浪費とは、どういう位置付けができるのだろうか。あと、当初あった目的を超えていく行為とはどんなものか。 面白い。これからの生き方を考えるヒントになる。
Posted by