1,800円以上の注文で送料無料

目的への抵抗 の商品レビュー

4.3

54件のお客様レビュー

  1. 5つ

    20

  2. 4つ

    22

  3. 3つ

    6

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2023/08/18

「暇と退屈〜」以来のファンであることからジャケ買いした一冊であった。またしても著者の思惑にハマってしまった。 「目的への抵抗」というタイトルからは思いもしなかったが、「科学のための科学」という考え方がどの程度世論に受け入れられるのか、段々と自身がなくなり出していた自分にとって、...

「暇と退屈〜」以来のファンであることからジャケ買いした一冊であった。またしても著者の思惑にハマってしまった。 「目的への抵抗」というタイトルからは思いもしなかったが、「科学のための科学」という考え方がどの程度世論に受け入れられるのか、段々と自身がなくなり出していた自分にとって、思考の土台となる内容だった。ここから自分なりの考えを深めていきたい。 一生懸命に何かを考えている人の一生懸命に触れると、自らも負けじと考えたくなる、自らを奮い立たせられる一冊でもある。

Posted byブクログ

2023/08/14

講話録ということでとてもわかりやすかった。暇と退屈の倫理学の解説も、改めて理解が深まった。目的に従属的な消費より、行為自体のための浪費をしよう、それが人間本来的な幸福な生き方のひとつのあり方、という話。一つのあり方というのが大事。全てを帰そうというのではない。考えてみたいのは、資...

講話録ということでとてもわかりやすかった。暇と退屈の倫理学の解説も、改めて理解が深まった。目的に従属的な消費より、行為自体のための浪費をしよう、それが人間本来的な幸福な生き方のひとつのあり方、という話。一つのあり方というのが大事。全てを帰そうというのではない。考えてみたいのは、資本主義、貨幣経済が必ずしも消費だけを促すわけではなく、コンサートとか芸術とか、浪費も貪欲に取り込んでいること。資本家に促される浪費とは、どういう位置付けができるのだろうか。あと、当初あった目的を超えていく行為とはどんなものか。 面白い。これからの生き方を考えるヒントになる。

Posted byブクログ

2023/08/10

「暇と退屈の倫理学」で指摘した「楽しむ」ということの重要性。 人間は自由を求めているようでいて、自由になると暇になり、暇になるから退屈する。だから暇を嫌い、自由を拒否する。ここで忘れられがちなのが「楽しむ」ということ。広い意味での勉強をして楽しみ方を学んで、楽しめるようになること...

「暇と退屈の倫理学」で指摘した「楽しむ」ということの重要性。 人間は自由を求めているようでいて、自由になると暇になり、暇になるから退屈する。だから暇を嫌い、自由を拒否する。ここで忘れられがちなのが「楽しむ」ということ。広い意味での勉強をして楽しみ方を学んで、楽しめるようになることが暇の過ごし方だと國分功一郎は言う。 さて本書である。 その楽しみが、何かの目的のためだったとしたら?それは「目的の手段」となり、「楽しみ」ではなくなってしまうだろう。 ハンナ・アーレントの言葉を引用して作者はこのように持論を展開する。 「目的として定められたある事柄を追求するためには、効果的でありさえすれば、すべての手段が許され、正当化される。こういう考え方を追求してゆけば、最後にはどんな恐るべき結果が生まれるか」(『人間の条件』) 目的の本質はまさしく「手段の正当化」にある。 何だって目的遂行のためには許されるのだ。 目的とは、そういう性質をもったものだ。 またこうも言う。 「全体的支配はその目的を実際に達しようとするならば、『チェスのためにチェスをすることにももはやまったく中立性を認めない』ところまで行かねばなら」ない。つまり、全体主義が求める人間は、いかなる場合にも「それ自体のためにある事柄を行う」ことは絶対にない。 全体主義は一つの目的遂行のために人間を動かす。 全体主義の元では、芸術も目的のために存在するものである。芸術自体を目的として楽しむなんてことは許されない。 おそろしや。 チェスの引用だったが、この引用の部分で、藤井聡太くんを思い出した。藤井くんは目的のために将棋をやっているか?いや、もちろん違うだろう。結果として七冠や八冠を得ようとも、ただただ楽しいから将棋をしてるに違いない。 大谷翔平だってそうだろう。二刀流を史上初で達成するという名誉やタイトルのために野球をやってるんじゃないよなあ。楽しそうだもんなぁ。二人とも。 目的から解放されているからこそ楽しいのだし、我々も彼らの清々しさから楽しみのお裾分けを気持ちよくもらえていると言うわけだ。 結果として充実感を得ることと、充実感を得ることを目的として何かをするのは、大きく異なる。 確かに確かに。 この本でも例として挙げられている学校の文化祭もそうだ。本当に彼ら彼女ら楽しそうに一生懸命やるよね。受験勉強も放っておいて笑 ああ、無駄なことを楽しむって、なんて人間的! そういえば、谷川俊太郎の「生きる」という詩にも。 生きるとは「ヨハンシュトラウス」であり、「ミニスカート」であり、「ブランコをこぐということ」であると。 先達たちはとっくに知っている。大事なことを。 「目的への抵抗」という表題の意味が読み終わって腑に落ちる気持ちよさ。 大いに「浪費」し贅沢を楽しもうと思う。

Posted byブクログ

2023/07/29

目的を達成するために選ばれた手段が何よりも正当化・重要視されると、手段の運用にあたり、個人の自由を軽視して良いことになっていないか、立ち止まって考える本でした。目的を達成したいのであって、手段を守りたいのではない。目的を達成するために個人で判断できるはずだった余白、遊びの部分を制...

目的を達成するために選ばれた手段が何よりも正当化・重要視されると、手段の運用にあたり、個人の自由を軽視して良いことになっていないか、立ち止まって考える本でした。目的を達成したいのであって、手段を守りたいのではない。目的を達成するために個人で判断できるはずだった余白、遊びの部分を制約されない社会活動を送りたいと思いました。

Posted byブクログ

2023/07/24

2023.14th 前半はコロナ禍での権利制限について、三つの論点が提示されています。①価値があるのは生存だけなのか?②死者の権利(葬儀の権利)を蔑ろにしていいのか?③移動の自由の重要性を忘れていないか?の3点です。その上で、著者は権利制限けしからん!と主張する訳ではなく、提示さ...

2023.14th 前半はコロナ禍での権利制限について、三つの論点が提示されています。①価値があるのは生存だけなのか?②死者の権利(葬儀の権利)を蔑ろにしていいのか?③移動の自由の重要性を忘れていないか?の3点です。その上で、著者は権利制限けしからん!と主張する訳ではなく、提示された論点を踏まえてちゃんと考えようね?!と問題提起しています。 後半は合目的性について。目的は手段を正当化するもの、人間が人間らしく生きていくためには目的から自由なそれ自体が目的である行為(芸術とか高級な食事とか)が必要だと言っています。 かなり要約するとこんな感じかな?前半後半共通してテーマにされているのは、考えることの重要性だと思います。別に現代の社会のあり方を否定するのではなくても、多角的に考える習慣は大事ですね! たまにはこういった本を手に取るのも考える良いきっかけになりそうです(^^)

Posted byブクログ

2023/07/20

第一部において、コロナ禍におけるアガンベンの問題提起という事例を通して哲学の役割について考察し、第二部において、これまたコロナ禍における''不要不急''の排除という事例を通して「目的」「手段」「遊び」と人間の自由との関係性について考察してい...

第一部において、コロナ禍におけるアガンベンの問題提起という事例を通して哲学の役割について考察し、第二部において、これまたコロナ禍における''不要不急''の排除という事例を通して「目的」「手段」「遊び」と人間の自由との関係性について考察しています。講和という形式で語り口もやさしく、読みやすいですが、折に触れてアガンベン、アーレント、ベンヤミンの言説の解説なども交えながら、内容はしっかりと論理立てて組み立てられており、さすが國分先生だなと感じました。

Posted byブクログ

2023/07/17

哲学を思考の軸としてコロナ禍を論評した本作は『暇と退屈の倫理学』の続編として読むことができる。 コロナ禍での政府対応については、誰もが自分なりの意見を持っていると思われるので、冷静な著者の見解に触れる意義は大きいと思う。 個人的には「不要不急」についての考察が出色だと感じた。

Posted byブクログ

2023/06/29

近くにある課題と遠くにある関心ごとを考えることが大事。その中間領域にあるものはだいたい上手くいかないから。 あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためでではなく、世界によって自分が変えられないようにするためだ...

近くにある課題と遠くにある関心ごとを考えることが大事。その中間領域にあるものはだいたい上手くいかないから。 あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためでではなく、世界によって自分が変えられないようにするためだある。 マハトマガンジー ボールドリヤール 浪費は生存のための必要を超えた支出の享受。言い換えると限界を超えてものを受け取ること。浪費は満足をもたらす。満足すれば浪費は止まる。例えば、十二分にしょくじをしてまんぞくひたら、お腹がいっぱいになって食事は終わる。つまり浪費には終わりがある。 一方で消費には終わりはない。なぜなら浪費の対象がものであるのに対し、消費の対象はものではない。消費は観念や記号を対象とするものだから。 たとえば流行してるお店に行くこと。そこで人が受け取っているのはモノそのものではなくて、あのお店に行ったという観念だから。だからいつまでと終わらない。 楽しんだり浪費したり贅沢を享受したりすることは、生存の必要を超えでる、あるいは目的からはみ出る経験であり、我々は豊かさを感じて人間らしく生きるためにそうした経験を必要としている。必要と目的に還元できない生こそが、人間らしい生の核心にあると言える。 目的のために行なっている行為(手段)は、それが目的を成すために行なっている限り自由ではない。目的をはみ出して、自分がその行為を楽しんでる時、それを遊びというのか、人は生を感じるんだと思う。最初は目的ありきでも良いし、目的が無くなることはおそらくないのだけど(特に政治とかにおいては)、目的を超えて、思考し、行為し、生きることに、人は人間としての喜びや幸せを感じるんだろーな。でもそれって、きっと目的を達成するために自分なりに全力にやってる時にしか訪れない領域で、まずは目的ありきでも良いと思う。仕事も遊びも、そう。

Posted byブクログ

2023/06/24

暇と退屈の倫理学を読んで何か残ったものがある人は読むべき。 ・コテンラジオで言うところの、宗教OSから国民国家OS,今は資本主義OSへと変遷していく中で、「大きな物語」を信じて生を全うする生き方ができなくなり、個人個人が自分の生きる意味や役割を考えなければいけなくなった(自分は...

暇と退屈の倫理学を読んで何か残ったものがある人は読むべき。 ・コテンラジオで言うところの、宗教OSから国民国家OS,今は資本主義OSへと変遷していく中で、「大きな物語」を信じて生を全うする生き方ができなくなり、個人個人が自分の生きる意味や役割を考えなければいけなくなった(自分は、自分自身が一人で立てなくなった時の「よすが」を自分で用意しないといけなくなったと思っています)。その答えとして、言葉として平易だが「自由を享受する」ことが必要だというのが暇と〜の一つの答えだった。そしてそれを考えるためのアプローチを「自分の頭で考え始める」ことが大事なのだと。 一方で本書は、それだけでなく社会における自分の役割や「信じること」の大切さについても言及されており、新たな視座を得られたと思う。 ・改めて「浪費」と「消費」を区別することの大切さ。そして消費は目的へ還元するものであり、目的に振り回されないことが大事。 ・政治と行政管理の区別。前者は政治家、後者は官僚。ここを区別して、民衆が着目すべきは「政治」。ここが一緒くたに議論されている現状は肌感ともマッチする。 ・目的から自由である行動を忘れた時、人間は目的のためにあらゆる手段とあらゆる犠牲とを正当化することになる(ナチス、コロナ) ・行政は目的合理的だが、政治も含めてあらゆることがそこに還元されることに警戒しないといけない。 ・「目的のために手段や犠牲を正当化すると言う論理から離れることができる限りで、人は自由である。人間の自由は、必要を越え出たり目的からはみ出たりすることを求める。その意味で、人間の自由は広い意味での贅沢と不可分だと言って良いかもしれません。そこに人間が人間らしく生きる喜びと楽しみがあるのだと思います。」

Posted byブクログ

2023/06/10

面白い。 講義、生徒との対話がまとめられているので読みやすい。 主題はもちろんだけれど、哲学的思考に触れられるのが面白い。 引用されているガンジーの言葉が残った。

Posted byブクログ