また会う日まで の商品レビュー
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朝日新聞連載小説をまとめたもの。作者の親、その叔父世代の話。海軍軍人で天文学者、そして敬虔なキリスト教徒であった秋吉利雄。日露戦争の後、さまざまな軍艦に乗り、順調に昇進。第二次大戦時は戦地には行かず、測量が仕事の水路部に所属する。戦前、ローソップ島での日食の観測にも出ている。キリ...
朝日新聞連載小説をまとめたもの。作者の親、その叔父世代の話。海軍軍人で天文学者、そして敬虔なキリスト教徒であった秋吉利雄。日露戦争の後、さまざまな軍艦に乗り、順調に昇進。第二次大戦時は戦地には行かず、測量が仕事の水路部に所属する。戦前、ローソップ島での日食の観測にも出ている。キリスト教の信条と軍人の仕事とのはざまで悩み続ける。 昭和天皇に、水路部の仕事は平時こそ大切だと言われ、それが戦後、水路部の資料を燃やせという命令を受けた時にこれに抗う決意を後押ししているのが興味深い。平時に使える資料として占領軍にすべてを渡したのだ。 文学、地理、測量、非戦。スティルライフの頃からの作者の作品の来歴が浮かび上がる個人史。読み応えがあった。
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新聞連載途中に少し読んだので、最初からちゃんと読んでみたいなと読みだしたけれど、さすがの厚さにちょっとゲンナリ。
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海軍少将、天文学者、そして敬虔な聖公会のクリスチャンとして人生を全うした秋吉利雄という人の一生を描いた長大な伝記小説。兵学校を卒業し、海軍に入軍したが、その学究的な性格から東大に天文学の学びのため、留学し、海軍水路部に入り、天文学の知識を航海に生かす働きに従事する。1934年1...
海軍少将、天文学者、そして敬虔な聖公会のクリスチャンとして人生を全うした秋吉利雄という人の一生を描いた長大な伝記小説。兵学校を卒業し、海軍に入軍したが、その学究的な性格から東大に天文学の学びのため、留学し、海軍水路部に入り、天文学の知識を航海に生かす働きに従事する。1934年1月、ミクロネシアのローソップ島での皆既日食の観測を経験。若い日には妻チヨ、そして妹・トヨを産後に失うという悲劇、妹トヨが長男・武彦を孕み、その後・福永末次郎と結婚する場面は実に数奇な場面。作家・福永武彦の誕生秘話だ。後妻ヨ子(よね)との間に産まれた子どもたちがクリスチャンとして成長していく姿も麗しい。讃美歌を歌い、歌詞を想う場面が度々登場するだけでなく。信仰的な会話の場面が頻出し、利雄と親戚一族の熱心な信仰ぶりが感じられた。非戦主義の考えを持ちつつ、戦争の時期を乗り越えたのは、多くの苦労があったと思う。福永武彦が晩年、洗礼を受けたと聞いているので、このような背景は興味深かった。海軍兵学校の同期、加来止男とMとの語らいも場面も戦争の背景を語るのに上手い挿入である。利雄の語りで物語は進み、1947年の利雄の最期の場面は利雄とチヨの長女・洋子が語り手として、「また会う日まで」「主よみもとに近づかん」が歌われたことを語るという感動的なラストだった。またローソップ島での現地民は宣教師を通して信仰を持っており。「また会う日まで」を歌って別れを惜しむ場面も感動的だった。
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いやはや、長い。p. 723 片手で持つには重すぎ、持ち歩くにも辞書レベル以上。よく読んだ、という満足感が、内容よりも濃くの星の数に出そう… 史実に基づき、池澤夏樹の大伯父、秋吉利雄の生涯を語る。軍人であり、科学者、クリスチャンの父より、聖公会の使徒。長崎の鎮西学院から海軍兵学...
いやはや、長い。p. 723 片手で持つには重すぎ、持ち歩くにも辞書レベル以上。よく読んだ、という満足感が、内容よりも濃くの星の数に出そう… 史実に基づき、池澤夏樹の大伯父、秋吉利雄の生涯を語る。軍人であり、科学者、クリスチャンの父より、聖公会の使徒。長崎の鎮西学院から海軍兵学校を経て、艦隊を体験した後、大日本帝国海軍の水路部に所属。東大の天文学を学び直し、天測暦を用いて潮汐表や海図の作成に励む。 学徒の加来止男、Mとの親交。 ハンモックナンバー16 (卒業時の成績順) キリスト教に救いを求めつつも戦時下に大切な妻、子ども、友人や多くの軍人を亡くす。 聖路加病院の20代の日野原先生や、山本五十六との会話、天皇陛下の終戦の放送原文、また、真珠湾攻撃、アインシュタイン… 井の頭線や九品仏、築地など変わらない東京の地名が歴史を身近に感じさせる。教科書以上の話が面白い。 とにかく細かい。当時の原文や聖書の話など…それらが果てしない… 聖路加という病院の名は福音書を書いた聖者に由来する。その方は医者であったと伝えられるから病院の名にふさわしい p. 30 白地に赤で日輪と十六本の光条を描いた軍艦旗 疎にまばらに、開く 疎開 p.502 立教高等女学校に水路部の井の頭分室が開設 創業者の名にある「寅」の字にちなんで「虎印計算器」と名付けられ、やがて日本製は品質が信用できないという風評に対抗すべく「タイガー」と名を替えたと聞いている。舶来と思わせたのだ p.516 信仰は人のふるまいを制限するのではなく解放するのだ p.521 進駐軍、進んできて駐在する軍、米軍や占領軍より日本側の敗北感の色が薄められる p.602 太公望/ 呂尚、文王の祖父である「太公」が長らく待ち「 望 のぞ 」んでいた周の中国統一を実現する人という意味。「釣り好きの人」の代名詞これは釣りをしていた太公望呂尚が文王に見いだされたという故事にもとづく 明眸めいぼう/ 美しい人 白皙はくせき/ 色白
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新聞の連載小説として読んだ。ある男性の人生が淡々と描かれており長編なので、単行本として読んだら早々に読むことを諦めていたかもしれない。海軍軍人であり天文学者、クリスチャンと言った、ある意味矛盾した肩書を持っている人物が主人公であり、若き日の昭和天皇や日野原重明さんと会話する場面は...
新聞の連載小説として読んだ。ある男性の人生が淡々と描かれており長編なので、単行本として読んだら早々に読むことを諦めていたかもしれない。海軍軍人であり天文学者、クリスチャンと言った、ある意味矛盾した肩書を持っている人物が主人公であり、若き日の昭和天皇や日野原重明さんと会話する場面は印象的だった。
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こういう、家族の一代記ものはもともと好きで読み応えもあった。 軍人として、天文学者として、そしてキリスト教信仰者として信仰との矛盾に悩みながらも生きる主人公とその妻たち(先妻の死亡後に再婚)が魅力的だった。特に2番目の妻のヨ子(ヨネ)さんが魅力的だった。 終戦後、彼女が夫に向かって言う ヨ子「でも終わりました。次は勝てばいいのですよ。平和のための戦に」 利雄「そんなものがあるか」 ヨ子「平和と繁栄の日本を造ってかつての敵を見返す」 軍人だった利雄がヨ子と再婚したのはよかったなと感じた。彼女によって短い戦後の人生ではあったけど利雄は救われたのではないかと思った。 靖国神社の扱いについてここはいまだ難しいところだと思うけれど、利雄の言うように「(山本五十六元帥の魂が)郷里長岡に帰られたとわたしは思いたい。戦争はもう終わったのだからもう軍人たちを束ねておくことはない。それぞれ生まれた土地に戻ればいいのだ」には共感。祀られながら縛り付けられていないかという部分もあるので。亡くなったことを美化するのではなく、国のために夢途上で亡くなられた方の鎮魂の場ではないだろうかと感じた。二度とそういう犠牲を国が個人に強いることの無いよう、戒めとする場ではないか。 妹トヨの告白 「あの時、わたしは本当に聞いたのでしょうか、愛をもって死を補えという天使の言葉を。(略)それでも、今この時の苦しみが癒やされるならば、わたしはこの身を捧げよう。」については、違う方法はなかったのか。末次郎(後に事情を理解して夫となる)や生まれてくる子ども(武彦)に背負わせるものは大きくなかったか。献身とは少し違うように感じた。 また「信じることは観測に依らない。観測を必要としないのが信仰である。 証拠はわたしの心のなかにある。」何を信仰していても証拠ではない、信仰する心こそが勁さと感じた。 「母性は職業意欲より強い」という箇所は利雄の実感かもしれないが極度に母性を美化するのはなぁと思った。結果としてヨ子は利雄や゙家族を働きながら支えていくのだけれど。 また、Mと加来の友情もよかった。特に加来の殉職について 「加来は死を選んだ。軍人の人生には、戦場で死ぬということが初めから織り込まれている(略)敗軍の将として国に帰る屈辱よりはここで自分の人生を閉じるという方を選んだ。するべきことはした、と自分に言ったのだろう。その判断は部下たちによっても共有されたのだろう。潔いと人は言うだろう。しかし加来がそこまでに積み上げてきた能力と体験を日本は失った。」という箇所について、戦争によって死を美化してはいけない。犠牲を強いられたこと、その人自身を失わせたこと、そういう状況に追い込んだ当時の軍部の暴走こそ憎むべきではないかと思った。 また、加来の俳句から始まる 『「つはものの 疲れ犒う(ねぎらう) 月夜哉」 (略)戦争はよいことではない。言うまでもなく世界は平和であるのが望ましい。しかし人は、富と領土と覇権を求めて争う。あるいはそれを奪われないようにと言って戦う。 (略)戦争は避けられない。だから、戦いになった時に負けないように普段から不斷の努力で防備を固める。それが軍というものだ。軍は盾であると同時に矛でもある。守るのではなく攻めるものにも使える。そして攻めているのではなく守っているのだというのにも使える。』というてころは信仰者であり、軍人でもある利雄の辛さ、苦しさも裏に感じた。 ここは 「主は日本人とアメリカ人を区別されない。ただ、どんな形にせよ戦争が終わることを望んでおられる。どんな平和でも戦争よりはいい」という形で利雄なりの解釈をしているようにも思える。
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クリスチャンで天文学者で、海軍少将だった秋吉利雄。池澤夏樹の父である福永武彦の伯父。軍人ではあるが、艦隊勤務ではなく、天測によって航路を知り航海暦を策定するのが主たる任務。タイトルはクリスチャンにはなじみのある聖歌の一節。聖公会は日本では少数派のクリスチャンの中でも、さらに少数派。七百ページを超える大部の小説で、クリスチャンのありようを語り尽くす作品は、日本文学の中でも稀有なこと。ミッションスクールの外国人宣教師が、戦時中の日本を語った文章はいくつも存在しているが、戦前、戦中、軍隊にあって、天文学者という合理を極め用とした人が、聖書で日常を語る人など、これまでなかった。この作品をキリスト教文学と呼ぶのがふさわしいかどうかわからぬが、遠藤周作の『沈黙』と並ぶ重要な作品だと思う。
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(借.新宿区立図書館) 「また会う日まで」と言っても尾崎紀世彦ではなく讃美歌。 著者の大伯父にあたる人の伝記的小説。明治期から昭和戦中期、そしてわずかな戦後期にかけての生涯を700ページ余りという長篇で描いたもの。もとは朝日新聞朝刊の連載。 分厚い本で読みでがありそうだったが、意外に早く2日ほどで読んでしまった。(海軍)水路部所属の応用天文学者であり軍人(少将まで昇進)、ただキリスト者でもあるという矛盾も描かれている。私は天文関係ということで読んだのだが、当時の天測による位置天文学的なものが良く書かれているようだ。あとはこの一家の大河ドラマ的な流れの中で病気で死ぬことが多かったこと、幼児や出産時などの死亡が結構多いことがわかる。主人公自身も戦後すぐの混乱期に医療が十分でなく命を落とすことになる(自殺ではないが、友を失った結果の失意の影響ともいえるかも)。キリスト教(聖公会)については何とも言えないが、そういう生き方もあるのだろう。 いずれにせよ見事な大河小説といえるだろう。
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新聞連載の大作。少し前の『ワカタケル』を思い出させる単行本の文量だ。 著者池澤夏樹の大伯父・秋吉利雄の生涯を透し、近代日本の歩んだ歴史を描き出す、一市民の大河小説。 歴史の大まかな流れは日本人なら誰もがよく知る大正~昭和史、その大きな流れの中で、海軍軍人でありキリスト教信者、そして天文学者という、一見相容れない側面を持つ主人公の人生、ヒトトナリを、いかに矛盾なく描き通すかが見せどころ。 主人公利雄は、当然のことながら、キリスト教の信仰と軍人としての責務(戦争としての殺人行為)を、個人の中で、矛盾を抱え葛藤しつつ、人生を全うしていく。 史実の中に、個人の生の存在を描き出す筆致は、30余年ものキャリアを積んだ著者をして成せるところだろう。主人公やその家族の他、登場人物の多くは実名だ。そのそれぞれに人生があり、物語がある。個々の物語、storyが、大きな束となって、歴史、historyを紡いでいく流れに、なんとも言えない感銘を覚える。 歴史は、けっして個々人の人生とは切り離されているものではないのだ。 海軍の水路部に所属し、天文学者としての知見をいかんなく発揮し、海図を描く主人公の姿が尊い。 「星天と向き合っていると自分が一つの点になる。万象は絶対不動と思われる。 不動だからそれを基準に自分の位置、大洋にあっては艦の位置を知ることができる。 私は点になった自分が好きだった。わたしもまた星である。」 生涯、自分の立ち位置を、不動の星の位置を頼りに見定め、ブレることなく生き抜いた。天に召されるまで、何度か繰り返されるタイトルの「また会う日まで」は、主人公秋吉利雄の最大の業績とも言える、1934年のローソップ島における日食観測、その時、島を離れる際に島民が歌ってくれた讃美歌のこと。 人生は、多くの人との出会いと別れを繰り返し紡がれていく。主の元で、また出会えると信じ、自分に正直に生きた利雄は、別れのたびに「また会う日まで」を胸中でリフレインしていたことだろう。
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