世界は五反田から始まった の商品レビュー
『一般論ではない。これは私が所属する世界の話である。しかし一方では、こうも思っている。五反田から見える日本の姿がきっとあるはずだ』―『はじめに』 2007年に出版された「迷子の自由」で嵌まって以来ぽつりぽつりと読み継ぐ作家、星野博美。ルポルタージュを主とする文筆家であるにも拘ら...
『一般論ではない。これは私が所属する世界の話である。しかし一方では、こうも思っている。五反田から見える日本の姿がきっとあるはずだ』―『はじめに』 2007年に出版された「迷子の自由」で嵌まって以来ぽつりぽつりと読み継ぐ作家、星野博美。ルポルタージュを主とする文筆家であるにも拘らず、この人の視野は決して広くは感じない。見えているのは手の届く範囲、常に足元ばかり見ていると言っても過言ではない。けれど、一端その視野に入って来たものがあれば、それがどこから来たのかという問題提起を皮切りに、軽快なフットワークで自身の立ち位置を移動し(取材範囲を広げ)、結果として身近な世間が想像だにしなかった世界と繋がっていることを詳[つまび]らかにする。そして、よって立つ地面の確かさを確かめるつもりでいた筈なのに、それが案外と脆い基盤の上に立つものであったことに気づくという経験を、繰り返しこの作家は文章にする。それは取りも直さず、自分自身の感じているこの印象は確かなものなのかという冷静な思考の表れだと思うのだけれど、駆け出すに際してどちらかといえば激情に駆られてという雰囲気を星野博美は醸し出す。その食い違いが実は癖になる 本書は、文中でも度々言及される「コンニャク屋漂流記」のいわば続編というような位置付けになる本。祖父の故郷である千葉の御宿岩和田における実家の屋号「コンニャク屋」から端を発して、江戸時代に漁を生活の糧とする祖先が紀州から移住してきたこと突き止めるまでを、極めて私的なルポルタージュという印象を残す一冊にまとめた前著から時代の流れを引き継ぎ、作家の呼ぶ所である「大五反田」へ上京して町工場を起こした祖父の残した足跡を辿る、というのが大まかな流れではある。けれど「コンニャク屋漂流記」の中でも、江戸時代初期に御宿沖で遭難したスペイン船を地元の人々が救助したという話を切っ掛けに、自身のルーツを遡る旅は脱線を繰り返し、日本におけるキリシタンの歴史を探る旅へと広がっていった(それが「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」へと繋がっていったり、リュートを習い始め「旅ごころはリュートに乗って 歌がみちびく中世巡礼」へ繋がってゆく)ように、本書の中での祖父の歩みを辿る旅も、祖父の歴史を通して必然的に大五反田における戦前戦後の出来事への深堀へと繋がってゆく。そんなふうにして辿る探訪の行く先には、工業地帯としての五反田の発展・衰亡があり、急成長した工場で過酷な労働条件で働かされる無産者のプロレタリア活動の痕跡があり、町工場の軍需産業への組み入れの歴史があり、そして幾度かの空襲の記憶、国から不要不急の産業と決めつけられ転職を迫られた商店街の人々からなる満蒙開拓団の歴史があり、と幅広い。 その脱線の過程は好奇心のなせる業というよりも、当たり前と思い深く考えもしなかったことに対する本質的な気づきともいうべき思考過程なのだが、この作家には再定義を迫る事実の声なき声が嫌でも聞こえてしまうのだ。やや軽薄な好奇心の裏側に潜む偏見。それを多くの人は全く気づかないか、見て見ぬ振りをしてやり過ごす。しかし星野博美はそれを掘り返して見ずにはいられないのだ。 そして祖父の起こした町工場を受け継いだ父親が新型コロナ感染症が猛威を振るう中で廃業するという出来事をもって、この本の元となった連載は幕を閉じる。「コンニャク屋漂流記」から始まった多岐にわたる旅はこれで一段落着いたということになるのだろう。思えば「コンニャク」という屋号の不思議さから始まった旅は随分遠くまで旅路は伸びたのに、いつの間にか現時点の足元に戻って来たことになる。それは、この作家の思考過程そのもののようであると言ってもいいのだろうと思う。
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祖父の日記から広がっていく五反田から見た日本の歴史.小さなことから大きなことへと想像の翼が羽ばたく,軍需産業、疎開,空襲,満州など,とても興味深く考えさせられることも多かった.
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
誰かの自分をさかのぼる旅に付き合うことが救いになる。きわめて個人的なことが大きな文脈の中にすとんとはまる。尺取り虫のように領土を広げる話は大叔母の紛争を理解させてくれた。それも時代だったのか。
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筆者の地元五反田。死期の迫る祖父が遺した手記をベースに描く五反田と星野製作所。 祖父から父の二代の星野製作所。バルブの部品を加工する工場。五反田には多くの町工場があったという。 五反田の忘れられた歴史。小林多喜二と荏原郷開拓団そして城南大空襲。戦禍にもたくましく生きる人々。 ...
筆者の地元五反田。死期の迫る祖父が遺した手記をベースに描く五反田と星野製作所。 祖父から父の二代の星野製作所。バルブの部品を加工する工場。五反田には多くの町工場があったという。 五反田の忘れられた歴史。小林多喜二と荏原郷開拓団そして城南大空襲。戦禍にもたくましく生きる人々。 コロナ禍で取材旅行でできない中、地元を巡った作品。身近な土地にも多くの歴史、ドラマが潜んでいることを本書は教えてくれる。 「コンニャク屋漂流記」と並ぶ傑作だろう。
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筆者の生まれ育った五反田の町工場の歴史から、庶民にとっての戦争を見つめ直す1冊。平和教育だけでなく「どう生き延びたのか」を語り継ぐ事の大切さが心に響く。満州開拓団に関する記述が哀しすぎた。
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